帝王。

いつの頃から、そう呼ばれてきたのか。

わからないけれど、その呼び名は着実にファンの間で定着し、揺るぎないものになったようだ。

何事にも揺るがず、強い信念を持ち、我を貫く、そんな人だと思う。

中丸雄一という人は。

 

中丸くんのことを、ちゃんと知る前の話。

私の中では「大人しい人」そんな印象だった。

 

私がKAT-TUNを知ったのは、嵐にハマっていた頃。

2013年の紅白で嵐にハマって、そこから追いかけていたので、その流れのどこかでKAT-TUNを見知ったのだと思う。

その年のカウコンを見たかどうかは記憶にないけど、翌年からはカウコンを欠かさず見ていた。

そこで、KAT-TUNを見た記憶がある。

 

KAT-TUNとしては、4人期。

亀梨くん、田口くん、上田くん、中丸くんの4人だった。

この頃のKAT-TUNは、とにかく踊るグループだった。

 

Jのアイドルとしては、かなり尖った曲調。

Mステなどの音楽番組で歌披露となれば、鋭い眼差しでガシガシ踊り、歌う。

そんな印象がある。

この時期の記憶として、私の中に残っているのは、亀梨くんの鋭い目つき、田口くんの長身から繰り出されるダイナミックなダンス、上田くんの支配力みなぎるオーラ、中丸くんの虚無感、だった。

 

なにを見てそう思ったのか、よくは思い出せない。

ただ、私はその時、KAT-TUNというグループにおいて、中丸くんが「異質」のように思えた。

パブリックイメージが、そうさせたのかもしれない。

 

その昔、中丸くんにも「チャラ丸」なんて呼ばれていた時期があり、襟足伸ばしたり、赤メッシュ入れたり、しまいには黒マニキュアしたりなんてことを知っていたら、また違った印象を持ったかもしれない。

でも、この時はそういった過去を知らなかった。

 

「この人のまなざしの先は、なにがあるんだろう」

今思えば、無意識的にそう感じていたのかもしれない。

 

亀梨くんは、常に明らかに何かを見据えている、そんな表情をよく見る。

ファンサの時も、カメラ目線の時も、射るような視線を流すときも、その瞳はハッキリと「何か」を捉えている。

それは、客席の一点なのか、カメラなのか、それらを超越したものなのかは、わからない。

けど、その瞳に強い「意思」を感じる。

 

田口くんは、KAT-TUNの中では柔らかな雰囲気をまとった人だ。

長身の王子様キャラで、底抜けに明るい。

ただ、歌い踊るその瞬間は、目の前の歌と踊りに全力で集中しているように見えた。

「魅せること」を、意識した動きだったように感じる。

時折みられる流し目が、たまらなくセクシーだった。

 

上田くんは、全身からあふれ出るオーラがとにかく尋常じゃない。

この当時、私の目に映っていた上田くんは、髪の毛がツンツンで、常にオラオラだった。

上田くんもまた、昔のかわいらしい一面を知っていれば印象が違ったかもしれないが、残念ながら当時の私は知らなかった。

この頃の上田くんは、両手を広げただけで、空間を支配するような圧倒的なオーラを放っていた。

マイクを上向きに構え、睨みつけるように歌う姿に、圧倒された。

 

亀梨くんの眼力。

田口くんの流し目。

上田くんの睨み。

じゃあ、中丸くんはどうか。

 

私には、中丸くんの目をしっかり見た記憶が無かった。

たしかにそこにいて、4人でパフォーマンスをしているのに、中丸くんだけ何かが違う。

視線が合わない。

 

昔の記憶で、手元に動画が残っているわけではないので、思い違いもあるかもしれない。

でも、思い返せば、そんな気がする。

中丸くんは、どこを見ているのだろう。

 

KAT-TUNは、いつの時代だってKAT-TUNだ。

4人のKAT-TUNは、KAT-TUNというブランドをどんどん更新していた。

田口くんと中丸くんのシンメは、長身で目を引いた。

ビートボックスを操る中丸くんは、唯一無二の存在であることは疑いようもない。

しかし、この当時の私は見過ごしてしまったのだ。

 

帝王、その人を。

 

 

時が流れ、推しを推すことから離れていた時期があった。

ほんの数年だけれど、浦島太郎になるには十分な時間。

私は、すっかりJに疎くなっていた。

 

それがたまたま今年に入って、YouTubeきっかけで中丸くんに惹かれ、KAT-TUNを見るようになった。

数年ぶりの再会。

おそらく、最後に見たのは、再始動直後の「Ask Yourself」あたりだったので、かなり間が空いている。

3人になったことは知っていたし、3人で進む覚悟を決めた、そんなKAT-TUNがカッコいいと思った記憶はある。

ただ、3人で歌い踊るKAT-TUNは、ほとんど見ていない。

そんな状態で「Fantasia」を踊る、KAT-TUNに出会った。

 

 

 

 

そこに、帝王はいた。

4人期のKAT-TUNの記憶が色濃かった私は、衝撃を受けた。

 

3人のKAT-TUNが放つ輝きは、一つも衰えていない。

あの頃と、ほとんど変わらない風貌。

鋭さも、カッコ良さも、何一つなくしちゃいない。

どころか、色気と内なる輝きは、さらに増しているとさえ感じた。

 

ルックスも、スタイルも、一流アイドルのそれでしかない。

非の打ち所の無い、バランスの取れたトライアングル。

そんな3人が、そこにいた。

一目見て、目が離せなくなったことは言うまでもない。

 

ダンス動画は、元々見るのが好きだった。

歌唱時のパフォーマンスとはまた違う、緊張感がたまらない。

そして、KAT-TUNのダンス動画は、素晴らしくエッジの効いた、キレッキレの仕上がりだった。

 

一筋縄ではいかない覚悟のような、腹の底に響くような、重みを感じさせるダンス。

流れるような動き、軽やかなステップ、かと思うと挑発するような目つき。

カッコいいを突き抜けた、その先にあるものを見た気がした。

 

空間を支配する存在。

瞬きすら許さない、すべてを目に焼き付けたいと思わせる興奮の連続。

視線が、指が、脚が、腰が、思考回路の全てを奪っていく。

この動画は、何度繰り返し視聴したかわからない。

 

横並び一線の「KAT-TUN」のカッコ良さは、格別だ。

ただ、この時、私が最も衝撃を受けたのが、中丸くんの存在だった。

 

感度全開のダンス、そんな感じだ。

見たことのない、知らない姿がそこにあった。

視線の先が読めない、そう感じた中丸くんとは違う。

視線を合わせなくても、動きが、存在が、その場を支配する。

中丸くんのパブリックイメージである「優等生感」や「ちょっと情けない感」は何一つ見当たらない。

 

文字通り、私の感覚は支配されてしまった。

当分、抜け出せそうにもない。

こんなギャップ沼があるものなのか。

そして、私の中で、中丸くんの評価は覆った。

すなわち、彼が「帝王」であると。