アップさぼっててごめん。以下雑文です。
1.新しい仕事始めました。
仕事は何をやるかより誰とやるかだと思ってましたが、
相互に影響し合って良い方にも悪い方にも転ぶもんだな、と今は思います。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と云いますが、
「袈裟が憎けりゃ坊主まで憎い」も、ありうる。
逆に、好きなら「あばたもえくぼ」、ですしね。
人間の「好き嫌い」なんていい加減なもんだ。
だから仕事は「好きでやる」ようなもんじゃなくて、
あくまで「食い扶持稼ぐためにやる」ものだと思う。
2.1に関連して、最近読んでいる本。
結構売れているらしく丸善で平積みされていたけど、
『他人と深く関わらずに生きるには』 池田清彦著 新潮文庫
という本。
まだ途中までしか読んでいませんが、なかなかの名著だと思います。
「病院にはなるべく行かない方がいい」とか
「ボランティアはしない方がカッコいい」とか、
正直途中までは、おいらの言いたかったことを全部言われちまったような感じがしました。
やや乱暴過ぎる部分や細かい事実の誤認などはありますが、
構造主義生物学という彼のベースが哲学となって見事に昇華した本だと言えると思います。
支配する側に都合の良い幻想をとことん剥がしたら、
人間の生物としての自然な姿はこうなっているんだ、というのが
ちょっとシニカルかつコミカルに書かれています。
物事を見たいようにしか見ないで簡単に断定してしまう欺瞞に満ちた本が多くある中で、
騙されずに本当のことは何なのか探究を続けてきた人の本というのは大変貴重なものです。
例えどんな場所にいても自分で探さなければ何も見つけられない
(槇原敬之『夏は憶えている』~アルバム『EXPLORER』より)
自分で探す力を自分の中に再発見するいい機会をくれる本だと思います。
おすすめ。
3.会社にあったので借りてきて読んでる本。
『脳と魂』 養老孟司・玄侑宗久 共著 筑摩書房
養老孟司と玄侑宗久の対談をそのまま収録した本です。
私は対談本って基本的に読み辛くて苦手なんですけど、
この本はわりとつっかえずに読めます。
養老先生は解剖学の先生で宗久さんは坊さんっていう違うジャンルだから、
どっちの使ってる言葉かぱっとわかるからだろうと思います。
やっぱり言葉って「身体生理の発露」(by福田恒存)なんやなー、と実感。
経験とか環境とか、色んなものが体に沁み込んでいって、
それが声に言葉に現れるんだな、とつくづく思います。
内容的には今のところ、
「行住坐臥」っていう日常の身体性が完全に無視されている、という話が非常に興味深かったです。
体を無視して頭だけで考えることの限界を私自身強く感じていて、
自分の身体性を見詰め直すことを色んな方法で試行錯誤しています。
そんな私に色んな方向からのヒントをくれる、刺激的な本です。
タイトルの付け方は…正直ちょっと腑に落ちない。
この本にあるのはただの抽象的な議論ではなくて、
一見抽象的な話を、世間のいろんな実際の事象から論理的に解明していく
非常に科学的なプロセスなのです。
頭だけで考える無意味に難しい哲学書なんかを無理して読むよりよっぽどためになります。
…ていうか大学の「哲学」って人間に肉体があって生きて死ぬ存在だってことをモロに無視して
ひたすら抽象的な議論っていうかほとんど言葉尻掴んで挙げ足の取り合いみたいになってる気がするんだけど、あれってどうなの?
しかもそれが理解できない人間を馬鹿にするって思考回路もどうなの?(←思い出し怒り。。)
私に言わせれば人間に肉体があって生きて死ぬこと以上に知る必要のあることって何なのさ、
と思うけどね。
それを無視したり忘れたりしてする議論なんて始めっから意味無いと思うんだけどね。
話が逸れました。
本の話に戻ります。
それにしても二人とも知識の幅が物凄く広い!
爺さん二人の蘊蓄自慢みたいなところもあるけど(笑)、
あれだけ凄ければ許す!(何様だ私)
というか、単なる知識自慢じゃなくて、
その知識が彼らの思考回路にきちんと場所を得ているのが凄いんだと思います。
ただの知識じゃなくて、ちゃんと知恵として働いているということですね。
ただ、一つだけ反論。
「大体の抽象的な話は仏教に書いてある」、って、確かにそうかもしれない。
だけど、今の時代に今を見つめてることでしか見えないことは必ずあると思う。
というか、そう思っていたいと思う。
だって、昔の人がいいこと言ってるからって全部それを真似してしまうのは、
自分の頭で考えるのを放棄することだから。
自分っていう唯一無二の存在が今ここに生きて何を感じるか。
そしてそれをどう人に伝えていくか。どう受け取るか。
日々修行なんだよね。
だから、「大体の…」とかそういう乱暴なことを言うのは不遜だと思うし、
あんまり意味が無いんじゃないかな、養老先生。
でもそんなところは置いといて、
自分の糧になるところだけ上手く吸収しながら読んでいこうと思います。
本を読むのは著者との対等な会話であって、
先生の話の拝聴ではないからね。