すごく切ない夢を見た。
夢の途中で夢だと気付いて、
それでも醒めたくなくて必死で夢にしがみついた。
…こんな記事を書く時点で、まだ酔っ払ってるのかな(苦笑)。
きっとあの映画のせい。
あの映画を知らずにいた人生には二度と戻れない…。
見た後誰とも話したくない、そんな映画だったから。
心とか、人生とか、そういうものの
底の方のざらっとした部分に触れてしまうと、
何か…揺れるよね。
揺れて、戸惑って、立ち尽くして、
昂って、墜ちて、
そんなリズムを軽やかに生きて行けたらいいのに…ね。
どんなに心が疲れていても、
自分という存在が神様からの贈り物なんだと感じて生きていきたい。
私の存在も才能も苦しみも喜びも痛みも、
必ず意味があると信じていいんだと、
そう信じて生きていきたい。
私の存在が神様からの贈り物であるように、
私の周りにいる人達も会ったことのない人も、
それぞれみんなが神様からの贈り物なんだと、
人の中の神様に跪くような気持ちで生きていけたらいいと思う。
私は特定の宗教は信じている訳ではないけれど、
そんなふうに思ったりする。
私はこんなにちっぽけだけど、
だから同じ苦しみを持っている人と気持ちを分け合ったりして、
愛に溢れた人生を生きたい。
私は誰かが辛い時に、
傍にいるよ、と言える人になりたい。
だから辛い思いをしている人は、
私の夢を叶えてくれる大切な人。
辛い思いをしている自分を、それ以上責めないで。
そのままのあなたのことが大好きだよ。
いつでもそんなふうに人と触れ合って生きていけたらいいな、と思う。
自分に厳しく(でも厳しすぎず!)、人に優しく。
頑張ろう。
何か突然思い付いた独り言でした。
幼稚園には色んな行事がある。
先月はお弁当参観に、保育参観。
うちの長女は、食べるのも工作するのも、とてもゆっくり。
見ていてイラッとすることもあるのだけど、
そのうちはたと気が付いた。
私の娘じゃしょうがない。。
そう、私も何やっても遅いんだ。
遺伝じゃぁね。しょうがないよね。
そんな私が娘を急かすなんてお笑い草だ。
東大に行って鼻をぽきっと折られたことの一つは、
私より頭の良い人なんてなんぼでもいるってこと。
ハンパ無く頭の回転が早い人ってのは普通に大勢いて、
スピードの求められる仕事とかで勝負したら
ハナから勝ち目は無い。
スマートに効率よく躓かずにエリート街道を歩いてるたくさんの東大卒業生から見れば、
私の人生なんかゴミみたいに見えることだろう。
だけど、私はゆっくり何度も転んで泣いて、またやり直して、
そういう亀の歩みの中でしか見えない大切なものをたくさん知っている。
娘達を育てるに当たって、
私はそういうものを伝えていきたいと思っていたはずだったのを思い出した。
長女の「遅さ」はもしかしたら彼女の大事な才能なのかもしれない。
才能っていうのは始めから長所の形をして現れるとは限らない。
才能ってやつは欠点の形をしてやってきて、花開くのを待っている、そんなものなのかもしれない。
アインシュタインだってリンカーンだって、
子供の頃の先生にはボロクソ言われてたはず。
見る目のない人間の心無い言葉に傷付いて夢を捨ててしまう人もたくさんいる。
私もそうだった。
だけど、私は娘の才能を潰す親にはなりたくない。
そのために必要なのは早期教育にお金を注ぎ込むことなんかじゃなくて、
長所も欠点もそのままでいいよ、と受け入れることなんだと思う。
言うは易く行うは難しだけど・・・
亀の子は亀。
一緒にのんびり歩こうよ。
とてもゆっくり、でもとても丁寧に一つ一つのパーツを糊で貼る娘の姿を見て、
自分がどういう親でありたいか、という思いを新たにしたのでした。