去る、12月29日。

亀梨くんのInside 23 experiment No.0 のライブ・配信イベントが行われました。

SNSでは、現地に足を運んだ方、配信を視聴した方の反応が続々と投稿され、とても盛り上がっていたことを感じた次第です。

私は蚊帳の外からその様子を眺めていましたが、思うところがいろいろとあったので、感じていたことを書こうと思います。

 

イベントの数日前に、亀梨くんのYouTubeチャンネルで、今回のイベントの裏側密着の動画が公開されていました。

私は、今日、そのYouTube動画を視聴しました。

 

私は、ライブに足を運んでもいないし、配信も見ていません。

でも、その反響の大きさ、感動が止まらない様子を見て、正直、配信チケットを買わなかったことを後悔しました。

配信チケットは、1月5日と1月7日分もあるけれど、購入期限は昨日まで。

なんて惜しいことをしたんだろうと、今更ながら思っています。

それほど、魅力的でした。

 

billboard東京で行われたライブは、軽食付き、お土産もあるという、とても「特別感」溢れるものでした。

客席数は、300だとYouTubeで言っていました。

300人の観客のために、パフォーマンスをする。

それは、過去にドームやアリーナで、数千人、数万人のオーディエンスを相手に、歌い、踊ってきた亀梨くんにとって、どのような意味を持つのか。

客席の近さも、届けられるものの規模も、全く違う。

そして、グループではなく「亀梨和也」という、単位。

 

「限られたお客さんに、亀梨和也がプレゼンする極上のおもてなし空間を」そんなコンセプトで作られたのではと思う、今回のイベント。

会場に足を運んだ方は、肉眼でその姿を見ながら、亀梨くんが奏でるひと時を堪能できたのではないでしょうか。

そう、感じました。

 

亀梨くんがYouTubeを始めるとき、「もっと、亀梨和也個人を大事にする」というような話がありましたが、今回のイベントは、まさにそれを叶えるためのものだったのではと思います。

 

亀梨くんは、「亀梨和也」というブランドを、とても大事にしていますよね。

ライブに挑むとき、「亀梨和也」に入るための決まった動作があるように。

人前に出て、パフォーマンスするときには「亀梨和也」の衣装を着て、表情を作って、仕草の一つ一つも「亀梨和也」として、それを崩さないようにしているのでは、と思います。

 

どんなシーンでも、亀梨くんは亀梨くんで。

真剣な時も、ニコニコしているときも、ちょっといたずらな顔を覗かせるときも、どこから見てもそのスタンスを崩したことはない。

カッコいい面も、おちゃめな面も、すべてが「亀梨和也」の構成要素として、成り立つもの。

 

「こうなりたい」と願って、そのように自分を作り上げてきたことが、今の亀梨くんなんだろうなと思います。

セルフプロデュース能力のすばらしさ。

アイドル「亀梨和也」を、どうコントロールして、どう成長させていくか、それを常に考えながら、お仕事してきた証。

一貫して、亀梨和也がある。

すごいことだと思います。

 

亀梨くんは、自分自身の魅せ方も、売り込み方も、輝かせ方も、熟知していると感じます。

外見も、内面も、経験も、すべてが自分自身を輝かせるものとして、こだわりを持って、自分自身に向き合っている。

いつからそうだったのか、いつ頃からそう意識してきたのか、わからないけれど、それは亀梨くんの才能だと思います。

 

KAT-TUNという、一つの集合体の中でも、一人一人の輝き方が違う。

三人を見ていると、強くそれを感じます。

 

亀梨くんは、「亀梨和也」というブランドをとても大事にしている。

演者として、アイドルとして、一人の人間として、一貫してその魅せ方や表現にこだわっていると感じます。

 

一方、それとは真逆の表現をしているのが、中丸くんだと思います。

中丸くんは、どちらかというと自分自身の手で作り上げる作品そのものに、こだわりを持つタイプです。

それは、数々のアート作品や、動画制作、最近の写真、そういうものからも見て取れます。

 

中丸くんの手を介して、ファインダー越しに見える世界を、いかに表現するか。

そういうところに、並々ならぬ情熱を注ぎ、その世界観にこだわるのが中丸くんです。

 

SNSでも、中丸くん自身を撮影したショットと、中丸くんが自分の手で撮った風景や静物など、半々くらいの割合で並んでいます。

被写体としての自分と、自分が切り取った世界とを、並列で並べる。

演者としては、ちょっと珍しいタイプです。

 

立つだけで、ただその場にいるだけで絵になる、そんな容姿であることは間違いないのに。

そこに対するこだわりは、おそらくそこまで強くない。

自分自身を飾ることよりも、ステージ全体としての完成度や、KAT-TUN全体としてのバランスを考えながら、その一部として全体の作品づくりに寄与しているような、そんな関わり方をしているように感じます。

 

ダンスを求められれば、切れ味鋭いダンスを。

ビートボックスを求められれば、会場全体に響くビートボックスを。

楽曲に乗せて奏でるメロディーは、職人技の正確無比なメロディーとリズムで。

コーラスワークも同様に、主旋律にしっかり寄り添う。

中丸くんにとってKAT-TUNであることは、「中丸雄一」を目いっぱい表現するというよりは、KAT-TUNの一員としての求められた役割に全力で向き合うことのように思います。

 

ライブを心から楽しんでいて、しっかりファンのほうを見てくれている、それは強く感じます。

ただ、表現者としての「中丸雄一」という人は、亀梨くんが表現する「亀梨和也」の作り方とは、全く違う。

同じグループにあり、一つのメロディーを織りなす仲にありながら、とても面白いと感じます。

 

ただ、いちファンとして欲を言うなら、ソロ曲で見せるような顔を、ビートボックスを響かせるときの姿を、もっともっと、見てみたい。

「中丸雄一」という存在を、最大限輝かせている、その瞬間をもっともっと見てみたいと思うのです。

中丸くんが、全力で「中丸雄一」を輝かせる瞬間が、大好きだから。

もう少し、そんな姿を見せてほしいと思っています。