「何が正しいか」と「何が幸せか」はどっちの方が優先されるべきだと皆さんは思いますか?
私は、「何が幸せか」だと思います。
でも、「何が正しいか」を優先させる人、というか「何が幸せか」という問いの存在すら気付いていないような人はたくさんいます。
私もそういう人の一人でした。
自分が信じる「何が正しいか」を押し付けて沢山の人を傷付けてきたのだと今は分かります。
過去に傷付けた人達みんなに謝りたいとも思うけれど、
私は今自分の前にいる「何が正しいか」しか見ようとしない人との関係を、よりよいものにしていこうと思います。
(あっ、相方のことじゃないよ。ちょっと最近周りの人とヤなことがあって。)
安易に日本を語るつもりはないのですが(って今までも結構語っちゃってますが)、
たぶん日本の教育は「何が正しいか」しか見ていないのだと思います。
家庭教育も学校教育も。
私の愛読書の一つに、『りんごは赤じゃない』という素晴らしい教育書があるのですが、
その中で河合隼雄氏は
日本の教師は「教える」ことに重みをかけすぎて「育てる」「育つ」のことを忘れすぎる、と言っています。
「何が正しいか」を上から教え込もうとするくせに、「何が幸せか」自分で学んでいくのを横からそっと見守ることを忘れ果てている。
「教育」というよりはもはや「矯正」といった方がしっくりくるのではないでしょうか。
そんなふうな教(育?)を受けた人達がどんどん大人になって、下の世代に同じような教(育??)を施していく。
大人自身が「何が幸せか」を考えることもなく、子供達に「何が正しいか」だけを強制していく。
「何が正しいか」から外れた子は問題児扱いされ、
「今どきの若いもんは・・・」と大人達は顔をしかめる。
私から見れば「問題児」や「非行少年少女」なんて、
「何が幸せか」を諦めない立派な根性の持ち主だと思うんですけど。
大人達にあっさり洗脳されて大人達の操り人形になっていた私なんかよりずっと。
自分を洗脳した大人達と同じように人を操ろうとするようになっていた私なんかよりもずっと。
でも私の場合、たくさん辛くて痛い思いをしたおかげで、「何が正しいか」だけじゃ通用しないことに気が付くことができました。
そして、辛抱強く私と向き合ってくれる相方のおかげで、「何が幸せか」を学ぶことができました。
私は過去の自分と現在の相方のお蔭で幸せに生きています。
そしてそのことに心から感謝しているし、そう素直に思える今の自分を誇りに思っています。
私はたぶん、すごく運がいいんだと思います。
日頃の行いも・・・ちょっとはいいのかな(笑)。
だから、「何が正しいか」で周りを無暗に傷付ける人は、運が悪いんだな、可哀想なんだな、と思うことにしよっかな、と。
傲慢なような気もするけれど。
そうそう、私の中のアダルトチャイルド問題ですが、最近またちょっと心境の変化がありました。
私は親に対してここ1カ月くらいかな、ずっと怒って(いかって)いました。
不平不満を持つことすら自分に禁じていたのを解いたら、
物凄い怒りの感情がまぁいくらでも出てくるもんだ。
怒っても怒っても足りないくらい後から後から隠していた感情が溢れ出してきて止まりそうになかった。
それがだんだん落ち着いてきたところに、親からのメールが来ました。
私は極めて冷静な口調で、
今私はアダルトチャイルドという心の癖と一生懸命向き合っているから、
距離を置く時間が欲しいので協力してほしい、という趣旨の返事を送ることができました。
親は一定の理解を示してくれたようで、そういうメールをまたいっぱい送ってきてくれました(苦笑)。
で、その親の一生懸命(というよりはむしろ必死?)なメールを読んでいるうちに、
何だか可哀想になってきてしまったんです。
私の思いがまるで通じていないことがありありと分かるような文もあったりして、
以前の私ならそこでイラッとしてしまったと思うのですが、今回は違いました。
一瞬イラッとして、それから、ああ、こんな分からず屋の親に怒ったってどーしよーもねぇな。と。
子供が親に対して怒りの牙を剝くのって、親に対して何らかのサインを出してるんですよね。
「非行」なんか一番分かりやすいんだけど、
分かってほしい、理解してほしい、考えを変えてほしい、自分を愛してほしい、って
時には自分の体や心をボロボロに傷付けることでサインを出している。
そのサインを親が見過ごせば怒りはどんどん増すばかり。
で、ある時気付くんだよね。
怒ったって通じないような親なんだって。
その程度の人間なんだって。
別に神様でも何でもない、自分が生きるだけで精一杯の可哀想な一人の人間なんだって。
私の場合は、親が「何が正しいか」を教え込もうとしかしなかったこと、「何が幸せか」を心から感じるための手助けなんか一度だってしてくれなかったことに猛烈に怒ってた。
でも、今、現に私はもう「何が幸せか」が分かるし、
一方の親は「何が正しいか」しか尺度の持てない可哀想な人なんだって思ったら、
ふっつりと怒りが出てこなくなった。
そして、自分のことだけでも精一杯な人が、私を大きくなるまで無事に育てるなんて大変なことを投げ出さずにやってくれて、本当にありがたいな、と思った。
親は親だから偉いんじゃなくて、
親だってただの人間なのに、同じ人間一人育てるなんてえっらい大変なことを背負ってくれるから偉いんだな、と今は思う。
だって考えたら親が神様なんだったら別に何の苦もなく育てられて当たり前でしょう?
それだったら別に感謝する必要もない。
だから、親も神様にならなきゃ、完璧な親にならなきゃなんて思うことなんかないし、
子供も親のことを神様みたいに思わなきゃいけないこともない。
親が別に神様じゃないって分かって、親への怒りから感謝が生まれて、
その時初めて私は考えた。
そんな親に何がしてあげられるだろう。
そして親に対してしてあげられることの少なさに愕然とした。
親が自分にしてきてくれたことに対して、私にできることは、何て、何て少ないんだろう。
その時、私はどれだけ自分がちっぽけな人間かを思い知らされた。
今、初めて私は心の底から親に感謝する気持ちを知った気がする。
ありがとう。
本当にありがとう。
でもやっぱり、「親に感謝しなさい」とは自分の下の世代に「教え」たくはない。
自分の本当の幸せを探す旅の中で、いつかその気持ちを見つける人になってくれたらいいなと思う。
親への感謝という気持ちは、「正しいこと」ではなくて、そう思うことが今の私にとっての「幸せ」だから。