釣りニャンコ -110ページ目

釣りニャンコ

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平成21年12月9日(水)


先日、近所のイベントで金魚をたくさん貰って、前から飼っていた金魚(2匹)と同じ水槽に入れて玄関の前に置いていた。


いつも会社の帰りに、餌を入れて、大事にしていたのだが、今日起きてみると玄関先が閑散と・・・


水槽ごと金魚盗まれたー!!!!


水槽と言っても、プラケースの大にひびが入っているので、ビニールテープで補強している奴。


安いエアポンプに、水作エイトを掘り込んであったのだが、コンセントからポンプを外し、まるごと持っていかれた。


金魚はいずれも子赤の和金で30匹くらい入っていた。


前から飼っている二匹は、フナ尾と流金尾の二匹で、近所の池にもんどり入れていたらかかったので、飼っていた奴。


池の子なので、コケが生えるので石巻貝を数匹入れて、海で拾ってきた砂利を入れて、ほとんど換水せずに飼っていた。


たいした被害ではないが、可愛がっていただけに悔しい!


この付近では、家の前に置いてあるものが良く盗まれる、自身では、魚とり網2本盗まれたし、お隣さんはホースリールを水道から外して盗まれた。


今乗っている自転車は、怪我の原因のなった奴で非常に乗りにくい。


しかし、動くので買い換えるのも勿体無く、盗まれてもいいように鍵かけていないのだが、こちらには見向きもしない。


夜中のうちの犯行なのは間違いなく、いったいどんな奴が盗んでいって、今どないなっているのか興味があるところだ。


とりあえず、もう少し気をつけなければ、泥棒がおおい。

最近、何かにつけてECOブームだ。


ではECOとは何か?


わかりやすいので学術研究社のWEBサイトから引用すると

http://kids.gakken.co.jp/kagaku/eco110/answer/a0143.html


Q「エコとはどういう意味(いみ)ですか?」


A「環境(かんきょう)の話題(わだい)になると出(で)てくる「エコ」という言葉(ことば)、もともとはエコロ

ジー(ecology)からきている。エコロジーとは生態(せいたい)学(がく)という意味(いみ)で、生物(せいぶつ)の生活(せいかつ)や環境(かんきょう)学(がく)との関係(かんけい)、つまり「環境(かんきょう)にいい」という意味(いみ)につながるんだ。」

「一方(いっぽう)でエコノミー(economy)のエコとも言(い)われている,エコノミーとは経済(けいざい)のこと。環境(かんきょう)と経済(けいざい)はつながっていて、どちらか一方(いっぽう)だけが発展(はってん)してもうまくいかない。環境(かんきょう)問題(もんだい)を世界中(せかいじゅう)で解決(かいけつ)していくことで世界(せかい)の経済(けいざい)も発展(はってん)し、人(ひと)びとが安全(あんぜん)で豊(ゆた)かな生活(せいかつ)をおくれるようにと思(おも)いをこめて「エコ」という言葉(ことば)が使(つか)われているんだ。」


すなわち、基本はエコロジー(生物学=生物環境に優しくする)だが、もうひとつの意味としてエコノミー(経済的)という相反するふたつの理念から成り立つ、造語である。


大部分の人は、前者のエコロジーがECOの主体だと考えているに違いない。


なぜなら、ECOの話題をTVなどでみたとき、自然環境に優しくというテーマにしかならないからだ。


なぜ、エコロジーを今わ際にするかというと、無秩序な経済活動により、自然が失われたからである。


総論としてエコロジーとエコノミーのバランスをとりましょうということなら話はわかるが、各論になるととたんにばかげた論理がまかり通るようになる。


小生が考えるECOとは、行き過ぎた面を反省し、自分達が住みやすい環境を作るため多少の我慢と考え方の転換をしようという事がECOの本質的な考え方だと思う。


でも実態はそうではなく、単なるブーム、さらに言えば経済的発展をもくろむ人たちのキーワードとして利用されているに過ぎない面が多く見られる。


1.節電


特に意味が無いのが「家庭から節電」「電気はこまめに消しましょう」という奴だ。


これは「チームマイナスマイナス6%」などが良く掲げていたスローガンだ。

実際にエコノミーに効果はあるが、エコロジーとしては、ほとんど効果が無い。


国もしくは電力会社の電力供給には「全消費者(企業・家庭)不足なくで電気を供給する」使命がある。


そもそも電気の生産には割合の大きなものとして火力・水力・原子力の3種類がある。


電力会社からみて一番の問題は企業や公共施設への電力供給が不足することである。

もし、電力が不足して供給できない状態になれば、非常に計算しやすい「巨額な経済損失」というものを突きつけられ責任問題に発展する。


そのため電力会社では、すべての施設が稼動しているという状態を予想・計算して発電している。

すなわちピーク電力の消費予想発電しか出来ない構造なのである。


すなわち、恒常的に使わないことが確実に予想される状態が無ければ発電量を下げられない。


人の善意というあやふやなもので、社会を危険にさらせないのである。


家庭での消費電力を抑えても、発電は止められずエコロジーにはならない。


一部の家庭の電気代が節約されるというエコノミー的な効果はあるが、結局かかった経費は同じなので、電気代が上がる可能性があるので、それも怪しい。


本当に電力使用を控えるというなら、過程においては電気製品を買わないことである。

また、国家の視点から世帯人数あたりの電気消費量の上限を決めてしまうことである。

電力会社としては、最も環境負荷の高い火力発電を減らすとことに尽きる。


この3つのいずれか、個人的には出来れば便利な生活を捨てたくないので3つめの施策の実施を最優先にしてほしい。


地方分権が叫ばれているが、それこそ発電も地方分権をおこない、都市圏にも原子力発電所を作るべきである(よりリスクの低い対案が有れば別だが)。


遠くから、電気を供給すると電気抵抗などによるロスが無視できないほど大きくなり、節電などまったく関係ないレベルになってしまうのは事実である。


2、節水


節水にはエコロジー的側面は無い。有るのは渇水対策と家庭の水道料金が下がるというだけ。

よく考えてください、一滴の有害物質を1リットルの水に入れたときと、10リットルの水に入れたとき、どちらが早く分解するか、またそれを流したときどちらが自然界に影響を与えるか?


水資源は循環型資源なので、出来るだけ効率よく廻す、すなわち一箇所に溜めないほうがいいのです。


古人曰く、「たまった水は腐る」「水流れて清し」、まったくその通りなのである。


だから、極端にいうと節水型の洗濯機や食器洗い乾燥機などは濃縮した毒液を下水に吐き出していることとなり、浄水場の負荷があがって、清浄しきれなき水が河川に放流されることになる。


ただ、浄水場のキャパシティという問題も有るので一概には言えず、雨水などの問題も有るが!


だから、節水家電は家庭の水道代にしか恩恵を与えない。


ただし、我が家もだまされた口だが、節水を謳う家電の電気消費は半端ではない。


手洗いの1/10の水で洗えて年間○○円水道代がお得になりますよという、食洗器が恐ろしく電気を喰う。


エコロギー的には水は廻すべきものであり、生分解性の優れたもの意外は流さないことが一番なのである。


3.ゴミの分別・リサイクル


一部で「分別・リサイクルは無駄」というテレビを見ました。

自治体によっては分別する条例だけ作って、結局処理法は同じ、リサイクルもしていないというものだったと思います。

私もいろんな街に住み、地域ごとのルールで分別して「これってどうなんだろう」と考えていました。


燃えるゴミ、燃えないゴミは処理方法が異なるので最低限分けなければいけませんが、それ以外は決してエコロジーではなく、エコノミーの事情に左右される部分だとお思います。


アルミ以外のリサイクルは実際にやると環境負荷が大きすぎるのではないでしょうか?


ビン類のリユース・リターナブルも例外ではありません。洗浄や最製品化のための処理の環境負荷が一から作るのと比べてどうなのか?詳しい資料は持ち合わせていませんが、環境に良いというレベルではないのでは。


プラスチックについてはさらにそうです。普通の人がPP,PE,PET、塩化ビニルなどきちんと分別できると考えるほうがおかしくないですか?もっと言うと無色、半濁色、着色(色別)まで分けないて不純物は完全に取り除かないと、リサイクルなんて出来ません。


基本的にプラスチックはリサイクルすると最初の用途から数段レベル(品質、耐久性、衛生度など)の落ちる製品にしかリサイクルできません。


まとめて溶かして、建材の一部に使うといった方法しか有意義ではないのではないでしょうか?


古紙も然り、数年前ニュースになったとおり、古紙の含有率が上がるとまともな紙が出来ません。


また、古紙を再生するための漂白などに異常な量の漂白剤や化学物質が必要になり、それが自然界に流れ出します。(浄化槽は通りますが、浄化槽にもいろんな問題があるのです)


本気で、地球環境を考えるなら無駄なものの「製造・販売制限」をおこない、ワンウェイで使ったものはすべて焼却するという方法がベストです。


古の良いものを長く使う、リサイクルは家庭内だけ(お下がりや何かの材料として使う)という考え方を見直す必要が有るんではないでしょうか?


4.ECO替え


科学が発達し、家電や企業用設備などでもCO2排出や電気消費ガ少ないものが開発されていくことは結構なことで、これが自然に各家庭や企業に普及していくことはすばらしいと思います。


ただ、これと景気回復のための買い替え促進策を組み合わせるのはどうか?


1台の機械、特に精密になればなるほど1台あたりの製造による環境負荷が高くなります。


買い換えることはゴミが出ること、このあたりもすべて計算して買い替え振興を行っているとは到底思えません。


使えるものは少々燃費が悪くても、電機を食っても、最後まで使い切ることが、本当は重要なのです。


そういう意味ではライフサイクルが短くなったデジタル家電なんかは、製品寿命の向上を法制化すべきだと考えます。


みんなが快適に暮らせる明日をめざすということは衆目一致の事実。


正しい視点で、一人一人が生活を考えることと、もし危機的状況が本当なら、国が非常時宣言をして環境統制することが、効率よいECOだと思います。


エコノミー=ECOでは有りません。

人類はいつまで仕事という不毛な行為をしなければならないのか?


スタートレックの世界観はTOSから、多少矛盾点もありますが、連続性を重視し、あまりおかしくならないように気を使っているのが随所に見られます。


ウォーフが語る過去のクリンゴンの容姿についてなど。


仕事について、私はいま仕事のストレスで鬱になり、会社を休職しています。


メンタルヘルスケアが法制化されましたが、中小企業ではまだまだです。


TNGにはカウンセラーが出てきますが、テレパスのカウンセラーはどこかにいないでしょうか?


スタートレックの世界の仕事の進め方は、基本的にアメリカ軍がベースになっているので極端なケースも見られますが、ロジカルな人間としては厳密な縦社会にあこがれてしまいます。


宇宙連邦(国連の発展型なので日本不利)は、提督→大佐→中佐・・・・・と軍隊の命令系統で探索任務や和平交渉という名のアメリカ型(教化型)侵略を行っています。


それ以外の民間人の生活についてについて、具体的にあまりかかれることはありませんが、一応適正に沿った仕事をしているようです。


私は小さい頃から夢想化で論理主義者(バルカンか?)だったので、単純に機械工業が発展して、例えば、これまでの仕事が、労力が1/10になれば9人は働かなくてよくなると思ってました。


実は、いまだにそう思ってまして、「デスクワークなど一次産業以外の仕事は、実は暇をもてあました人類のゲームか趣味だ」と本気で考えています。


ゲームのストレスで鬱になっていたら仕方ありませんが、これは主に人間関係に起因したものです。


TNG以降の作品では純粋に趣味に生きている人が出てきます。


反面、仕事として日々努力している人も出てきます。これは生まれ故郷の星の慣習や成熟度によるものなのでしょうか?


弟が公務員で、市役職の生活保護関係の仕事をしていますが、「ろくでもないやつばかり(オチこぼれやくざなど)がやってきて、神でもなければ適正な富の分配は不可能」と常々愚痴をこぼしています。


やはり資本主義経済の限界なのでしょうか?


スタートレックでは21世紀に資本主義経済を捨てられたことになっていますが、どうすれば達成できますか?


人類の進化、あるいはターミネーターやマトリックスのような時代を期待しなければいけないのでしょうか?


誰か教えてチョーダイ。(=`(∞)´=)



かぞえ「41歳の春だから」~不惑と呼ばれる日々へ-7of9


SF好きの原点


私のSF好きの原点はなんだんたのか?


小学校の理科の授業か、家にあった「宇宙のひみつ」という本かもしれません。


でも、はっきり行って夜空に見える星自体への興味はほとんどありません。


星座がどう、夏の大三角形がどうとか、何とか流星群がどうとか。


興味が掻き立てたれたのは、宇宙や星の成り立ち、公転・自転・衛星軌道、宇宙船、太陽系に生物はいるか、宇宙人はいるかどうか?などでした。


だから、天体望遠鏡などほしくもなんともありませんでした、だってそれ以上に見えない宇宙を、さらに言えばどうやったら行けるのか想像するほうが、ずっと楽しかったからです。


テレビで好きだったアニメは、鉄腕アトムといいたいところですが、世代的に松本零次です。


「宇宙戦艦ヤマト」のワープ航法や波動エネルギーにしびれ、国家戦略としての宇宙開発の匂いを感じない「銀河鉄道999」、「キャプテンハーロック」などに男の生き方、冒険心を教わりました。


SFに分類していいのかわかりませんが、マジンガーやライディーンなどスーパーロボットの洗礼も受け、多分今から考えたら矛盾だらけだったと思いますが設計図に興奮し、動力源や素材(超合金Zなど)、メカニック全体に異常な興奮を感じたことを覚えています。


特撮系では仮面ライダー、ウルトラマンなども一応見ていましたが、あまり好きではなく、今となっては理由は良くわかりませんが、サンダーマスク、ファイアーマン、スペクトルマン(宇宙猿人ゴリ)、ジャンボーグエース、超人バロムワンなどを良く見てました。


多分、仮面ライダーやウルトラマンのシリーズ化が、前のシリーズの設定をぶち壊す(連続性の微塵も感じさせない)ような作り方をして、似たような話ばかり量産するので、単発作品のほうが好きだったと思います。


当時の特撮は、学校での話題などのために見ていましたが、やはり技術的な問題や脚本的な問題で、せこ過ぎて制約の少ないアニメと比べて、あまり好きでなかったような気がします。


そして、初代スタートレック「宇宙大作戦」ですが、残念ながら当時放送を見ておらず(世代的?)、映画のスターウォーズ3部作に出会いました。


冒険活劇として、当時としての迫力ある宇宙船の映像や戦闘シーンには興奮しましたが、ストーリーははっきり言って、何じゃこりゃと思いました。


局地戦ばかり(帝国軍に対する共和国軍?同盟軍?のゲリラ戦だったので仕方ないですが)で、当時の中学生?の頭では全体の流れや、勢力図、領土の位置関係がわからず、また最新兵器に勝つ石器時代のような武器など茶番に思えました。


帝国軍の技術の粋を集めて恒久的に宇宙を支配する目的で作ったはずのデス・スターの、通気孔のようなところに爆弾を打ち込んだら逆転勝ちという、テクノロジーをなめ腐ったようなストーリー展開にも萎えてしまいました。


ジェダイも帝国軍も馬鹿ばっかりです。


つい、スターウォーズの悪口に走ってしまいましたが、まだまだ、スタートレックへの道のりは長く険しいものでした。


一旦SFから離れた紅顔の醜少年は、高校生になりました。


そこで出会ったのが、筒井康隆、小松左京、かんべむさし、などの日本SF小説です。


古本屋で100円の文庫本を捜しに捜してこの辺の作品を一通り呼んだ少年は、短編SFを書いたりしていました。

本当にヒドイないようでしたが。(///∇//)


ついでに、逆引きで海外のハードSFにも若干触れましたが、もうひとつなじめなかったところに、衝撃を与えてくれたのが、諸星大二郎の処女短編SF「生物都市」でした。


この作品により、漫画でこれほどの表現ができるんだと感嘆し、長いこと読んでなかった漫画を見るきっかけになりました。


そして、運命とも呼べる出会いが(まだスタートレックではありません)。


星野宣之の「2001夜物語」です。


2001年宇宙の旅やアラビアンナイトのオマージュとして、有名な作品ですが、私はこれこそが現在(当時20世紀)からスタートレックエンタープライズ(22世紀)へのミッシングリンクを埋める作品だと思っています。


ちなみに2001夜物語で開発されるワープ理論はロミュランのそれに近いようですが・・・


こうしてそれ以降、長年にわたり、SFに飢えていた心の隙間にすっと入ってきたのがヴォイジャー(VOY)だったのです。



かぞえ「41歳の春だから」~不惑と呼ばれる日々へ-パリスとデルタフライヤー

パリスが怖い


私はSFが大好きです。


小さい頃に観たスーパーロボットアニメにはまって以来、サイエンス系フィクションが大好きになりました。


日本のSFといえば、やはり小松左京、星新一、筒井康隆につきます。(ふっるー)


最近のファンタジー系はどうも苦手で・・・でもオカルト系や伝奇系は好きです。


海外のハードSFもアーサー・C・クラーク、アシモフ、ハインライン、ブラッドベリなどハヤカワで何冊か読みましたが、主人公が外人だと名前が覚えられずに、入り込めないという障害があり、あまり深く傾倒しませんでした。


映画でも「2001年宇宙の旅」や「ブレードランナー」など好きでしたが「スターウォーズ」については当時として映像に圧倒されたものの、周りの友達ほど興奮しなかったことを覚えています。


そして大人になって、大衆小説や時代物などを読むようになり、アニメやSFから遠ざかっていたのです。


ある日、夜中に何気なくテレビをつけると外国もののSFドラマがやっており、何かが心に引っかかって最後まで見てしまいました。


そう、それこそ京都テレビで深夜放送していた「スタートレックボイジャー」(以下、VOY)だったのです。


かぞえ「41歳の春だから」~不惑と呼ばれる日々へ-VOY


毎週楽しみに見るようになり、久しぶりにドラマに感情移入でき、SFの楽しさを再発見させてくれました。


VOYは4シリーズ目なので、順番がテレコになりますが、その後

「ディープスペースナイン」(以下、DS9)、

「エンタープライズ」(以下、ENT)、

「新スタートレック」(以下、TNG)と各シリーズを制覇し、

現在は「宇宙大作戦」(以下、TOS)に突入しています。


昔からスタートレックはその存在こそ、知っていましたなんとなく地味な感じがして、テレ朝のゴールデンで「TNG」が放送されていたとき(途中で打ち切りになったそうですが)、弟が見ていたのにまったく無視していました。


それが、ここまではまろうとは、人間てわからないものです。


なぜ、「スターウォーズ」より「スタートレック」にはまったか?


これは、今から考えると海外SFに目を向けずひたすら、少なかった日本のSFを捜していた少年時代にも共通します。


すなわち、「近親感」ともいうか「自分の現実との連続性」に引かれた結果だと思います。だって、地球とは縁もゆかりも無い星の王家の政治的な栄枯盛衰とそれに伴う恋物語みたいなモチーフで9作も持たせられますかDASH!


「スターウォーズ」は英雄譚であり壮大なスペースオペラですが、「スタートレック」にはヒーローは存在せず、完全なヒューマンドラマであり、現在の地球から続く数世代後の話を、世界観を維持しながらしっかり作っています。


この手のことは言い尽くされてきたので、このくらいにしますが、そういう理由で「スタートレック」大すきです。


まだまだ、トレッキー初級レベルですが、スタートレックや子供向けですが最近の面白くなってきた日本の特撮ドラマに関する、思いを綴って生きたいと思います。