出産をした病院は個人産院

手術もできる病院でしたが

規模の小さい病院でした



新しく病院を作り始めている途中で

入院した時はまだ古い建物


エレベーターもなく

暗い病院の階段を上り

分娩室兼手術室へ案内されました



入院したのは出産予定日のAM0時過ぎ

この時まだ3cmと全然進んでいませんでした



でも痛みの程度はどんどん強くなり

1時過ぎになると

7-8分おきに腰が砕ける様な

今までに感じた事ない痛みが襲いました

上に掛けていた毛布をギュッと握り

息を細く長く吐いてのがしました



夜中だったからか

助産師さんにほとんど来てもらえず



吐いた時

水が流れる様な感覚がした時に

ナースコールをした以外は

助産師さんが来ることはなくて



本当に一人きりでした



痛みが落ち着いた時は

少しでも寝ようと思っていたので

携帯を触ることもなく

ポカリスエットを片手に休み

また襲ってくる痛みに耐える



この繰り返しでした



途中でトイレに行きたくなった時は地獄


古い病院だったため

部屋にはトイレがなく

トイレまでは部屋を出て

廊下を歩く必要がありました



トイレを我慢していると

お産の進みが悪くなるし

我慢も出来ないし


痛みが落ち着いたタイミングで

動き出すのですが

歩いている途中で痛みが強くなり

うずくまり痛みを逃し

どうにかトイレへ辿り着きました

トイレからベッドまでが果てしなく

遠く感じました



何をしても痛くて

こんな痛みをみんな耐えているのか…と

世界中のママたちを本気で尊敬しました



4時頃の内診で6cmまで進んでいました

初産婦としては進みが早い方で

午前中には産まれるかもと言われました



時計を見て絶望感…

あと8時間くらいこの痛みと闘うのか…と 



そしてさらに絶望が襲います



経産婦さんが陣痛なのか来院するようで

私より出産の進みが早いと

予想した助産師さん



分娩室から

隣の陣痛室へ移動してくださいと



この痛みの中、部屋移動を告げられます



嘘だろ…と思いつつ

もう言われるがままです。



息も絶え絶えに部屋を移動

移動した狭い陣痛室で

モニターをつけました



20分程モニターをつけていたのですが

陣痛が来るたびに

赤ちゃんの心音が落ちてしまうそうで



指示通り四つん這いになったり

酸素をつけたりしますが

赤ちゃんが苦しそうだと言われます



この時、5時頃

内診で8cm



小さい声で助産師さん同士で

「カイザーかも」という声が聞こえました



「オペですか?」と聞くと

先生をこれから呼んで判断してもらうと

言われました



この頃はら痛みが更に強くなり

声がどうやっても漏れてしまいました

いっそオペした方が楽になるのかな…

と考えていました



しばらくして若めの女医さんが登場

内診をして9cmまでは進んでいるけど

モニターを見て一言



「私じゃ判断できない」



声にはならないものの

じゃあ判断できる人が最初から来てよ!!

何しに来たんだ…

と心で思いました



やっと

40代くらいの若い院長先生が来てくれて



9cmまでは進んでいるけど

赤ちゃんの心音の戻りが悪く

苦しいので帝王切開をしましょう



と緊急帝王切開が決まりました



この頃の記憶が曖昧なのですが

痛みが尋常じゃなくて

1秒でも早くこの痛みから逃れたくて


痛い…早く…痛い…早く


と繰り返していたのを覚えています



そして手術が決まったと言うことは

手術室でもある分娩室へまた

移動する事を意味していました



どうやって移動したのか

曖昧な記憶ですが

ふらふらしながら

早くして…早くして…と

それだけしか考えられないくらい

痛くて仕方がありませんでした



子どものことを考えている余裕は

1mmもありませんでした


後々で聞いた話ですが

モニターをつけて心音が落ちていたのは

臍帯(臍の緒)が首に巻きついていて

陣痛の度にギュッと締め付けていた事が

原因だった様です



今振り返ると息子は本当に

苦しかっただろうと思います



でも

この臍帯が巻きついて

心音が落ちていた事で帝王切開になり

私も息子も命を救われる事になったのです