私はペルーへのツアー添乗が大好きだった。
ペルーでは毎回刺激される何かがある。
富士山よりも高い標高を持つチチカカ湖から首都のリマへ降りてきてから、一路ナスカの地上絵を見る行程のために、イカという街まで砂漠のパンアメリカンハイウェイを5時間ほどバスで南下する。
途中、休憩は「カニエーテ」という街が定番。
富士山よりも高い標高を持つチチカカ湖から首都のリマへ降りてきてから、一路ナスカの地上絵を見る行程のために、イカという街まで砂漠のパンアメリカンハイウェイを5時間ほどバスで南下する。
途中、休憩は「カニエーテ」という街が定番。
ここは1899年に日本人の契約移民790名が「佐倉丸」という船に乗って初めてペルーに到着したところ。 かつての日系人の巧妙か、トイレのおじさんも日本人観光客には優しい笑顔を向けてくれる
しかしこのカニエーテの街には日系のペルー人が多いかと思いきや、現在ではムラート系(黒人とスペイン系の混血)のペルー人が多いところ。
カニエーテのとなり町に「チンチャ」という小さな村がある。
ここ、ペルーのンディヘナの大地にスペイン人が入植したときに、南米には無縁だったおたふく風邪や麻疹をも持ってきて、免疫のなかった先住民たちはたくさんの命を落としてしまったという。
そこで、使役に困ったスペイン人達が、このチンチャの街にたくさんの奴隷をアフリカから連れてきたという名残で、黒人の少ないペルーの中でも唯一のムラートの村として賑わっている。
チンチャの子供は、私たちを含め、たくさんの観光バスがこのカニエーテに休憩をしに来るということを分っているから、いつもゴミ箱や車のフロントガラスを磨くワイパーを持って、バスを降りるお客さんに挨拶をしてくる。
何かおこぼれがもらえないかという魂胆だ。
いつも物乞いをしてくる面子は同じ。
いつも物乞いをしてくる面子は同じ。
なんとなくこのカニエーテで休憩をするときは、またあの子たちいるかな?と、期待半分、心配半分だ。
私が初めてペルーに来たのは2003年10月。
あれから3年の月日が経ち、何回もここに立ち寄ることで、この子供たちに愛着が湧いてくる。
元気に生きてるのかな?と、何となく気になる存在である。
そんな期待でバスをカニエーテで休憩に入る。
予想通り子供たちがバスに群がってくる。
「またいる~、こんなことばっかりやって!学校は行かない の?」
「学校は午前の部だもん!! それより飴ちょうだい!」
いつもの顔ぶれ。ちゃんと全員いる。
みんな元気だった。子供たちの顔を見ると安心する。
最初にこの子供たちと会ってからもう3年が経った。
改めてみると、なんだかずいぶん大きくなった。背もだいぶ伸びた。
顔つきも中学生になってか、だいぶ男らしくなった子もいる。
一緒にバスの前で、「踊ろう!」って、アフロのダンスをしていたあの頃の顔とは違う。
「僕、もう13歳になったよ!」
そっか、13歳か。
私の3年は大して変わらないけれど、子供の3年は大きい。
もう彼女の一人や二人いてもおかしくない年頃。
言われて見れば、まるでもう初体験を済ませたような顔つきをしてる。少年が大人になった時、親はそれがわかるというように。
「じゃあ、もう飴はいらないわよね!」
「じゃあ、もう飴はいらないわよね!」
それでも飴ちょうだいと、両手を差し出す姿はまだまだ少年で愛らしい。
いつかこの子達がもっと成長して、彼女をデートに誘うときにお茶代がないんじゃないかとか、いつしか未婚の父となりミルク代が出せないときはお金をあげなきゃいけないんじゃないかとか、、、。ふと余計なことを考えていた。
この子達の未来に幸あれ!
これからも見守ってるぞ。


