五輪真弓の歌ではなくて、野沢尚の小説の話です。五輪真弓の方も大好きですが。

ここのところ私がずっと読んでいるのが野沢尚という人の作品。私もよくは知らないのですが、小説家であり脚本家であり劇作家でもあり…要するに書くジャンルが非常に幅広い、凄い人です。凄い人過ぎて自殺してしまった辺り、これまた私の大好きな落語家の桂枝雀さんを彷彿とさせます。…よりによって。

野沢尚さんの作品に最初にハマったのは『水曜日の情事』という、何ともマニアックなドラマですが、このへんの話はさておき『恋人よ』の感想から。

一言。これは、ホラーです。恋愛小説に見せかけた。

だって普通に考えて、こんな濃厚な人間関係なんてありえないでしょう?自分の旦那が隣の奥さんを孕ませてるかもしれないなんて、現実に起きたら恐怖以外の何物でもない。そんな中で誰一人「現実」を笑い飛ばさず真面目に向き合い闘い続ける不気味さ…。そして勧善懲悪に決してならないアンフェアな物語を最後まで乱れずに書き上げていく作者の冷静さ、いや冷酷さ?
読んでいて私は追い立てられるような恐怖を感じながら、その感触を微かに楽しんでいました。
シェイクスピアの戯曲に解釈が限り無くあるように、この作品ももしかしたら恋愛小説という形を借りたホラーなのかもしれない。
そんなふうに考えると辻褄が合う気がするのです。
最後の「小指」の衝撃的なくだりについて、私は正直胸糞が悪くなりました。でも、「取って付けたようだ」などの批判は的外れだとも思いました。あれはもしかしたら野沢尚流のサインなんだと私は思います。純粋でロマンティックなラブストーリーのように見せかけたけれど本当はホラーサスペンスなんだよ、と、こっそり種明かしをしてくれているのではないかと思えて仕方無いのです。野沢さんと後暗い秘密を共有しているような悦びがなければ、私はこの小説を読み切ることができなかったかもしれません。それほど、私にはこの作品の持つ力が恐ろしかった。この作品に限らず、彼の作品は必ず、人の心を巻き込んでしまう強烈な力が渦巻いているから…。

野沢尚さんの作品をたくさん読んで感じるのは、彼の中の強い意志や信念といったものです。彼の物語造りの巧みさは、もちろん卓越した技術の賜物でもあるでしょう。けれどもそれ以上に、登場人物を限り無くリアルに泳がせ、それでいて物語全体の統制を保ち、作者の思いを作品に込める、という離れ業をやってのける強靭な意志が野沢作品の屋台骨になっているような気がします。
『破線のマリス』はミステリーの形を借りたマスコミ論でした。『反乱のボヤージュ』も駒場寮問題を借りた人生論なのは明らかです。そうやって思いを形にする強さを持っていたはずの野沢さんが自ら死を選んだ心境はわかりませんが、ただただ残念です。

それにしても、物語を書きたいなんてずっと思っていたのに、私の書きたかった物語はもうとっくに野沢さんに書かれてしまっていました。さて、これからどうしようかな。

今日はこのくらいにします。
今度は野沢作品に於ける性の扱いのことについてでも書こうと思っています。