到着日、朝5:00過ぎに空港を出発し、学校の送迎車で学校へ向かった。

学校へ到着した途端、Cはひそひそ声で私に話す。

「母国語禁止だから。」

なるほど、そうゆうルールがあったなぁ。

そこを気に入って全寮制の語学学校を選んだのだが、実際はみんな守っていない。

授業中を除き、各国うまいこと集まってひそひそ話している。それが現実だった。

 

学校へ着くと、ギャルたち男女が何やらスピーカーから日本の音楽を流し、友人を見送っていた。

それを見ていた私にCが「あの子卒業で、移動するんだね。namoにもそうゆうときが来るよ。」と。

明らかに若く、楽しそうな男女グループ、そんなことが私に起きる!?

絶対ないだろうなぁと思いながら、そのグループを見送った。

(絶対ないとは、気がついたら団体行動が苦手で、男女グループなど私の人生に存在しないので、憧れてはいるが女子環境で育血、地元の繋がりもないので、いつも憧れてはいたが、私には縁遠い世界だと言うこと。今でも思う。そうゆうの楽しそうだなぁと。)

 

そのあとはよく覚えていないが、各部屋に案内され、シャワーを浴びるなり、仮眠をとるなり、休憩することになった。

自分の部屋に入ると、どうやら日本人(到着時には不在)と台湾人の子たちと同室だと言うことがわかった。

ひとまず、荷物を下ろし、ベッドへ。

お母さんに連絡をして「着いたよ。」と。このときすでに泣きそう。笑

緊張がほぐれてそのまま眠りについてしまった。

 

話は逸れるが、「母国語禁止ルール」を徹底するのであれば、お部屋割にもう少し配慮して欲しかったのが本音。

時期によって国籍も偏るし、特に日本人が多い学校だったので物理的に難しいのは理解しているが、それでも私の友人には全員日本人というお部屋もあった。

 

-Sister?

ん?なんか声がする。

ルームメイトの台湾人の子が、わざわざ朝食の時間だと私に教えてくれた。

そう、この子はとっっっても優しい、お勉強熱心な子だった。

今になって思うことは、オーストラリアで生活していると、他人は他人、という考えが多いように思う。

よくも悪くも、他人がどうであってもどうでもいいのである。

だから何が言いたいのかというと、まだ会話も挨拶もきちんとしていない私を起こす必要なんてないのだ。

なのに、彼女はその日到着した私に朝食の説明と一緒に行こうと誘ってくれた。

 

新しい環境が極度に苦手な私は、こうゆう状況下で食事は一切摂ることができない。

自覚したのは小学生になってから。

新学期主に4月〜

遠足

体育祭

文化祭

マラソン大会

修学旅行

社会科見学

試合

こういった行事で一切食べ物を受け入れなくなる。

もちろん家族旅行、Disney Resortも同じ。

家族には理解されず本当に苦しかった。

受け入れないだけならまだしも、気持ち悪くなって吐き気も襲ってくる。

だから昔からイベントが苦手だった。

食事スペースにいることが辛い。

食べ物の匂いが辛い。

吐きそう、そんな時間でしかなかった。

 

せっかく誘ってもらったから、断ることもできず、行くだけ行くとこにした。

(これでも大きな進歩)

そこでの最初のカルチャーショックは、、、食事内容。

お寿司、おにぎりなんて望んでいない。しかし、パン、コーンフレーク、牛乳。

何を食べろと?

到着したばかりの私は”常識”知らずで、そんなことを思っていた。

案の定スプーン1杯程度のコーンフレークと苦手な少しばかりの牛乳をとり、彼女を驚かせた。

 

日本語を話せたとしても人見知りで話すことなんてできないのに、英語で話さないといけないその状況が苦しすぎて、早々に席を立ってしまった。

彼女はとても心配してくれて、私はちょっと緊張してるから食べられなかったんだぁ、と説明をした。

何かを発しただけで泣き出しそうな私は、早くSに会いたかった。

 

午後、CとSとその友人(語学学校にいる子たち)のバーベキューに誘われていたので、行くかとても迷ったが、Sに来た方がいい。と言われ、行くことにした。

そうゆうところも変えたかったし、いつもなら学校にいるはずもないCも一緒に学校からバスに乗って一緒にいってくれたので絶好の冒険日和だった。

 

Cityへ集まり、買い出しをし、こ慣れているみんなの様子を見ながら、バーベキューをする場所=Sのお家へ。

これがまた新たな出会いへと繋がる。

 

リゾートホテルのような高級マンションだった。

こんなところにワーキングホリデーの子が住めるの?と。

オーナーさんが間貸ししているので、そんなこともあるのだということ。

オーストラリアではよくあること。

 

ひと通りバーベキューを終え、おしゃべりをし、Sのお部屋を見せてもらい、そこに来た子たちを紹介してもらい、学校へ戻った。

 

当たり前に何も食べることはできなかった。