最近の資生堂マキアージュのCMが

なんかイマイチに思えるのって私だけかしら?


秋の「モードMIX」のもそうだったし、

今回新しく出たばかりの春の新色のも、

「ビューティーを更新せよ」というコピーのいい出来を

十分に活かせていないなんとももっさりした仕上がりのCMになってる気がする。


大人数でのCMという形はずっと変わらないが、

マキアージュ誕生当初のあのキャスティングは

実によくできていた。

篠原涼子・・・大人のいい女

伊東美咲・・・クラシカルな美貌

蛯原友里・・・可愛いの代表

栗山千明・・・クールで個性的

と、綺麗に役割分担されていて、

それぞれの個性を引き出すのにも成功していたと思う。


後からカネボウのコフレドールが

スターダスト・プロモーションの女優を総投入して作ったCMは

迫力のある美人しかいなくて逆に全員が似たような感じに見えた。

資生堂が広告に物凄いお金を掛けているのはダテじゃないんだな、と

後から変な所で感心したものだ。


どの時代でも資生堂のCMは優れた作品でインパクトを残してきた。

昔のレシェンテのCMなら

宮沢りえの「オランジェ・デ・キドル」とか

牧瀬里穂の「紫立ちたるモーヴのくちづけ」とか

ピエヌの初期の

「メイク魂に火をつけろ」のコピーとか、

伊東美咲が出演したCMの数々とか

(個人的に「流し目プレイ☆」は大好きだった)、

広告ヴィジュアルも含めてぱっと思い出せるものが数多くある。


それらに共通するのは、15秒とか30秒の短い時間の中に、

背骨ともなるべき世界観がびしっと貫かれていたことだろう。

優れたCMとは、

短い時間の中で描き出す物語に浸れる喜びを見る者に与えることに

成功している作品、と言えるのかもしれない。


最近のマキアージュのCMは、

それが決定的に欠けている為に

何だか中途半端な印象になってしまっているような気がする。

私はその原因として、BGMの選曲も一つあるのではないかと思う。


「モードMIX」を例に取れば、

コピーもヴィジュアルも「モード」、最新の先鋭的なものを目指しておきながら、

音楽は1990年代に活躍したEternalのPower of a Womanを使用している。

個人的にこの曲は好きだが、

マキアージュの広告全体として見ると、

この曲を大胆なアレンジやリミックスもせずそのまま使っていることは、

保守的な印象を与えてしまう。

それが結果的にせっかくの「モード」というコンセプトを

ちぐはぐなものにしてしまっていた。


新しいマキアージュのCMは

篠原涼子、蛯原友里という古参組と、

土屋アンナ、上野樹里、ペイスー・ウーという新たに加わったキャストで

構成されており、

全員のと個別のとでヴァージョン違いがいくつかある。


とりあえずツッコミ入れたくなったのは、

全員ヴァージョン。

化粧品のCMなのに全身ショットが多過ぎてアップが少ないっていうのが

まず変だろう、と。


しかもCG画像との合成の仕方が、何ともレトロに見えてしまう。

上野樹里が透明な画面を指でつんつん触るシーンとか、

発想が昭和すぎて吹いた。

あれってまさに、アトムとかガンダムとかドラえもんとかに出てくるような、

「昭和時代に思い描いていた未来」じゃない?


そしてトドメがBGMのシンディ・ローパー。

個人的にそんなに馴染みがないし好きでもないが、

それは置いといたとしても。

前回ので学習したのかリミックスヴァージョンにしてはいるけれども。

80年代の彼女のデビュー曲かつ代表曲を

わざわざ2009年に敢えて持ってくるのならばそれなりの、

レトロとモードをがっつり組み合わせるためのしっかりとした世界観が

貫かれていなければダメだと思う。


残念ながらそのようなものは全く見当たらず、

何の統一感もない、ただ美人さん達が並んでいるだけのつまらない

ありきたりなCMになってしまっている。

商品自体は

「ビューティーを更新せよ」のコピーがダテではない

革新的な発想と技術で開発されているようなので、

あのCMじゃ技術者の方々も報われなくて可哀想だろ、と

同情の念を禁じえない。


資生堂は長年日本の化粧品業界ではトップを守り続けている企業で、

ターゲットになる客層も相当幅広いものを想定しなければいけないのだろう。

外資系やらプチプラコスメ、自然派化粧品やら多くのライバル達が

次々と参入してくる中で、

自分からターゲット層を絞り込むことのリスクに怯えきっているというのが

本音なのかもしれない。

だから、若者向けにモードと言っておきながら、

中高年層にとって懐かしく感じる80年代~90年代の音楽を投入することで

安心感を維持する、なんていう守りの発想でもって

八方美人な折衷案をついつい採用してしまうのだろう。


しかし、八方美人にも必ず盲点はある。

ちょうど世代的に、

私も親も80年代~90年代の音楽には馴染みがない。

自分は子供だったから知らないし、

親も子育てに必死でそれどころじゃなかったそうなので。

以前にも何度か書いたけれど、

私はビートルズ以前の音楽の方が

90年代のテクノ系とかよりも親近感を感じる。

そういう人間は結局ターゲット外ってことになっちゃうわけで。

残念ながら、誰も彼もに訴えることのできるものを作ろうなんてことは

ハナから無理なのだ。


結局人の心に何かを響かせようと思うなら、

響かせたいと思う核になるものを

自分でもしっかり理解していなければならないだろうし、

それを伝えるためには筋の通った表現をしなければならないのだ。

それがしっかりしていれば、

受け取る人は必ずいるはずだし、

逆に、伝えるべきものがフニャフニャと曖昧なだけなら

誰にも受け取ってもらえない可能性だってある。


資生堂の発想で決定的に欠けているのは、

「受け取ってもらえない可能性」があるという前提ではなかろうか。

巨大企業で、広告費も莫大に掛けて、

テレビを付ければ朝から晩までいつの時間帯でも

資生堂のCMを目にする機会はたくさんある。

だから「受け取られるのが当然」という奢りの心で

八方美人なだけのCMを作ってしまっているのではなかろうか。


などと思った次第でした。