『あの青い空と海を』 物語外伝1



1982年。4月1日の魅音。

高所恐怖症のぼくには恐ろしい、飛行機なるもの。
椅子にしがみつき、歯を食いしばり、那覇空港に到着。
よっこらしょっと、タクシーを拾った。
軽い荷物を横にして、もたれかかる。
「これから此処で暮らすのか・・・」
不安しかない。薄っぺらの財布を見ながら呟く。
「よかった・・」畏れ多し乗り物たるタクシー代、300円。
「ありがとう」気さくな運転手さんに礼を言った。



 

何か壁にぶつかったとき、ぼくは、守礼門の下に佇み、我を思う。

 

4月8日~首里当蔵=大学生活。はじめに空腹ありき。
寮食も2ヶ月ばかり。食券を買うカネがない。
「おまえ、からだ壊すぞ」
カップラーメンばかり食っていたぼくを見かねて、
友人のフジモンが近くの食堂に連れて行ってくれた。
「腹一杯、喰いなはれ」
「ありがたや、ああ、ありがたや」
大阪出身のフジモンは、Aランチを奢ってくれた。350円。
「ポーク(ランチョンミート)さまよ、我が生命源はそなたなり」
感謝感激、雨あられ・・・
「講義よりバイト、とにかく、バイトだ」
手当たり次第・・・喫茶店、土木工事、スナック、交通量調査、家庭教師、
遺跡発掘、道路工事、さとうきび畑の収穫作業・・・

少しばかり現金を手にすると、急に偉くなったような気分になる。
「スナック行こう」
フジモンやタシロなど、つわものどもと国際通りを闊歩する。
呑めや騒げの大盛り上がり。
あの頃が、よかった・・・  ニッカバンクにジョイナス!
酒というものの魅力、そして、女性というものの魔力・・・
「大切なことは、講義ではない。酒と女や」
「酒こそ、哲学なり」
勝手なことを言い回し、結果、スッカンピーと相成る。

 



大学というところは、夏休みが長い。
帰省する飛行機代のないぼくを見かねてか、またもフジモンが誘ってくれた。
「南部の海、行かへんか」
「もちよ、オーライ」
フジモン所有の原付に二人乗り・・・
ここから、雄大な沖縄自然探訪の旅が始まった・・・

ぼくは、シャワーを浴び着替えて、ベッドに寝っ転がった。仰向けで天井を見ていると、疲れがぎしぎしと全身を覆ってくる。とろーんとまぶたが重くなり、自ら閉じようとする。そのまぶたの奥には、今見てきた南部の海の美しさが焼き付いていた。そして、幼い頃の出来事や東京の風景も焼き付いていた。その美しさと懐かしさを楽しんでいるうちに、熊本から沖縄へ出てきたあの日のことを思い出してしまった・・・
寮の天井は煤くれている。ふるさとを想い出し、独りしんみりする。
あそこが原点、心の拠り所。父は、母は、どうしてる。帰りたい・・・ 


齡60をゆうに過ぎ、今、しみじみ思う。
寄り道、道草こそ、人を大きく育てるのだと。
学校の帰り道しかり、授業さぼりしかり、仕事ずる休み逃亡しかり・・・
資本主義社会にどっぷり漬かっている有り様を壊せばよい。
幼い頃、無我夢中で遊び、夕暮れを知って友と別れる辛さこそ、宝。
捕まえた巨大ノコギリクワガタを友に自慢し、

それが亡くなった時の虚しさこそ、宝。
ガミガミじじいの授業を飛び出し、友と見た太陽の眩しさこそ、宝。
沖縄の果てない空と海の青さに驚いた感性こそ、宝。

青さこそ、若さ。若さこそ、宝。

我想うゆえに我あり。悩み、苦しみ、痛みを知ることこそ、人の証。
しずけさや 石垣に残さる ハブの殻  虚しさと侘しさを知った己は儚い。  

そもそも、もの書きなど、勝手我が儘だと思う。
己が書いた本を人様に読んで頂きたいと日々切に願うなどと・・・