われら日本人。しかし、朝鮮・中国では、かなり最近まで『倭人』と日常呼んでいたようである。

 

「倭人は、帯方東南、大海の中に在り。山島に依りて国邑を為す。旧百余国。

 漢の時、朝貢する者あり。今、使訳通じる所は三十国なり」

 

これ、卑弥呼のことが唯一書かれている『魏志倭人伝』の冒頭である。

二千年前のわれら祖先は、まさに倭人として当時の半島人や大陸人と盛んに交易していたことが伺える。そして、倭人の国は、漢の時代には百余国(ムラ)に分かれていたが、魏の時代には三十国にまとまった事も伺える記事である。以下、魏志倭人伝には、倭人の暮らしの様子が比較的詳しく書かれている。弥生時代後期の倭人の様子を知ることの出来る唯一無二の書が、魏志倭人伝であるので、私はこれを繰り返し読んできた。そうして生まれたのが、『卑弥呼物語ー愛の誓約(うけい)』である。

 

 

現代韓国人のことはあまり好きになれない。感情が理性を支配する国民性というものを感じてしまうからである。過去の戦争の代価というならば、もう一度テーブルについて、冷静に話し合いをしようではないか。

それはおいといて、卑弥呼の時代には、列島と半島の間に国境など無かった。

まさに、ジョンレノンも真っ青のノー・ボーダー状態。列島の倭人は半島を自由に行き来し、半島に住む人々もこの列島各地に気ままに交易を求め、場合によっては、住みついたのである。おそらく当時は同じ言語を使っていたと想像できる。そして互いに船で渡り来て、「恋愛」「結婚」ということもあったのである。

魏志倭人伝に『狗邪韓国』というクニが登場するが、これは倭人も韓人も入り乱れて住んでいたと想像できる所である。後の時代、朝鮮半島南部に『前方後円墳』が築かれることも、この「仲の良さ」を証明しているのである。

 

皮肉なこと、残念なこと、それは仲の良かったきょうだいが、啀み合い憎しみ合う現在の状況である。最近で言えば、旧統一教会の問題も蔭を落とす。北朝鮮の人々とも本来ならば、仲良くすべきところである。

 

互いに歩み寄る・・

できないものか・・

非常に困難だと思えるが、乗りこえる努力はやっていきたい!

大昔のように、国境なき東アジアの実現へ。

 

『チャングムの誓い』を観た。全54話。2003年~

だいたい1話が一時間ぐらいだから、54時間は最低拘束されていた・・

面白かった。今の状態では韓国は好きにはなれないのだが、韓流ドラマはつい見入ってしまう。特に時代劇がすばらしい。

「チャングムの誓い」は、よろめきドラマの類いではあるが、女性で身分の低いひとが主人公だというところに惹かれる。そして、料理人や医者の有り様を徹底して追究する主人公の生き様に見いってしまうのである。口数は少ない主人公チャングムであるが、一本筋の通った意志の強さは、ついに父母を死に追いやった悪者一族を懲らしめるに到るのである。ただ、残念なことに、「時間引き延ばし策」「女官のうわさ・養父母の戯れ」が過ぎる。だから、名作とは成れないのだ。

 

「チャングムの誓い」、おそらく当時日本で言えば、江戸時代初期のころの時代だと思われるが、なぜか「倭寇」が登場するww

すなわち、倭人は「朝鮮王国を荒らす盗賊」として描かれるのである。

しかも、そのシーン、なぜか倭寇役の役者さんは、日本語を話すのであるww

江戸時代となれば、「倭人」ではなく「日本人」であろう。

しかし、あちらの国では「倭人」が通る事が分かって興味深い。

それは、信長や秀吉が、「倭人ではないぞ。われら日本人なれば・・」と言ったかどうかに想像が及ぶからである。さらに当時、列島に住む民衆が「日本」という国を愛してやまなかったかどうか・・

歴史は、ときに、広い視点で観るべきだと、思った「チャングムの誓い」であった。

 

「チャングムの誓い」は、その後制作された朝鮮王朝宮廷もの『トンイ』や『オクニョ』に引き継がれていく。より洗練されたドラマとなっていくこと、俳優陣も引き継がれていくことも面白い。