「ところで、澪ちゃんはつきあっている人いないの?」
 カフェでの広告デザインの打合せが終わるや否や、そんなことを聞かれたものだから、思わず飲みかけたアイスミルクティーを吹き出しそうになった。顔を上げると、チャラそうなニヤケ顔が澪を見つめている。軽薄そうな笑顔の奥に、探るような視線が見え隠れしている。代理店のプランナーである緒形雅司はまずまずのイケメンではあるが、女癖は悪そうだ。実際、何ヶ月か前に、キャバ嬢みたいな派手目の女と夜の街で乳繰りあっているのを目撃したこともあったし、先日もイタリアンレストランの新規開店レセプションに、モデル風の女性をエスコートして現れていた。
「緒形さんこそ、この前の彼女とはどうなんですか?」
「ん?誰のこと」
 と、緒形が惚けた表情で返す。
「レセプションパーティに来てたむちゃくちゃ綺麗な人ですよ。帰りに肩抱きながら、街に消えてったじゃないですか」
「ああ、あれね」
 緒形がタバコに火をつけて、煙をゆっくりと吐き出す。女性の前で、断りもなくタバコを吸い始める男は、無神経で大嫌いだ。
「あの子から言い寄られてちょっとつきあってはみたんだけど、先週別れたよ」
 だからさ、と続けながら緒形が身を乗り出す。
「最近、なんだか寂しくて。だからさ、このあと澪ちゃんとメシでも行けないかなって」
(こいつ…)
 先週別れたばかりで、もう次の遊び相手探しかよ。私はテン乗りの馬じゃねえぞ。
「ありがとうございます。でも、私つきあってる大切な人がいるんで。ゴメンなさい」
 ムカムカする感情をなだめながら、とびきりの笑顔で応える。
「ええっ?マジで」
 いかにも驚いた素振りで緒形がソファに身を沈めて天を仰ぐ。いちいち猿芝居を打つのは時間のムダだからやめてほしい。
「で、どんな人なのよ、その彼氏は」
「うーん…ナイショです」
「画像とかあるでしょ」
「ヒミツです」
「結婚とか考えてんの?」
 ついに地雷を踏んでしまった。一番聞きたくない言葉。
「すみません。私、急ぎの仕事がまだ残ってるんで」
 そそくさと席を立つ。
「あー、ひょっとして不倫とかじゃないよね」
「違います」
 残りのアイスティーをぶちまけてやりたい衝動を必死で抑える。笑顔、笑顔と呪文のように心中で唱えながら、澪はカフェを後にした。

 祐希はきょうはまだ家にいるはずだ。バーに出勤するまで、まだ三時間ほどある。気分転換に祐希の好きな料理でも作ってあげたいなと思い、澪はスマホを手にし、祐希に電話をかけた。
「もしもし、祐希ちゃん」
「うん、どうしたの」
「きょうお仕事行く前に、何か作るから。何が食べたい」
「うーん、正直そんなにお腹すいてないんだよね。さっき食べたばっかだし」
「そっか…じゃあ、いいや。夜食用にちょっとしたものを買っておくね」
「ありがとう。雨が降りそうだから、早く帰っておいで」
「わかった。じゃあ」
 電話を切ると同時に、思い出した。
「あっ、しまった」
 あわてて出てきたので、持ってきた傘をカフェに忘れてしまった。でも取りに戻って、緒形と顔を合わせるのも嫌だった。まぁいいかなと、歩き出し、デパートの惣菜売り場へと向かった。
 フロアをぐるりと回って、祐希の好きなポテトサラダやローストビーフサンドを買った。あとは白ワインにテーブルに飾るフラワーバスケット。
 買い物を済ませて外へ出ると、大粒の雨が落ち始めていた。路上からアスファルトの匂いが立ち上ってくる。しばらく待ってみたが、雨は勢いを増し雷も鳴り始めた。待っていても埒が明かないので、タクシーで帰ろうと大通りまで雨の中を駆けだした。みるみる内に服が濡れそぼっていったが、なんとかすぐにタクシーを拾うことができた。
(祐希ちゃんは…)
 窓ガラスが真っ白に曇る車内で、澪は祐希との未来について思いを巡らせた。
 祐希ちゃんは、これからずうっと先も、私と一緒に生活をしてくれてるだろうか。ずうっと私を好きでいてくれるかな。男の人や他のもっと可愛い女の子を好きになったりしないかな。この幸せな時間はいつまでも続くと信じてていいのかな。あーあ、こんなに幸せなのに、なんでこんなに不安になるんだろう。私が弱いだけなのかな。
 家に着く頃には、雨の勢いも弱まっていった。ドアを開けると、祐希が「おかえり」と玄関まで出迎えてくれた。
「どうしたの、澪。ずぶ濡れじゃん。傘はどうしたの?」
 じんわりと涙があふれてくる。
「ねぇ、だっこして」
 濡れた服を脱ぎ捨てて、澪は祐希の胸に飛び込んでいった。

 ベッドで抱き合ったまま、微睡んでいたようだった。すっかり雨は上がったようで、カーテンから薄陽が差してきた。
「雨あがったね」
「そうだね」
「ぼく、そろそろ着替えて仕事行くわ」
「うん」
 ベッドを抜け出し、着替えていた祐希が突然、窓の外を指さした。
「澪、こっちに来て。外見てごらん」
 ベランダに出た祐希が「ほら」と指さした東の空には、大きな虹が架かっていた。

 祐希が出かけたあと、澪は白ワインとソーダでスプリッツァーを作り、週末のグランプリレース『宝塚記念』の予想を始めた。
 人気も実力もキタサンブラックが断然だ。でも、不安定な天気で馬場状態も悪化するかもしれない。少頭数であるがために、目標にされやすいという懸念も増大するんじゃないかな。
 レインボーラインはどうだろう。阪神は二戦二勝。重い馬場も洋芝での走りを見ると、苦にしなさそうだし、鞍上の岩田騎手も最近は好調だ。
 何よりも…
 きょう祐希ちゃんと見た虹が、しっかりと心に刻まれている。
 祐希ちゃんとの恋は、ひょっとしたら虹のように一時的で幻想のようなものなのかもしれない。でも、目を閉じればいつでも、あの見事な虹の軌跡を思い起こすことができるだろう。
 今年のグランプリレースは、虹に願いをかけよう。

《祐希ちゃんといつまでも幸せに暮らせますように…》
 
澪の予想/ニ〇十七年「宝塚記念」
◎レインボーライン
〇キタサンブラック
▲ミッキークイーン
△ミッキーロケット
×シャケトラ
×シュヴァルグラン
×ゴールドアクター
☆サトノクラウン
◎〇▲△☆ 三連複BOX
◎〇▲△ 馬単BOX
◎→×☆ 馬連、ワイド流し
単勝 ◎
買い目 総計三十一点