私は幼稚園の時から社会人になるまで、ずっといじめられっこでした。

今は大切な夫も友達もいるけど。


いじめられていた時、私はとても無表情ででした。

何も感じなかったからではなくて、

どうしたらいいのかわからなかったからです。

ある日突然クラスメイトに無視されても、

机の中に変な手紙が入っているのに気付いても、

それに対してどんなリアクションをとればいいのか

本当にわからなかったのです。

泣けばいいのか、怒ればいいのか、笑えばいいのか、

そんなこと考える余裕すらなかった。

私はただ起きたことに対応するのに精一杯で、

何も考えられなかった。

どうしよう。それだけ。

傍からは我慢強いとかふてぶてしいとか思われて、

それでますますいじめられたんでしょうけど。


家に帰ってもいじめのことを親に悟られたくなくて

曖昧な笑顔を作りながら、

仲の悪い両親の機嫌を注意深く伺っていました。


中学の時からずっと好きだった人はいたけれど、

一度も想いを言葉では伝えられませんでした。

精一杯、目で訴えるだけで。


昼休みの音楽室や、いつもの一人ぼっちの帰り道、

自分の部屋の中で、夜空を見上げながら、

私は毎日歌を歌っていました。

たくさん英語の歌を覚えて、歌詞を人に聴きとられないように。


心の傷が少しずつ癒えて、

そんなこといつのまにか忘れていたけれど、

私は感情を言葉で表現することがあまり得意ではない人間でした。

表現するもしくはできる相手が誰もいなかったから。

私は自分のことを、表現する人間だと思ってきました。

いろんな人にもそう思われてきたかもしれません。

そう思わされてきたのかもしれません。

でも違いました。


私にとって「歌」だけが、感情の表現でした。

嬉しい、悲しい、苦しい、切ない、と誰かに伝える代わりに、

嬉しい時には嬉しい歌を、切ないときには切ない歌を選んで、

一人ぼっちでいつも歌ってきました。

誰かに聴かせるためではなく、

私は一人ぼっちの私のために歌ってきました。

もしかしたら誰かに聞こえて何か伝わればいい、というような

ほんの淡い期待を胸に。

その小さな期待だけが私と世界を辛うじてつないでいました。

世界と自分との間に見えない壁があって、

私はいつも、それを破りたいと願っていました。


今、昔ほど孤独じゃなくなって、安心できる幸せを手に入れて、

歌も昔ほど必要じゃなくなって、

私は時々歌うことを忘れたりします。

でもやっぱり、私の覚えた歌の数は、

私の感情の数であることに変わりはないから。


たくさんの人に褒められたりして、

誰かに聴かれるために歌わなきゃ意味がないような気がしてきて、

プロになることに拘った時期もありました。

音楽は誰かの耳に届いてこそ意味があるのは、

ある程度真実だと今でも思います。

だけど、私は、私のために歌い続けようと思います。

私の歌は、私が聴いているから。

そしてこれからはもう少し、夫に聴いてもらうことにしました。

自分のためだけのものだったから、照れ臭いし、緊張するけど。

歌という感情が私そのものだってことを、

もっと夫に知ってもらいたくなりました。

夫はもっと知りたいと思うと言ってくれました。

私の夫は、私のことをもっと知りたいと思ってくれる人でした。


私の歌う意味が初めて、誰かに伝えるためのものになりました。


歌詞を訳したり、ちょっと手間だし恥ずかしいけど、

ちょっとだけ頑張ってみようかな、と思っています。