ずっとちゃんと勉強し直したいと思っていた数学。
ふとしたきっかけで買った本がすごい面白くて、
娘が寝てる時とかに夢中で読んでいる。
ペンを1本と白い紙をたくさん用意して。
小学校の足し算、引き算、分数、三角形、なんてところから一つ一つやり直してるんだけど、
ゆっくり、焦らずに、自分のやり方で納得いくように考えるのが楽しくて仕方なくて。
公式は知っているから速く読むこともできてしまうんだけど、
答えを出すのが目的じゃないからそこはぐっとこらえて。
自分の中で「わかった!」って思えるかどうかを一つ一つ丁寧に考えていったら、
小さな頃、数学の図鑑を夢中になって読んでいた頃の気持ちに戻ることができて、
それが一番嬉しかった。
娘が大きくなって、
「これってどういうこと?」と尋ねられた時に、
どんなふうに答えたら楽しいだろう?
そんなことをつい考えてしまうから、
一つもいい加減にできないし、
つまらないネタなんて一つも無い。
「数学は世の中に出て一番役に立たない」なんてバカなことを言い出したのは
一体どこのどいつだろう、と思う。
数学がわかっているかわかっていないかで、
世の中の見え方は全然変わってくると思う。
それが私がずうっと数学をちゃんと勉強し直したいと思っていた理由。
毎日何気なく通る橋の形に、
足許に落ちるひとひらの花びらに、
数学を感じられたらどんなに素敵だろう?
音楽の楽譜が微分積分で感じられたらどんなに面白いだろう?
芸術と数学は切っても切り離せない。
音楽も数学ももともと神の摂理を解き明かすものだったという意味でとても似ている。
西洋古典画を描いた人達は数学を知り尽くし、1枚の絵に幾何学的な謎解きを込めた。
話が脱線するようだけれど、
私の尊敬するポートレート写真家の一人、マリオ・テスティーノの撮る画は実に西洋古典画的で、
彼が本能的あるいは計算して被写体を完璧な幾何学の世界へ落とし込んでいく様は
本当に見事という他ない。
雑誌ではトリミングされることが多いのだが、
以前彼の原画(?)の写真展を見に行った時、
あまりの美しさに圧倒されたのを未だ鮮明に憶えている。
数学の本質は、「美の追究」なのだと思う。
この世の全てのものの中に埋もれている本質的な美を見抜く力、
それが数学の力なのではないだろうか。
先日の記事 で日本庭園の松の美しさについて書いたけれどそれと同じで、
複雑に見えるものの中に単純明快な美という真実を見出す点において、
数学は本来と日本人の感性にとても合う学問なのではないかとも思う。
実際江戸時代の日本では数学は非常に盛んで
関孝和のような優れた数学者を輩出しているし。
だから・・・蛇足なんだけど、
公文式とか百ます計算とか、
私も昔やらされたけれど、
ああいうのは正直数学の本当の美しさや面白さを感じる感性を育てるのには
むしろマイナスなのではないかと思ってしまう。
たった1回の
1+1=2 に
どれだけのロマンを感じられるか。
本当に必要なのはそういうことなのではないかと思う。
三十の手習い、心ゆくまで喜びを噛み締めながら、
単純な問題に四苦八苦して遊んでいる私なのでした。
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