NHKでウィンブルドン2008男子決勝戦、

フェデラー対ナダルの総集編をさっき見ました。


やっぱフェデラーかっこいいっす。


しかし実況の人、完全にフェデラー贔屓でしたね。

私はフェデラー大好きだからいいけど、

ナダルはフェデラーとはまた違う良さがあるはずだし、

どっちももっと均等に評価した方が

実況としては面白くなったような気がする。

あの実況じゃナダルの良さは全然伝わってこなかったし、

だから何でフェデラーが苦戦して負けたのかも伝わってこなかった。


あんまりにも実況の人がフェデラー贔屓すぎて、

解説の人がこっそりナダルをフォローするコメントを

(ほとんどツッコミのように)かぶせてたのにはちょっと失笑。


でもまぁ、フェデラーかっこよかったからいいんです。

勝ち負けとかじゃなくて。

てことでいいから語らせて。


フェデラーのフォームとか体のバランスとかタイミングの取り方って、

信じられないくらい美しいと私は思う。

ずっと前にもこのブログで書いたけど、

サッカーのロナウジーニョと同じで、

スポーツとかそういうカテゴリーを超えた美しさがあると思う。

物凄い練習を重ねてきた賜物なんだと思うけど、

「テニスのテクニック」というよりも何かとてもシンプルな、

「人間という生き物の真実」のようなものを手にしているような・・・。


限りなく完璧なフォームというのは、

そのフォームに人間を追い込むのではなくて、

限りなく人の心と体を解き放ってくれるものなんだと、

超一流の選手を見ていると感じます。


変な比喩なんですけど、ちょっと聞いてもらえます?

私は芸術とかスポーツとかって、

昔のクラフトの粉チーズの蓋みたいだと思ってるんです。


・・・何のこっちゃ?


ていうか、覚えてます?粉チーズの蓋。

あの、半月形の穴と、小さないくつかの丸穴があって、

スライドして穴に合わせると中身が出てくるやつ。

(今はただ蓋が付いててぱかって開ける方式に変わっちゃったんですけど。)

いや、私も何だか記憶が曖昧になってきちゃったんですけど。


別にきっちり穴を合わせなくてもそれなりに中身は出てくるし、

それでよければいいんだと思うんです。

でもきっちりと綺麗に穴を合わせると、

すごいスムーズに中身が出てくるでしょう?

逆に、どんなに中身を出したくても、

蓋が閉じたままじゃ何も出てこない。

出したい気持ちだけじゃ何も出てこない。

必要なのは、ちょっとスライドすること。

相手にちょっと合わせること。

いや、合わせてもらう?

どっちかなんて実はわからないけど。


大抵の人は穴を合わせるのに必死で、

粉チーズをナポリタンにかけるのが目的だってことを忘れてしまう。

粉チーズの蓋ならそんなに難しくないけど、

芸術やスポーツだと技術を磨くのはとても大変で、

心と体を解き放つという本来の目的を忘れてしまう。

逆に、心と体を解き放ちたい衝動さえあれば、

技術を磨かなくてもいいと思って甘えてる奴もいる。

世の中で芸術家とかスポーツ選手

(選手って言い方は嫌い。プレーヤーが正しいと思う)とか

名乗ってる奴の9割9分はそのどっちかだと思う。

そんな中で、ほんの一握り、

天分と努力と、心の美しさと賢さを持った人だけが、

本当にちゃんと粉チーズの蓋をきちんと合わせたら、

こんなにスムーズにたくさんチーズが出せるんだよ、と

教えてくれるんだと思う。


大切なのは、完璧な技術を手に入れることじゃなくて、

自分の中のパワーを解き放つ形を知ること。

たまたま運だか才能に恵まれて、

フェデラーならテニス、ロナウジーニョならサッカー、

熊川哲也ならバレエ、って

自分にとっての型がわかりやすい人もいる。

というか、「天才」とか言われてる人って、

要するにそれだけなのかもしれない。

そういう意味で言えば、

サフィン(テニス)とか北島マヤ(演劇)は、

粉チーズの蓋を合わせることよりも

粉チーズを出したい衝動の方が勝っている点において

天才っぽく見えて実は「凡人」なのかもしれない。

逆に、たくさんの人が忘れ果てている

「中身を出すことが目的」ってことを

思い起こさせてくれる存在って確かにとても貴重だし、

その点だけに焦点を当てればある意味天才とも言える。

(ていうか、そういうのをロックって呼ぶんだよね。)


だけど私たち一人一人がやるべきことは、

ラッキーな天才に憧れることでもなく、

衝動だけでいいと開き直ることでもなく、

自分にとってちょうどいい「心と体の解き放ち方」を見つけ、

それを実践していくことじゃないだろうか。

それが料理でもお皿洗いでも、

パソコンを打つことでもプロジェクトを推進することでも、

その人にとってそれが「解放」なら、

すべて芸術と呼べるのだと思う。


音楽をやっていれば誰でも芸術家なんかじゃない。

スポーツをやっていればスポーツ選手な訳じゃない。

音楽を奏でながら、絵筆を握りながら、

心の鍵を堅く閉ざす自分を甘やかしている人間がどれほど多いことか。

体を鍛えることは心や魂をがんじがらめに縛りつけることだと

勘違いしているスポーツ選手がどれほど多いことか。


芸術もスポーツも、ただのカタチの一つでしかない。

人間が生きるっていうのはそういうことじゃない。


人間が生きている本当の美しさは、

本気で内なる力を解き放つことだと、私は信じている。


そういう意味で、

私はロジャー・フェデラーという人に圧倒的な美を感じざるを得ないし、

その美しさは私が夫を見て感じる美にとても似ている。

私の夫は芸術家でもスポーツ選手でもないけれど、

私の知っている他の誰よりも「生きること」を知っている人だから。


いや、こないだサフィンかっこいい!ってさんざん騒いだ後で

言うのもちょっと何かな、とも思うけど

(サフィンが嫌いになったわけではないというか

今でもほんとすごいそそられるタイプなんですが)、

なんかフェデラーって、

見れば見るほど心に沁みてくる深い美しさがあるんだよね。


2ちゃんとか見るとキモイとか言ってる人もいるし、

別にかっこいいとか思わない人もたくさんいるのかもしれないけど、

私の心はこの人の比類のない美しさを知ってしまいました。

その美しさがどうしようもなく、私の心を、人生を照らしてしまう・・・

ある意味私の中ではヴィヴィアン・リーと並ぶ勢い。

すげえ。


まあそんな訳で、

フェデラーかっこいい!やばい!超かっこいい!

と連発していたら、

夫に

「君もちゃんと普通の女の子だったんだね・・・ちょっと安心した」

と言われました。

・・・まぁ確かに今まで

「ガッキー可愛い」とか「綾瀬はるかちゃん可愛い」とかばっか言ってたから

男の人に本気で萌えるオイラって旦那は初めて見たんだと思う・・・がくっ。


いいじゃん、私は理想が高いんだよ!

だからうちの旦那と結婚した訳ですよ。(のろけだ!!!)


ちなみに私のケータイはスライド式でして、

開けた時と閉じた時で壁紙が変わるんですが、

ちょっと前までは

開けた時がサフィンくんで

閉じた時がサフィンとフェデラーだったのが、

今は

開けた時がフェデラーで

閉じた時がサフィンくんに変わりました。

サフィンくんちょっと乗っ取られてます。


つーか、サフィンくんもかっこいいし、フェデラーも最高だし、

ああもうどっちにしよう?!と揺れ動く乙女心(爆)が

自分で楽しくってしょうがない最近のオイラですww。


いやー、世の中いい男が多くて大変だわ!

ていうか楽しくってしょうがないわ!

正直私は、「いい男がいない」なんて言ってる奴らが信じらんないっすけどね。


あ、矛盾しているようですが、

私はテレビに出てる人ような綺麗な男よりも

普通にサラリーマンとかしてるむさいような男の方が好きなんで、

テレビの中の男性に心を動かされることはあんまりなくて、

逆に現実世界の方がいい男の宝庫だと思ってるんで。

出会える可能性が低くてしかもテストステロン値も低そうな男なんて

いちいち相手にしてられませんわ。

生殖活動におけるメリットをまるで感じない。うん。

身近でテストステロン値高そうな男にいちいち時めいてた方が

メスとして健全だと思うわー。

(だからと言って不倫するかどうかは別ですよ。しませんよおいらは。)


という訳で、そんな私がテレビの中の人に

鼻血出しそうなほどコーフンするなんてよっぽどのいい男ってことなのです。

そんな滅多にないいい男がいっぺんに二人も出てきたら、

頭の中がお祭り騒ぎですよ!

三社祭と祇園祭がいっぺんに来たようなもんさ!!

屋台の食べ物全部食いつくすぞくらいの勢いですよ!

(祇園祭って屋台とかあるのかな?まあいいや。)


あ、不倫で思い出したけど、

山本モナさん、あの人面白いねー。

二度もこんな騒ぎ起こすなんて並大抵の人にはできないでしょ。

何かフジテレビに抗議殺到らしいけど、

私は正直、そんな過敏に反応するようなことでもないと思うんだよなー。

大体他人の生殖活動に口を出すなんて野暮だと思う。

もちろん既婚者と関係を持つってことは

今の世間からは批判を浴びることだという認識は持ってなきゃいけないけど、

そんなことばっか考え過ぎて

生物としての性衝動を自分で正しく認識できなくなってる人が

多過ぎる世の中の方がよっぽど問題じゃないかと思う。

自分がやっていたり求めていたりするのが

自己保存としての行為か

種の保存としての行為か

自分ではっきりわかってない人、多過ぎじゃね?

ていうか私もそうだった。

夫と出逢う前の私は、自己保存としての行為しかやってなかったと思う。

そういうことやってても絶対満足できないし、

どんどん変な嗜好がエスカレートしていくだけだと思う。


どんどん話が変わっていってすまんのだけど、

最近たまーに江戸時代の春画を見ることがありまして。

今の成人向けのものとかとすごい違うな、と思ったのは、

構図のダイナミックさとかよりも、

生殖活動はあくまで生殖活動だから、というさばさばとした目線。

今どきの成人用のものって、

何というか、精神的なことに入り込み過ぎてる気がするんだよね。

サディズム・マゾヒズムとかそういう嗜好とか、

コスチュームとかで関係性を規定することによる「萌え」とか、

生殖活動というよりも、

生殖活動を使った「精神活動」、という面が強過ぎると思う。

生殖活動を使った精神活動ってようするに

種の保存よりも自己保存としての行為だと思うし、

そういうのが多過ぎて逆に、

種の保存としての行為としてのあり方、見方とか扱い方が失われているのは、

実は凄く深刻な問題だと思う。

もともと未成年を性的なものから遠ざけるというのは

生殖活動の名を借りた精神活動の罠に嵌ってしまわないように保護する

という目的があったんだと思うんだけど、

手段の目的化が進み過ぎて、

ただ禁止するだけで、

誰もそもそもの目的なんか思い出せなくなっちゃったんじゃないかと。

だから今の時代、純粋な生殖活動というのはもう

個人の感覚に頼るしかない状況な訳で、

で、個人の感覚なんて、メディアの洗脳の前にはすげー無力なわけよ。

よっぽどの自覚と意志と正しい知識がなければあっという間に流されてしまう。


話がだいぶ大きくなったけど、

今の時代、純粋な生殖活動に辿り着くためには

絶対に個人の感覚に正直でいる努力が必要だし、

その間には精神活動に流れてしまう時だってあると思う。

でも、そうやって失敗を重ねながらじゃなきゃ手に入れられないものもある。

山本モナさんのやった行為が純粋な生殖活動だとしたら、

責める方が野暮だと思うし、

精神活動だったとしても、個人の感覚に正直だったという点において、

私達は彼女に見習うべきものを見出せると思う。


before you judge me, try hard to love me.

(裁く前に、頑張って愛してみて。)

マイケル・ジャクソンのCHILDHOODという曲の歌詞の一部です。

彼女の行為を「倫理的に」裁く前に、

私達にはするべきことがあるんじゃないかと思う。


動物的な本来の感覚、感性、本能に本気で耳を澄ますこと。

目を閉じて、ちゃんと聴いてみて。

自分のやるべきこと、自分にできること、進むべき道、

それは最初から自分の中に備わっているんだよ。

たくさんの「常識」という思い込みから自由になって。


自由というのは選択肢があること。

選択肢をちゃんと認識できて、自分で選べること。

自分で選んだという実感が持てること。

選択肢を狭めているのは自分。


山本モナさんに限らず、世間で非難を浴びている人は、

そういうことを私達に伝えるために間違いを犯してくれているのかもしれない。

私達は彼らを責めるだけじゃなく、

彼らを他山の石として何かを学ぶ必要があると思う。

そうしたら、責める心じゃなくて、感謝の心が生まれる。

難しいけれど。


たくさんの問題ある人と、たくさんの素晴らしい人と、

みんなちょっと似ていて、みんな一人一人違っていて、

だから面白いんじゃない?

この世の誰もがひとりひとり、問題もあるけど素晴らしい人だと思う。

そういう個人に対する敬意が普及していて初めて

民主主義とか政治とかも正常に機能するんだと私は思っている。


美、自由、生殖活動、政治、と色んな話をここまでしてきたけれど、

私にとってはどれもが密接に結びついている。

人間という生物において。


「国家」は人間の頭の中にしか存在しない。

あるのは人間の心の働きだけだ。

形の無いものばかりが尊ばれすぎる世の中なんか絶対おかしい。

形有る物の美しさにみんなもっと目を向けようよ。

限りあるからこそ美しくて、完璧じゃないからこそ愛おしい。


完璧や無限を描けてしまうことこそ、

人間の脳の最大の欠点・・・ていうかバグ?だと私は思う。

ならばそのバグを有意義に使おう。


ロジャー・フェデラーという一つの有限の中に、無限の美しさを感じて心に刻もう。

無限を目指す不器用なロックに頭を揺らしてぶっ飛んでみよう。

山本モナさんの愚かな行為を笑ったら、一緒に自分の不完全さも笑い飛ばしてしまおう。


有限の小さな命の中で、私達は無限の愛を描けてしまう。

人間とはそういう生き物なのだと感じながら、

私はこのちっぽけな人生を夫と共に全うしたいと思う。

たくさんの人に、物に、愛を感じながら生きていきたいと思う。


昔はあんなに辛かった人生が、

いつの間にか嬉しくて楽しいものになりました。

私を変えてくれたすべての人(特に夫)に、すべての物に、ありがとう。

・・・今は、特に、フェデラー?!

ていうか結局その話か!!


いやー、何度ケータイの待受見てもついデレデレしちゃうんすよねー。

どうしよう。

鼻血出そう。

ていうかホントに出る?!

ティッシュティッシュ!!!!


じゃ!