日本橋三越で開催中の『グレース・ケリー展』に行ってきました。
つい先月GRACEという雑誌が創刊され大々的に特集が組まれるなど、今やオードリー・ヘプバーンよりも旬なファッションアイコンとなりつつあるグレース・ケリー。
巷では「上品」のカリスマみたいな扱いになっているようです。まぁ名前からしてグレース=品だから当たり前か。日本人の名前で言うと「貴子」とかそんな感じかな?確かに私が今まで出会った貴子さんは美人揃いだったっけ…すいません下らない話は置いといて。
私は親の影響でオールドシネマおたくだったので、グレース・ケリーについては随分昔から知っていました。なので、何で今更突然ブームを煽ってるのかな、と冷静になってしまうところもあります。私のお気に入りはヴィヴィアン・リーとマレーネ・ディートリッヒ、あとイングリッド・バーグマンにマリリン・モンローとかなので、グレース・ケリーは正直ランク外というか、そんなに凄く好きという訳でもなく…。
というのは、「つまらない美人」の典型みたいな感じがしたから。それと、共演俳優と次々に恋に落ちるというスキャンダラスなイメージが、幼心に不潔に思えたのだったと思います。
でも最近ずっと古い洋画を見ていなかったので、グレース・ケリー展のポスターを見掛けた時はただ何となく懐かしいような気持ちになりました。チラシを持ち帰り、眺めていたら…
この人、本当に綺麗なのかな?
本当に上品なのかな?
…私にはとてつもなく淋しそうな女性に見えてしまいました。淋しくて、気位が高くて意地っ張りで、とても孤独で不安定そうな女性。自分の美貌を自覚していて、男を虜にする術だけに過剰な自信を持っている傲慢な女性。
ブロンド美女フェチだったヒッチコック監督の言葉を思い出しました。
「ああいうすました女ほど、車に乗った途端に男のズボンを脱がせにかかる」
それが本当だとすれば、グレース・ケリーの本当の魅力とは、下品なほどの官能を上品な面の裏にギリギリのところで隠している、その危うさなのではないかと思うのです。
で、もし本当にそうなら、たぶん最高にいい女かもしれない。「昼は淑女、夜は娼婦」っていう永遠の理想像そのものでしょう?
でも、だから私は彼女のことを上品で羨ましい、憧れる、とはとても思えないです。
世界中の羨望の中で、彼女はどんなコンプレックスや孤独と闘っていたんだろう。
華やかなドレスに飾られて、彼女は本当に心から幸せだったんだろうか?
レーニエ公はちゃんと彼女の官能の終着駅になっていたんだろうか?
そんなことの方が気になってしまいます。
展示会で陳列されていたどんな洋服を着るよりも、裸の彼女が心から慈しまれていたならいいな、と思います。
とりあえずの結論…「品」というのは豊かさから生まれる余裕に類するものだと思います。本当の豊かさはたぶん慈しまれることや愛することで生まれるものだとも思います。それを忘れてただファッションをなぞるだけで品が手に入ると思ったら大間違いだと思います。品はたぶん、お金では買えない。買えるように錯覚させる人も錯覚する人も、きっと淋しいんだと思います。錯覚だと一応わかってはいる私も…やっぱりちょっと淋しいのかな。
ところで展示会で印象深かった写真が数点。
まず、夫とのツーショット写真。本当に幸せな妻でも、あんな孤独を湛えた目で夫を見つめるんだろうか?と、謎。
それと、ミルトン・グリーンという写真家の撮ったプライベートショットのような2枚。グレース・ケリーがピアノの前に座ってカメラの方を振り返っている。髪が少しボサボサで、ラフな服装でピアノに脚を載せている図。
セックスしない?
と堂々と誘っているみたいでかっこいい。いい女だな、と思いました。凄いショットを撮らせるな、とも。
写真家の方が気になってアマゾンで調べてみたら、マリリン・モンローの写真をたくさん撮っている人でした。
グレース・ケリーとマリリン・モンロー。対照的なようだけど、実は似ている。どっちもエロくていい女。…違う?!
なんかぐだぐだになってしまいました。今回はこのへんで。
つい先月GRACEという雑誌が創刊され大々的に特集が組まれるなど、今やオードリー・ヘプバーンよりも旬なファッションアイコンとなりつつあるグレース・ケリー。
巷では「上品」のカリスマみたいな扱いになっているようです。まぁ名前からしてグレース=品だから当たり前か。日本人の名前で言うと「貴子」とかそんな感じかな?確かに私が今まで出会った貴子さんは美人揃いだったっけ…すいません下らない話は置いといて。
私は親の影響でオールドシネマおたくだったので、グレース・ケリーについては随分昔から知っていました。なので、何で今更突然ブームを煽ってるのかな、と冷静になってしまうところもあります。私のお気に入りはヴィヴィアン・リーとマレーネ・ディートリッヒ、あとイングリッド・バーグマンにマリリン・モンローとかなので、グレース・ケリーは正直ランク外というか、そんなに凄く好きという訳でもなく…。
というのは、「つまらない美人」の典型みたいな感じがしたから。それと、共演俳優と次々に恋に落ちるというスキャンダラスなイメージが、幼心に不潔に思えたのだったと思います。
でも最近ずっと古い洋画を見ていなかったので、グレース・ケリー展のポスターを見掛けた時はただ何となく懐かしいような気持ちになりました。チラシを持ち帰り、眺めていたら…
この人、本当に綺麗なのかな?
本当に上品なのかな?
…私にはとてつもなく淋しそうな女性に見えてしまいました。淋しくて、気位が高くて意地っ張りで、とても孤独で不安定そうな女性。自分の美貌を自覚していて、男を虜にする術だけに過剰な自信を持っている傲慢な女性。
ブロンド美女フェチだったヒッチコック監督の言葉を思い出しました。
「ああいうすました女ほど、車に乗った途端に男のズボンを脱がせにかかる」
それが本当だとすれば、グレース・ケリーの本当の魅力とは、下品なほどの官能を上品な面の裏にギリギリのところで隠している、その危うさなのではないかと思うのです。
で、もし本当にそうなら、たぶん最高にいい女かもしれない。「昼は淑女、夜は娼婦」っていう永遠の理想像そのものでしょう?
でも、だから私は彼女のことを上品で羨ましい、憧れる、とはとても思えないです。
世界中の羨望の中で、彼女はどんなコンプレックスや孤独と闘っていたんだろう。
華やかなドレスに飾られて、彼女は本当に心から幸せだったんだろうか?
レーニエ公はちゃんと彼女の官能の終着駅になっていたんだろうか?
そんなことの方が気になってしまいます。
展示会で陳列されていたどんな洋服を着るよりも、裸の彼女が心から慈しまれていたならいいな、と思います。
とりあえずの結論…「品」というのは豊かさから生まれる余裕に類するものだと思います。本当の豊かさはたぶん慈しまれることや愛することで生まれるものだとも思います。それを忘れてただファッションをなぞるだけで品が手に入ると思ったら大間違いだと思います。品はたぶん、お金では買えない。買えるように錯覚させる人も錯覚する人も、きっと淋しいんだと思います。錯覚だと一応わかってはいる私も…やっぱりちょっと淋しいのかな。
ところで展示会で印象深かった写真が数点。
まず、夫とのツーショット写真。本当に幸せな妻でも、あんな孤独を湛えた目で夫を見つめるんだろうか?と、謎。
それと、ミルトン・グリーンという写真家の撮ったプライベートショットのような2枚。グレース・ケリーがピアノの前に座ってカメラの方を振り返っている。髪が少しボサボサで、ラフな服装でピアノに脚を載せている図。
セックスしない?
と堂々と誘っているみたいでかっこいい。いい女だな、と思いました。凄いショットを撮らせるな、とも。
写真家の方が気になってアマゾンで調べてみたら、マリリン・モンローの写真をたくさん撮っている人でした。
グレース・ケリーとマリリン・モンロー。対照的なようだけど、実は似ている。どっちもエロくていい女。…違う?!
なんかぐだぐだになってしまいました。今回はこのへんで。