あなたの母校は何処ですか? | 15でオカマ オカマで女優

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ドラマチックに咲いてほしい性転換後

かつて私が小学4年生だった夏、
初めて進学塾へと通った。

それから、ずっと小学校が始まっても
私は塾に通っていた。

姉や兄、そして両親や親戚の通ってきた道なのだから
中学受験は当たり前だと思っていた。

そして、私自信も行きたい中学(高校)もあった。

だから私は勉強した。
必死で勉強した。

うだるような暑さの夏も、
交通の弁の悪いあの家から
熱い路地を歩いて塾に通って、
必死で勉強した。

行きたい中学と高校があったもから。
私は偏差値の高い私立に行きたいという見栄もあったし、
中学からは絶対男子校に行きたかった。
絶対に共学が嫌だった。


やがて、第一志望の中学に落ちて、
第二志望の中学に合格し、
友達の多いそこに通う筈だった。

でも、私は家族どころか親族に反対された。
性同一性障害がそこに絡んでるなんて、
あの家族がどうして分かろう。

私はかくして第四希望にも入らなかった学校に、
入れさせられた。

私は障害者が、性同一性障害者が
共学に入ることが不安だった。
でも、誰にも言えなかった。

あの頃、中学からが不安で泣いてしまったこともある。


私はふいに今でも
まだ中学や高校に通ってないような気がするのです。

母校という言葉を聞いてもピンと来ない。
私が持ってない言葉のように思える。

小さな子に、性同一性障害や中学受験や家族の事情を叩き込んでも
それを全部解決して、
最善の道を決めることなんて出来ないよね……。

あの夏、あの冬、
私が行きたい中学の為に頑張ってきたことが
全部無駄なことに思える。


私が行きたい中学を選んだり、
高校での自分の体を選んだりしたのは
私は誰かに反対されて拒否をされる為じゃない。



私はもうほとんど大人だけど、
私はもう何処の大学に行きたいとか、
将来どうするとかは分からない。
誰にも言えない。



これからの生き方が分からないの。