30歳近くなって、
年下の人と接する機会が増えた。
今じゃ学生の大半は平成生まれ。
そっか、平成20年だもんな。
昭和は遠くなりにけり、か。
若い人は正直だ。
残酷なくらい正直だ。
つまんない教師のことはボロクソ言うし、
授業中でも平気でぐーぐー寝る。
下らない校則なんか律儀に守らない。
スカートは短くするし、可愛いヘアピンも着ける。
うるさい先生の前でだけ上手に隠す。
すごく、正しいと思う。
人は服従させようとするだけでは服従などしない。
人の行動は支配できても、心まで支配することはできない。
(ちなみにこれ、ベルばらから拝借しやした)
私も、10代の頃の自分を憶えている。
おとなしく服従しているだけのいい子ちゃんだったけれど。
でも、私が学生だった頃も、
つまんない教師には容赦しなかった。
(寝てただけだけど。)
クラスの男子と女子が話してるだけで付き合ってることになったりしたのも同じ。
そうやって一応似たような時間を過ごして、
同じような気持ちも味わってきて。
でも、私はもう彼らとは違う。
10年以上多く生きてるから。
その10年の間に、私は下の世代にちゃんと伝えられるだけの知恵や賢さを
ちゃんと身に付けてきただろうか?
年下の人達のまっすぐな目を見ると、
そう問われているようで、
正直、とても怖くなる。
同じような時間を経験しても、
そこから成長しなければ経験値は変わらないし、
それだったら中古品より新品の方がいいに決まってる。
・・・ていうか世の中の人はもしかしてそんな恐ろしい理由で
若さを羨ましがってるんだろうか?!
若さを羨ましがるってつまり
「成長するの止めました」って宣言してるのと同じことだろ?
恥ずかしくねえのかな?
先に生まれた分、後に生まれた人よりも
多くのことを吸収し、熟成し、作り上げていく、ということができて初めて
「先」「生」だ。
「先生」という言葉は本来、そういう重みを持った言葉だと思う。
そして、先に生まれたってことは、
順当に行けば先に死ぬってことだ。
この人が先に死ぬ前に、どれだけ多くのことを学べるだろう?
そう思わせてくれた素晴らしい先生が、
幸いなことに、私には、いる。
ちなみに、アルゼンチンタンゴダンスの先生です。
ここ半年くらい会ってないけど、
私にはその人の教えが一回一回あまりにも重かった。
1週間に1回通ってたけど、
一週間で吸収できる量じゃなかった。
今の自分じゃ彼女の教えをとても吸収しきれる力がないと思って、
クラスから遠ざかってしまった。
その選択が良かったのか悪かったのかわからないけど、
彼女のことは、ここ半年忘れられたことがない。
ダンスを教わりに行ったはずなのに、
人生を丸ごと教えられたんじゃ、
とても敵わないです。
そこまですごい先生には一朝一夕にはなれないけれど、
私もできれば、先に生まれただけの甲斐のある人間だと
思ってもらえる人間になりたい。
私の伝えられることなんて限られているけれど、
自分が10年くらい余分に生きてきた中で、
他の人が必要としている大切な知恵があるのなら、
ちゃんと使ってもらえるような伝え方のできる人間になりたい。
年下の人に対して、
ただ年上というだけで何となく偉そうにして
陰で馬鹿にされる人間にはなりたくない。
でも、今まで散々年上に偉そうにされてきたから、
偉そうな口の利き方しか知らない。
どうすればいいんだろう?
試行錯誤の繰り返しだ。
敬語を遣われるのはどうも苦手だけど、
慣れなきゃいけないのかな?
心理的にすごい距離を取られているみたいで、
不安になる。
大人になるのってこんなに大変なことだったんだ。
大変なら、若者気分のままでいればいいのかな?
そういう大人(で、若さを羨む人ね)もたくさんいるし。
だけど、やっぱり、馬鹿にされる大人にはなりたくないから、
頑張って、大人の階段を一歩一歩昇り続けたい、と思う。
(もうシンデレラじゃないっすけどね。)
個人的に、「一生懸命」とか「頑張る」って言葉を
間違ったところに使い続けてたトラウマがあるので
すごい慎重になっちゃうんだけど。
「大人」という言葉も「先生」という言葉も
随分軽くなってしまった世の中だけど。
一生懸命、いい、大人になろうと思います。
人生の目標として。