いつからか、マスコミは無駄に感情的になった。
誰かを祭り上げては叩き落とすゲームを続けるようになった。
『若者殺しの時代』という本に書いてあって気付いたのだが、
そういえば昔、医者と銀行員は尊敬される仕事だった。
でも今じゃ、金の亡者扱い。
医者は医療事故のニュースで散々叩かれたし、
銀行も潰れないとは言えなくなったとはいえ
「儲かっていいよね」みたいな軽蔑を含んだやっかみの目で見られるようになった。
何せ、カネがすべての世の中ですから。
建設省の汚職事件が明るみになったりして、
土建屋はやっぱり金の亡者ってことになり、
談合が槍玉に揚がり、
談合は禁止になったのは良かったのか悪かったのか、
今じゃダンピングの嵐で建設業界は身内の食い合いでボロボロだ。
でも、マスコミはそれは報道しない。
擁護するより叩く方が「数字」が取れるから。
こんにゃくゼリーを詰まらせて子供が死んだ時、
マスコミはさすがに子供の身内を槍玉に揚げる訳にいかなかった。
だからこんにゃくゼリーのメーカーを代わりにした。
苛烈な批判はしなかったかもしれないが、
余計な首を突っ込んできた野田聖子オバハンの会見とかを
垂れ流しにしたってことはそういうことだ。
「公平な報道」をするんだったら、
子供を失くした家族達をそっとしておくのと同様、
消費者何タラ大臣の振るってくる権力も無視すべきだった。
一つの時代を作り、やがて時代に飲み込まれていった
小室哲哉さんが詐欺罪の容疑で身柄を確保された。
あれだけの「時代の寵児」が「容疑者」になったことを、
マスコミの奴らは躊躇もなく「おいしい」と思っている。
テレビを付ければどこの局でも
小室容疑者が悪の道に至った原因究明と称した「断罪」に余念がない。
これは推測だけど、
たぶん、小室哲哉の音楽をテレビで久し振りに聴いて、
あ、懐かしいな、やっぱあの曲良かったよね、とか程度の感慨を持つ人が大半だと思う。
アホなことやってもったいないなあ、くらい。
ファンだったのに!!!裏切られた!!!!!!!!!!
と本気で憤ってる人もいるにはいるんだろうけど、
平均的なテンションとしては、
懐かしいな、くらいの穏やかなものだろうと思う。
私がおぼろげに覚えている昔、
マスコミの盛り上げ方と一般市民の盛り上がり方は、
完全に 前者<後者 だった。
今はマスコミが無理矢理盛り上げて、
一般市民がテンション低く付き合ってる、みたいな形になった。
感情的で気紛れな権力。
今の日本のマスコミは結局のところそういうものだ。
誰かを悪者にして吊るし上げて
そいつの全てをボロボロに批判して骨までしゃぶり尽くす。
何かに怒ってるみたいだ。
私はバブルの真っ只中の時ガキだったから、
世の中がバブルだったなんて知らなかった。
でも、バブルが弾けて色んな問題やら不都合やらが噴出してきて
(汚職やら医療過誤事件やら)、
上手くいってたはずのことが急に上手くいかなくなって、
みんなが不安と怒りを感じていた時代はあったんだろうと思う。
でもって、そういう感情を上手に操ることで、
マスコミはバブル後の下り坂の中
何とか商売を続けることができたんだろう。
なんだ、マスコミが後を追っかけるんじゃなくて、
先を行けば儲かるんじゃん。
マスコミはそうやって味を占めた。
話が逸れるようだけど、
音楽業界でテレビ番組とのタイアップヒットが連発するようになったのは
月9とかがヒットしてたバブルの頃からだけど、
1995年に世間のバブルが弾けても、しばらくはずっと続いた。
音楽業界のバブル最高潮は、
1999年の宇多田ヒカルのファーストアルバム『First Love』860万枚。
どうかしてるとしか思えない数字だ。
この頃私はもう大学に入っていたから、
帰国子女、天才少女、と散々マスコミが煽っていたのをよく憶えている。
世の中が不況になっていっても、
ブランド物が買えなくなっても、
人の心に訴えるものは残っていく。
それは正しいと思う。というか思いたい。
訴えられるものがあれば、の話だけど。
マスコミがアホなのは、何でもかんでも人の心に訴えかけりゃいいと思い込んでしまったことだ。
何でもかんでも感情的に報道すれば人が動く、と思ってしまった。
だけど、バブル後の冷え込みで不安に駆られてる時ならともかく、
人間はみんなそれぞれ適応力があるから、
不況なら不況なりの生活や生き方に馴れていく。
マスコミの感情的な報道にも慣れて、飽きていく。
人の世は無常だ。
マスコミがバブルの最後っ屁にしがみ付いている間に、
視聴者は遠くへ行ってしまった。
みんなバブルが弾けた怒りなんてもうとっくに清算してしまったのに、
マスコミだけはまだ古い怒りに捉われている。
1995年から1999年。
4年の差は、大きい。
・・・・何か、マスコミって、可哀想な存在やな。
病院から病院へと妊娠した女性が「たらいまわし」にされた、という言い方で
報道されてしまうのも、
だから別にそれで病院を非難して攻撃したいなんて意図はたぶん何もない。
「受け入れ拒否」とかいう強くて感情的な言い方で
とりあえず人の感情に訴えて
とりあえず数字を作りたいだけだ。
ちなみにこういうのを猿以下の浅知恵と言いますね。
今日の夜、アメリカ合衆国に初めての黒人大統領が誕生したニュースが流れた。
ものすごい数の人間が大盛り上がりして涙さえ浮かべている図は、
感動的であるという見方もできるが、
宗教っぽくてキモいという見方もできる。
正直私はオバマさんの口の巧さに胡散臭さを感じずにはいられないし、
シンプルでわかりやすいコンセプトに人が群がる姿を見て、
やっぱりアメリカって初めにコンセプトありきの国なんだなぁ、
やっぱり変な国だなぁ、と改めて感じた。
でもとりあえず今夜のテレビでそういう冷めた見方の報道は見なかった。
どこの局も当たり障りなく「よかったね」的な能天気のほほんムードで
(申し訳程度に日本への影響の予測を報じてはいたが)、
はっきり言って、呆れた。
こんなのどう考えてもジャーナリズムじゃねぇよ。
(まだ『ジャーナリズム崩壊』は読んでないけど。)
こういう大きな話題こそ、各局がそれぞれ感情的になって
違う意見が紛糾すべきじゃないのか?
わかりやすい話題、下世話な話の時だけ無駄に感情的になって、
難しい話題の時だけ意味不明に当たり障りなくなるって・・・・
もしかして、マスコミの方々の脳ミソの処理能力を超える事件てこと?
だからどう感情的になればいいのかわかんないってこと?
それってつまり・・・
やっぱり猿以下の浅知恵ってことじゃねぇか。
ミーハーもたいがいにしないとただのど●ホやで。
失礼ながら要するに、
マスコミの方々は一般市民の想像を遥かに超えるくらいの、
ただのミーハー集団なんじゃないかと私は推測せざるを得ない。
だから批判したってたぶん無駄なんだよ。
何で批判されてるのか正確に理解できないような人達なんだから。たぶん。
だから賢い皆さんはテレビとか新聞とか見ないで
ネットを見ましょう、っつう話さ。
・・・マスコミ批判の文章を散々書いといて
結論がこれってどーなんだろー・・・・。