子育てについて私なりに工夫していることはいくつかあるんだけど、
今日は名前についてのお話をしようかと思います。

うちの子供達は今のところ名前が2つあるの。
戸籍に登録してある名前の他に幼名を付けていて、
普段は主にそっちで呼んでいます。
そんなに厳密に使い分けている訳でもないんだけど、
基本的に幼名で呼んで、
世間とか対外的にきちんとしなきゃいけないことを注意する時とかに戸籍名で呼ぶ、とかそんな感じかな。

幼名は元々はお腹にいる時に呼んでいたものなんだけど、
お腹から出てきてもずっと呼んでいて、
一応今のところのプランとしては7歳くらいまでに本人が嫌がったらやめようかな、という感じ。

なぜ私が幼名っていうのを大事にしてるかっていうと…
思うんだけど、人間って一つの名前で全部脈絡を持って生きなくてもいいんじゃないかな、って。
確か養老孟司さんの本からヒントをもらった覚えがあるんだけど、
人間って色んな面を持っているし、
絶えず変化していくものでしょう?
そしてその変化は必ずしも全部人に説明できるものである必要はないし、
説明しようったって無理なのよ。

誰にも説明できない部分があるから、
誰にもわかってもらえない思いがあるから、
その人はこの世でたった一人のかけがえのない存在なの。


どんなに毎日一日中傍にいたって、
私は子供達の気持ちを全部わかる訳じゃない。
子供達は子供達なりの、自分だけの人生を毎日刻んでいる。
そして…成長していくに従って、
肉体の年齢と関係なく自分の心の中に「子供の自分」を持っていることに気付いていくんじゃないかな。

誰にも見せない悲しみや、自分だけの宝物のような喜びは
心の中の小さな子供が持っているもの。

昔のハワイの教えなんかだとその「心の中の小さな子供」のことをウニヒピリって言うんだとか。

私の意図は要は、
子供達の自分だけのウニヒピリに自分だけの名前が付いてたらいいんじゃないかな、ということ。
余計なお世話かもしれないけど、
親が子供に贈るプレゼントとしてそんなに悪くないかな、と自分では思ってます。


ちなみに何で7歳までを目安にしているのかというと、
「七つまでは神のうち」っていう言葉があって。
長女の七五三の時に調べて知った言葉なんだけどね、
子供が産まれてきてもちゃんと生き延びるのが難しかった時代、
子供っていうのは七つまでは神様のところと人間のところの中間にいるような存在だと考えられていたんだって。
小さな子供が命を落としたら
神様のところに帰っていったと見なして
悲しみを乗り越える知恵だった面もあったんだろうけど、
子育てに役立つ面もあると思うのよ。

小さな子供って大人にとって普通の話が通用しないことも多いし
大人には理解できない発想で突拍子もないことをやらかすのが当たり前な生き物。
そういう意味では、
ただの人間というよりちょっと神がかった存在。
ついでに言うと恍惚のご老人なんかも神様のところに帰ろうとしている存在なのかも。


小さな子供を育てる時に、
子供の訳のわからないところを怒っちゃいけない、
そのまま受け入れるのが大事って言われても
簡単にうまくできるものじゃないよね。
だから一つの割り切り方として、
7歳まではまぁ、恍惚のご老人と同じような扱いでいいか、という考え方を頭の隅に置いとくのも手なのかな、と。
子供が産まれて最初から気合い入れて子育て頑張らなくても、
神様のところからお預かりしたちょっと不思議なお客さん、
くらいのつもりで気楽に育ててもいいのかも。

…と、つい頑張り過ぎて混乱するタチの私は
時々そんなことを考えてガス抜きしてます。

ま、そんな訳で、
子供達を神様からお預かりしている間は幼名で呼ぶ、
くらいの感じでいいかなーと思っているんだけど
実際どうなるかなー。
とりあえず長女が7歳になった時にどうしたか、
覚えてたらこのブログでまた報告しますね。