最近また赤ちゃんポスト問題についてテレビで取り上げられているのを見ました。

赤ちゃんポストに抵抗感を示す安倍総理のコメントを改めて見て、この人は本当に恵まれて育ってきたお坊ちゃんなんだな、と思いました。

「子育ては親の責任でするもの。
だから赤ちゃんポストは親の育児放棄の助長に繋がる。」

赤ちゃんポストに反対する人がよく言う意見です。
百歩譲って一般人ならまだ許そう。
が、こんな論理飛躍を平気で考えたり口にしてしまう政治家も、その論理飛躍を喝破できない政治家も、どっちも辞めてしまえ、と思います。

聞き齧った知識ですが、「育児放棄」という言葉にカテゴライズされる行為は、親子が同居した状態での、「ネグレクト」と呼ばれる幼児虐待の一種として現れることが多いはずです。
子供にご飯を作らない、着替えさせないなど、法律用語を使って概念的に言えば家庭内に於ける保護責任者遺棄とでも言うのかな。
この行為を心理学的に分析すると、可愛いという感情の湧いてこない「罪悪感」からの逃避。
社会学的に言うと、子供の扱い方がわからないことによる混乱・動揺・疲弊。

これが全部ではないと思いますが、一例としてはこんな感じではないかと思います。

さてこのような「育児放棄」をする人達がいるとして、このような人達がみんな、
「赤ちゃんポスト出来たんだ、嬉しい、助かる!」
と、嬉々として子供を赤ちゃんポストに預けるかどうか…。

私はあまりリアルな話じゃないと思いますが、また譲ってそういう人が増えるとしましょう。

何か問題でも?

親は苦しみから解放される、子供も生命の危機から抜け出せる、いいことずくめじゃないですか。

「子育ては親の責任」というのが強く言われている時代は、歴史上例外的と言えるほど珍しいものです。
なぜ言われるようになったかは私もよく知りませんが、おそらくその方が経済的に効率が良いと考えられたからでしょう。
一夫一婦制で夫が外で働き妻が家で子育てをする、というシステムを正しいことにしてしまうのが、労働力の再生産のサイクルとして単純計算では確かに最も無駄が無いからです。

けれどもそうした政策の結果、「核家族化」だの「地域社会の崩壊」なんてことは随分前から言われていることで、
その反動として「思いやり」だの「助け合い」なんていう文句もやたらと飛び交うようになりました。

要するに、子育ての責任を母親一人で背負い込むなんて土台無理な話なんです。
夫が子育てに参加してくれないなんて当たり前です、国がそうしろと言っているんだから。

ご近所さんだの幼稚園保育園の先生だの、そういう人達の支えがあって初めて子育ては成立するんです。その「支え」の一つが病院で、赤ちゃんポストで何が悪いんでしょう?

おそらく赤ちゃんポストが定着しても、赤ちゃんを苦しみながら手許に置き虐待してしまう母親はいなくならないでしょう。
虐待をしなくても、「親の責任」という言葉の重みに耐え兼ねて苦しんでいる母親はたくさんいます。

大体、ろくに子供を見ることも触ることもないような社会で、子供ができたらいきなり責任を百パーセント負わされるなんてどう考えても無茶苦茶じゃないですか?

国が少子化を本当に止めたいなら、親だけに子育ての責任を押し付けるのを即刻止めるべきです。

安倍総理は親が子育ての責任を背負い込むのが「美しい日本」だと思っているようですが、彼の思想全般と同じく、薄っぺらだな、と思います。本当に勉強が足りないんだな、とも。

安倍総理のボンボンっぷりから、政治家という特権階級について話を展開させようと思っていたのですが、それはまた改めて。