ちょっと前に、この歳になって初めて、

『星の王子様』を読みました。

久し振りにプラネタリウムに行った時に売店で目にして、

なぜか少し気になっていました。

帰りの電車に乗る前に、私は駅構内の小さな本屋さんに立ち寄りました。

再び目に飛び込んできたその本を手に取るのに躊躇はありませんでした。

本と出会う。

人生には時としてそんなささやかだが素敵な瞬間が訪れることがあります。


帰りの電車で私は夢中になって読みました。

電車の中で必死に涙を堪えるという感覚はとても懐かしいものでした。

乗換えの駅に私は飛び降りました。

その駅に着いたと気付かないほど没頭していたのもあるし、

電車の中で涙を零してしまわないように、と少し必死になったのもあります。

その夜は上京してきた父と二人で飲むことになっていました。

父を待つ間、私は駅の改札の前でずっとその本を読み続けていました。

それくらい、惹き付けられる本でした。


私の時間に関する感覚は、他の人と少し違っているのかもしれません。

私は時を直線だとは捉えていないし、

過去に戻りたいと本気で思ったことは人生の中で一度たりともありません。

そう思う理由ですが、

前者については、過去の私が直線的に「進歩」しているとは思っていないから、

そして人間の人生は、おそらくは螺旋のように、

来た道を辿りつつ同じことを繰り返しては変化していくだけのような気がするから。

後者に関しては、私の人生で戻りたいと思えるような幸せな時代は無かったから、

またあったとしてもその頃の未熟で不器用な自分にはなりたくないから、です。

いや、でも戻りたいと思った事がないのはちょっとだけ嘘かな。

何かを失う度に、失う前に戻れたら、と少しは願ってしまうから。


『星の王子様』はとても意味の深い本だと思うので、

一度しか読んだことのない私が何か大層な講釈をたれる気はありません。

ただ、この本はその時の私に本当にちょうどいいタイミングで訪れた、

運命のような本でした。

たぶんこのタイミングでしか、この本には出逢えなかったような気がします。

私がこの本を読んだ時に受け取ったのは、

人生の時間についての素敵な贈り物でした。

出会うこと、思いを注ぐこと、さよならをすること、たったこれだけのこと。


この本を読み終えて一番最初に思ったこと。

それは、この本を知らなかった自分にはもう戻れないということ。

たくさんのさよならに打ちひしがれても、

そして時間を取り戻したいと思っても、

私はこれまでのすべての悲しみを経てこの本に出逢った

今の私自身以外の何者にもなれないということ。

それは奇跡のように素敵なことに思えました。


さよならを言うことは、少しだけ死ぬことだ。


というのは私が今読んでいるハードボイルド小説で

レイモンド・チャンドラー著『ロング・グッドバイ(長いお別れ)』の中の有名な台詞ですが、

『星の王子様』にもちょっと通じるものがあるのかもしれません。

この台詞について解釈を述べるのも野暮だと思うのですけれど。


さよならを言ったとき、私の心の一部分は確かに千切れるほど痛かった。

でも痛みは時間と共に和らぎ、

その部分は私の中で静かに死んでいったような気がします。

心の一部分の亡骸に時々触れてみるとき、

その微かな痛みが『星の王子様』に出逢わせてくれたことを思い出します。

王子様が言った通り、私は確かに笑顔になっています。

その笑顔が王子様がくれたものか、

さよならを言った相手がくれたものか、

大した問題ではないでしょう。

どちらとも、今の私の目の前にはいないのだから。


外には桜が咲き始めて、色んなことを思い起こさせます。

全ての過ぎ去った出来事を、

もう少し優しく思い出してみるのも悪くないかな、と今年は思います。


花の話をすると、

春の花では、私は木蓮の花が好きです。

まだ寒い中、重たそうな蕾をたっぷりと抱えて

春を今か今かと待つような木が好きです。

春の日差しを先取りするような、

花びらの柔らかく暖かな白がとても好きです。

私には優しく誠実で力強い花に見えます。


それと毎年恒例になっているのが、

夫と二人で藤を見に行くこと。

桜もすっかり散って人々が花のことを口にしなくなった頃、

人の心を搔き乱すかの如く咲き誇る艶やかな花です。

風に揺れながら人の心を揺らすたおやかな花です。

雨に濡れれば涙に濡れた切ない女のようです。

初夏の爽やかな日差しの似合う快活な笑顔のようでもあり、

月明かりに無限の影を落とす謎めいた眼差しのようでもある。

まことに不思議で高貴な魅力溢れる、私の一番好きな花です。


いや、話が随分と逸れてしまいました。

花を想うのは人を想うのに少し似ています。

花を見て私が感じるのは、

咲く花はいつか散るという儚さではなくて、

いつか同じ季節が巡ってくる度に再び逢えるという

ささやかな約束。

この世界に希望というものがあるのだとしたら、

花はいつもその存在を証明してくれているのかもしれません。

私の時間とあなたの時間の螺旋は、

いつもどこか重なり合う場所を探し続けている。

それが、命の奇跡。


今日ちょっと用事で出かけた帰り道、

人生は旅のようだと思いました。

一人でどこかに出かけてどこかお店に入った時、

私はつい夫の好物を探してしまうのが習性になっています。

どうしてだろう?と自分でも不思議に思っていたのですが、

答えはとても単純なことでした。

どんな近くでも遠くでも、一人で出かけたら

それは私にとって「一人旅」なんだな、と。

そして、旅のお土産を夫にあげたいんだな、と。

離れていた時間もあなたのことを想っていたよ、というささやかな印。

人生という旅を足並みを揃えて進んでいくのが夫婦だけれど、

ずっと毎日24時間一緒にいる訳じゃない。

他の誰よりもしょっちゅう、毎日顔を合わせているけれど、

自分の人生はやっぱり自分の人生で、

同じように夫には夫だけの人生がある。

違う人生の螺旋がずっと付かず離れずツイストして、

ずっとそばで生きていく。

宇宙の中に物凄いたくさんの螺旋が存在する中で、

ずっと寄り添っていける一対がここにある。

何て美しい奇跡なんでしょう。

これ以上大切なことなんて他にないんだと、

私はちゃんと感じながら生きていたいと思います。


春は出逢いと別れの季節と言い古されているけれど、

出逢いと別れの間に、

どれだけの想いを相手に注いできただろう?

どれだけの想いを相手に注いでいけるだろう?

そんなことを教えてくれる季節、なのかもしれません。


まだ三寒四温。

体に気を付けて、元気で。