58年前の七夕に産まれた私
自分でイメージしている年齢と実年齢がどんどん離れていくのが恐ろしいけれど
まだまだ働かなければいけないし、吃音のことや音楽活動などももう少し頑張りたい
とにかく無理をしないように
年齢を重ねたいと思う
保育園の頃から吃音と共に生きてきたから
かれこれ55年ほど私の一部として相棒=吃音は存在していることになるけど
吃音症状が変化したというよりは、吃音との付き合い方や感じ方が年齢と共に変化したのだとしみじみ思う
前にも書いたけど吃音は「大人になったら治っていた」とか「年齢を重ねると症状が軽くなった」とか言われることが多い。
確かにそういう人もいるらしいが、私が自分自身を見つめてみると症状は大きく変わっていないような気がする
吃音を持つ人が「絶対無理」という大人数の前での講演をするまでになっていても、症状的には変わっていないと感じるのだ。
今も名前を聞かれてもスムーズに言えないし、電話になると別人のように話せなくなる
仕事中も言い換えの出来ないことを伝えようとすると言葉に詰まったり繰り返したりして時間が掛かる
それでは何が変わったのかというと
予期不安をほとんど感じなくなったこと
症状が出ても落ち込まなくなったこと
恥ずかしいとか情けないとかいう気持ちが無くなったこと
自分には吃音がありますと言えること
そして
言葉が出やすいように工夫をしていること
50歳を過ぎてからの自分は本当に違う人生を歩んでいるなと感じる
いつも心の重石みたいな存在だった吃音も捉え方を変えると全く違うものになる
もちろん年齢を重ねて吃音以外の人生経験を積み、いろんなことを乗り越えたことや
加齢による鈍感力の向上、図々しい、諦める、忘れる等の状況もある
そんなことに加えて吃音を持つ仲間との出会いや交流を続けていることが、私を変えたんだなと思う
今は、言葉が出やすいように話す内容を文章にして準備したり、速度やリズムを工夫したり、最初に吃音のことを伝えたり
そういうことで予期不安を少なく出来るから本当に楽になった
吃音を持つ子供たちや若者たちは学校や就活、職場などで逃げられない場面が沢山あると思うけど
何とか乗り越えて生きて欲しいな
今は周りと違っていてもいい時代になってきている
自分には特別な才能があるんじゃないかと勘違いしてもいいと思う
吃音があることは100人に一人の選ばれた人なのかもしれない
そんなふうに前向きに勘違いしてるアラカンの私でした
暑い毎日、無理せず行こう