メディアは価値観を閉じ込める檻だ。
と思った。
たまたま録音していた番組を聞いて、それは面白かったんだけど、
なにか違うという感じも残した。
それは面白いとか面白くないではなく、それらを画一化する固定的価値観の塊。
わかりきったことですけどね。
それを押しつけととるか、選択肢の提示ととるか。
ユーザーの「何でもあり」感と、そこに甘える作り手が腐敗の螺旋を作ってる。
わかってるんですけどね。
その螺旋はもう何年もかけて作られてるから離脱するのがすごく大変。
同じ危機意識のある人たちで強いチームを組まないと到底できることじゃない。
螺旋の中で、その螺旋を先に延ばすことが「ベーシック」に化けてるから、正攻法に捉えられてしまっている現状、全く新しいことを想像することすら困難で、できたとしても到底実現できない。
いかんせん、動きづらい。
何を隠そう、私はラジヲであります。
これは今作った造語です。
ラジオ・ヲタク、ですね。略してラジヲ。
文字なら良いけど口頭じゃわからんよね。
おいラジヲ!これで良いのか!(いいのだ!)
まぁそれが講じて作り手に成ることができ、
周囲の「ディレクター化」のプレッシャーを
風邪と花粉症によってユルユルな鼻の分泌物でヌルッと躱しつつ
「作家作家作家作家作家作家作家作家作家作家作家作家作家作家作家作家」
と自分へ暗示どころか呪いをかけて突破、後へこみというライフサイクルに突入して早1年9ヶ月。
なーんも発展しとらん気がする。
ただ、東京でいろいろ番組を作っていて、それとともにいろいろ番組を聞いていて
全国的なメディア/クリエイションの中心にいて、何か明らかな壁を感じてるのも確か。
あ、でも隔てる壁じゃないからやたら高い山かな。
「お金はわかるけど、そこスタートじゃ何も得られないと思う」
ちゃんと方向見据えてクリエイティブに作ればそれは多分どこかからついてくる。
創作物はなんでもそうだけど、いろいろな視座から見るいろいろな人がいなきゃ成り立たない。
例えば、
楽しむユーザー(アトラクション)
売れると思いお金を出すスポンサー(広告)
メッセージやら想いを届けたいと思う作り手(コミュニケーションツール)
こんな風にね。これらが強ければ強いほど、良くなると信じては、いる。
「数字も確かに重要だけど、もう一つ重要なものがないから崩れるのよ」
ここまで文明やら世界を(よくも悪くも)発展させた霊長たる人間だって二本足。
その人間の作った物のメンタルが一本柱じゃなー。
「ここまで、これくらい。これはこれでいい」
その結果は、それなりにもちろん成功してそれなりの結果も生むけど、
きっとそれ以上に疑問を生む。
ラジヲな僕ですが、
これは音楽だろうが絵だろうが本だろうが服だろうが
料理だろうが共通することと思います。
で、これらが今、ちょっとあり得ないくらい固いガチガチのチューブに導かれて螺旋状に降下している。
世界的経済不況ももちろん加担してる。
少子化も、政治家への不信も、隣人への恐怖も、脳内個室化、ネット偏重も然り。
もちろんこれらすべては悪いことばかりじゃない。
少子化はマクロな視点で見れば人口爆発抑制
政治家への不信は、ポスト・チェというような意味を持つし
隣人への恐怖は逆に取ればコミュニケーションの促進につながる。
脳内個室化は義務教育が抑制する個性の推進
ネット偏重は技術発展。
メディアは、自身を取り巻く現状の多角解釈の意識がまだちょっと足りてない。
もちろん作り手、ユーザー、スポンサー、すべて。
なんとかしたい。
なんとか。
打開策、日々模索。