一曲の音楽が、他のどんな言葉や行為よりも役に立つのはどんな時なんだろう。
本当に必要とされる音楽って何なんだろう。

音楽で飯を食っていた頃から時々考えてきたテーマです。

例えば母の日に感謝の気持ちを伝えるなら、1枚のCDを送るより、1本の電話を入れて「ありがとう」と伝える方が良かったりする。

音楽を愛するとか言えば聞こえはいいけれど、音楽以外の人生を愛するのを忘れていないか。
人と人の間に人間がいて、それぞれの人生が触れ合って、それで初めて音楽が存在する。
当たり前のことかもしれないけど、私はそれを学ぶのに随分な時間をかけてしまいました。

音楽に救いを求めるのではなく、良い友達として付き合っていくやり方は、いまだに試行錯誤だけれど…。

私にとってとても大切な音楽があります。
冒頭に書いたことで言えば、その音楽が誰にも勝る親友になる時があります。

最近キムタクドラマの『華麗なる一族』に使われていたらしいですが、私はそのずっと前、たぶん中学くらいかな、ラジオで聴いてから気になっていて、大学時代に曲名を探し当てて覚えた曲です。

EaglesのDesperadoという曲です。

著作権法上問題があるかどうかわかりませんが、歌詞の翻訳を自分なりにしてみようと思います。

が、その前に。
タイトルのDesperadoという単語について少し注釈を付けたいと思います。

desperadoは通常「ならず者」と訳されるので、以下の歌詞翻訳にも便宜上これを使わせてもらおうと思うのですが、本当は私はやや違ったニュアンスで受け止めています。

desperadoという単語はdesperateという形容詞の派生語です。
最近人気の海外ドラマ『デスパレートな妻たち』の番宣ではdesperateは「がけっぷち」と訳されていましたが、巧い訳だと思います。
ドラマのテイストと同じくちょっとコミカルな感じになりますね。
辞書を引くとdesperateには「自暴自棄の」とか「絶望的な」という意味が出てきます。
お気付きかもしれませんが、desperateという単語は「絶望」を意味するdespairから来ています。
「絶望する」「諦める」という意味の動詞、及び「絶望」「自暴自棄」という意味の名詞として使われます。
はい、これで単語を一度に三つ覚えられましたね!

…英語の授業やってるんじゃなかった…。

えっとそんなわけで、desperadoという単語はとりあえず一応「ならず者」と訳しますが、「絶望的」だとか「どうしようもない」だとか、「やばい」奴、といったニュアンスを含んでいることを頭の隅に入れて読んで頂ければ幸いです。

では。

・・・・・・・・・・・・・
ならず者 そろそろ正気になったらどうだよ
お前がその柵へと立て籠ってもう随分経つけど
ああ何て頑固なんだお前は
もちろん俺は お前にはお前の理屈があると知っているけれど
そういうお前を悦ばせるものは多かれ少なかれお前を傷付けるものにもなるんだ

なぁ、ダイヤのクイーンを引いたらどうだ?
そいつは調子が良ければお前を負かすだろう
ハートのクイーンはいつでもお前の最強の手だ
さぁ、俺から見ればお前のテーブルには良い手が揃ってるじゃないか
なのにお前はただ手に入らないものを欲しがっている

ならず者 お前は若くなっていく訳じゃないんだ
痛みと飢えはお前を故郷へと駆り立てるだろう
それと自由、そう、自由ね
あれはただそういうこと言ってる連中もいるってだけ
お前の牢獄はこの世界を独りぼっちで歩いてるってことだ

真冬の中で足が凍えないか?
空は雪も零さない
太陽も照らない
夜と昼の見分けもつかない
お前は何もかも誰もかれも失ってく
可笑しくないか?そうして感情が去っていくのは

ならず者よ そろそろ正気に戻ったらどうだ
その柵から降りてこいよ
門を開けるんだ
雨が降るかもしれない
だけどお前の上に虹が架かっている
お前は誰かに愛された方がいいよ
誰かに愛されることを覚えなよ
手遅れになる前に

・・・・・・・・・・・・・

拙い訳で失礼しました。
言い訳じゃないけど、難しい!
ていうか、深い!
この歌は、時々ふと自分に問い掛けてみるように口ずさむのですが、
何度歌っても「ああ!もしかしてこれこういう意味だったんだ!」と理解したりしなかったり…。
ほんと、深いです。

でも最近少し歌う時の気持ちが変わってきたかな。
前は自分に突き付けるように尖った気持ちで歌っていたけれど、
今は噛み締めるように、確かめるように、静謐な気持ちで歌うようになりました。

それと、最近になってやっと、let somebody love you・・・誰かに愛されることを覚えなよ・・・の意味がわかってきたかもしれない。
とりあえず独り身の時はわからなかった。
誰かに愛されたいとか愛したいとかそういう気持ちでいっぱいだったから、
「誰かに愛された方がいい」ってことを教えてくれる誰かに出会いたい!と思ってた。

でも、違った。

私はずっとたくさんの人に愛してもらっていたのに、気付こうとしていなかっただけなんだ、とわかった。
たぶん「愛されたい」と思いながらこの歌を歌っていた時、私を愛してくれている人達は、この歌で言ってるのと同じことを私に教えようとしてくれていたんだと思う。
でも私は自分自身を追究することに忙しくて、周りの出していたサインを無視し続けていた。

自分自身を掘り下げるのも大切なことだけど、周りとの関わりを忘れてまで没頭したら、結局何も出てこないよ、と、最近私の大切な人達に教わりました。

話が変わるようですが、マッキーのCicadaというアルバムに入っている The Future Attractionという曲の中にこんな歌詞があります。

僕といることで君が
君らしくいれるなんて
期待しない方がいい
ただの歌の文句さ

…とんでもない歌詞だと思いましたよ。
でも今になってちゃんとわかってきた。
自分の知ったり理解している自分なんて本当はほんの一部。
塩野七生さんが『ローマ人の物語』の中でしょっちゅう言っているように、
人は自分の見たいと思うものを見たいようにしか見ないものなのかもしれないから。
相手との関わりの中で初めて知ったり生まれてきたりする自分がたくさんたくさんある。
そうやって柔らかく変わっていく自分が楽しくて嬉しいと、今は素直に思う。

自分らしさにこだわれば自分は「自分」でしかいられないけれど、色んな相手との関わりの中で色んな自分になれる。
出会いの数だけ新しい自分を見つけられる。

話がまた飛ぶようだけど、こないだ書いた二宮君の演技のことも同じかも。
演技とか芝居っていうのは、相手が変わればいくらでも人は違う自分になれるんだよ、と教えてくれるもののような気がします。

歳を取っていくと自分の可能性がどんどん狭まっていくような気がするけれど、それは違うんだ。
歳を取れば取るだけたくさんの人に出会って、たくさんの自分になれる可能性がどんどん増えていくんだと思う。

「知らない」とか「無垢」「未知」というのに憧れを抱くのはわかる。
でもその方法は、子供で居続けることだけではないんじゃないか。
どんどん大人になってどんどん可能性を拡げていくこと。
0じゃなくて∞。
ゼロじゃなくて無限大。

自分の魂を無限大にふくらまそう。
それが自由ってことだと思う。


何か熱く語っちゃいました。
まぁそんなわけで、とりあえずDesperado、みんな聴いとけ!
マッキーも!
いいから聴きなさい(笑)。
何様だ(笑)。

では。