お別れ


ここまでの経緯

     2017年10月21日

     父 かかりつけで膵臓がん告知

     10月26日

     がんセンターにてセカンドオピニオン

     10月30日 がんセンター入院

     10月31日 一度目の手術

     11月2日  二度目の手術

     11月4日  夫 病院から要検査の電話

     11月8日  夫 精密検査

     11月27日  父緊急手術(人工肛門)

     11月28日  夫 膀胱癌手術

     12月13日  父 退院

     

2018年  1月29日  母 白内障手術(左)

      2月5日  母 白内障手術(右)

      2月26日 夫 胆嚢摘出手術




2018年6月1日

腸閉塞で入院


この頃には母も一人で看病をするのが辛くなっていたのもあり、父には病院で過ごしてもらうことに。


体調がよくなってきた頃合いをみて、一時退院も視野に入れて予定を組んだりはしていたのですが。




6月18日

容態が急変したとの連絡を受け、母、兄夫婦、私で病院へ向かいました。



病院に着くと、いつもとは違う個室に移動していました。


連絡をいただいた時よりは容態が少し落ち着いたとのこと。


横になってはいましたが、話をすることもできました。


筋力がかなり落ちていたので、自力で起き上がったりすることは難しい状態。


その日は側で様子をみていてもよいという許可が出たので、兄夫婦と私は病院に残ることにしました。


夜中中、嘔吐を繰り返していましたが、弱音を吐くこともなく、痛みを訴えるようなこともありませんでした。


看護師の方からも、父は辛抱強く、入院中でも身なりをちゃんと整えたりしっかりしている人と仰って頂けていました。




6月19日

朝になると吐き気もだいぶよくなったようで、ベッド上で座ることもできるようになりました。


何かを言いたそうにしていたのですが、義歯を外していたので、うまく聞き取れず・・



母に夜付き添わせることは無理があるのと、兄夫婦は仕事で戻らないとならないということで、その日の夜も私が付き添うことにしました。


急変の知らせをうけて、何も準備せずに病院に来ていたので、一度家に戻り必要なものを持ってまた来るねと父と握手をして帰りました。



自宅で準備をしていると、兄から電話が。


意識が朦朧としているし、点滴など処置はしているがうまく入らない・・と。


私が病院に戻るまではもたないかもしれないから、慌てずに病院に来るようにと。



なんで家に帰ってきちゃったんだろう、立ちあがろうとしてまで、何か言いたそうにしていたのに、なんで最後まで聞き取れなかったんだろう・・なんでなんでって、心の中でずっと思っていました。


それは、いまも残念ながら、私の奥深く根底に残っている想いです。




余命3ヶ月〜半年といわれてはいましたが、最終的には告知から8ヶ月。



年末年始を賑やかに過ごした後も、息子の中学校合格や小学校卒業、入学等を一緒にお祝いすることもできました。


何気ない日常を共に過ごす時間をもらいました。


家族みながその日を迎える心の準備をすることができたのではないかと思っています。




私の癌は乳がんでステージ1と早期に治療をすることができました。

しかし、再発や転移の心配は続きます。


この世を去るということについて、私事としてよりリアルに考えるようになりました。


その時が来た時に、夫や子供達が困らないように、ちゃんとお別れができるように。


いま、できることを。日々を大切に過ごしていきたいと思います。




この頃の記憶が曖昧となってきていたので、記憶の整理として書かせていただきました。


お読みいただいた皆様、ありがとうございました。





本日の1枚🐈

姉ちゃん学校行ったら、ベッドは猫のもの