新学期の季節ですね😌🌸
最近はランドセルというと本当にいろいろな色があって、性別による違いも小さくなってきているように思います。
いろとりどりのランドセルを見ていると、なんだかわくわくした気持ちになります🎒🫶🏻
わたしが小学生のころはいまほど色のバリエーションがなく、男の子は黒、女の子は赤のランドセルの子がほとんどでした。
小学校入学前、両親と一緒にランドセル屋さんに行ったわたしは、一つの商品に目が釘付けになりました。
それは、渋めのピンク色のランドセル。表面がざらついた加工になっていて、とてもおしゃれでした。
お店の方に聞くと、「ローズピンク」という名前のカラーだそう。
ローズピンク…!なんてかっこいいの…!!
と、幼稚園児のわたしはうっとりしてしまいました
「これがいい!!!」
わたしは即決。すると、お店の方に「どちらの小学校に入学される予定ですか?」と聞かれました。
両親が学校名を答えます。
お店の方が言いました。
「そうなんですね。。もしかしたら、そのあたりだとまだピンク色のランドセルを持っている子はほとんどいないと思うので、みんなと違うということで、入学後のいじめの原因につながったりするかもしれませんが…」
わたしには、意味がわかりませんでした。
どうしてランドセルの色が多数派と違うというだけで、いじめられる可能性があるのか。
いじめというのは喧嘩の延長にあるもの、くらいにしか当時のわたしは認識していなかったので、どういうことなのかさっぱりわからなかったんです
「わたしは人と違うのがいい。みんなと同じなのは嫌だ!」
とわたしは強く主張しました。
お店の方の言葉に、母は心配しましたが、そのとき父が言いました。
「いいじゃないか。人と違うってすばらしいよ。よし、このローズピンクのランドセルにしよう!」
そんなわけで、わたしはピンク色のランドセルを背負って入学式に臨むことになったのです
ところが。
小学校に行ってみると、なんとピンク色のランドセルが目に飛び込んできたのです。
当時ちょうど人気になってきたタイミングだったのか、学年に数人程度、ピンク色のランドセルを選んだ子たちがいたんですよね😥
わたしは号泣。
みんなと違うと思っていたのに。自分だけの特別な色のランドセルだと思っていたのに。
大きなショックを受け、絶望した記憶があります。
人と違うのがいい、というのは、大人になったいまもわたしの性質の一つになっています。
父に「人と違うのがいいって思えるのはいいことだ」と肯定してもらえた記憶もあいまって、少数派を望んでしまうのかもしれません
6年生のときの教室のロッカー。ここにランドセルをしまっていました🎒
ちなみに、入学式でショックを受けた同級生たちのピンクのランドセルですが、じつはよく見ると、わたしのランドセルとまったく同じものを使っている子は学年にもう1人くらいしかいませんでした。
ピンクのランドセルとひとくちに言っても、メーカーが違ったり、同じメーカーでも色合いが違ったり、加工が違ったりして、いろいろなバリエーションがあったんです。それに、わたしのランドセルにはわたしだけのイニシャルも刻印されていました。
同じように見えても、よく見たら違う。これは世界にたった一つの、わたしだけのランドセルだ。
そう思い直したわたしは、6年間、ローズピンクのランドセルを揺らしてごきげんに小学校に通ったのでした。
ランドセルはいま、実家の屋根裏部屋に眠っています。
いつかまた背負ってみたいなぁ。
当時より小さく見えるんだろうか。わたしはあのときより成長できているだろうか、なんて思います。