今『情熱大陸』見てて思ったんだけど、
この人、私のイメージしてた『のだめカンタービレ』ののだめちゃんに一番近いかもしれない。
ドラマで上野樹里がやってたのは何かもっさりしててわざとらしくて
すごい違和感があった。
原作ののだめちゃんってもっとハツラツとしててあっさりしてて、
嫌味のない天然さを持ってる感じのイメージがあって。
そのイメージと麻生久美子さんがぴったり重なった感じでした。
のだめちゃんと通じるものがあるってことは
麻生久美子さんもやっぱり天才なところがあるのかな。
しかし『情熱大陸』とかそれ以外でも
俳優の素を追いかける日本のドキュメンタリーとかを見ていつも思うんだけど、
その俳優がどういう人か、という目線に終始していて、
その俳優がどういう見せ方をする人か、という目線が欠けているように思う。
そしてそれは日本のドラマ・映画に決定的に欠けている目線でもあるように思う。
プロフェッショナルな演技というのは
「心を演じる」ということと同等かそれ以上に
「完成された絵ヅラの中でリアリティーをもって存在している」ことが必要な仕事であるはずだ。
演技という仕事がプロフェッショナルとして成立する要件として、
素人でもできる「心のあり方を変えること」と区別するのに欠かせないのは、
完成される作品の中にどういう形で刻まれるかをコントロールする技術なんじゃないだろうか。
考え方によってはそれは監督の仕事ということにもなるんだろうけど、
監督の意図を正しく理解して、
照明や大道具小道具などのスタッフが作り出す効果を充分理解して味方に付けて、
完成される映像に貢献するような動きを計算しつつ、
それを悟られないように自然に役の人物らしく振る舞う。
それができて初めて本当のプロフェッショナルな映像演技者と言えるんだろうと私は思う。
その為に役者さんがどういう研鑽をしてきたか、今現在もしているのか、
私は視聴者として何よりもそれを知りたい。
もちろん日本の映画ドラマにも優れた作品はあるけれど、
全般的に、どうしても「役者の心の動き」と「観客の心の動き」だけに
頼りすぎた作り方に偏っているように感じる。
心の動きに頼りすぎの監督なら
完成した絵ヅラのイメージの意図がはっきりしないだろうし、
脚本家がそうなら臭くてウザいセリフばかりが多くなって、
本当にストーリー展開に必要な言葉を選べない。
俳優は心の動きだけで技術が伴わなければ大根役者だ。
心だけに頼っているそういう人達がいくら頑張って映画やドラマを作ったところで良い作品は生まれない。
芸術家は芸術家である前に職人であるべきだと思う。
技術を極めない人間には芸術は造れない。
日本の「芸術産業」に携わるすべての人が、
そのことに気付かなければならない時が来ていると思う。