ようやく、やっと重い腰を上げ、『あの青い空と海を』 の本の販売を各書店さまに御願いして廻っています。

 

昨年6月に印刷所から納本されて、もう1年近くなります。

 

遅いぞと自分でも反省していますが、熊本の方々で、沖縄問題に興味関心のあられる方

上通の『長崎書店』が本書を受け入れて下さいましたので、

良かったら、購入御願いします。

 

以下、冒頭部分を掲載します。

 

 青やかな海との出逢い

 

 一瞬、強烈な太陽光線に襲われ、立ち眩みを感じて気を失った。心は静かに肉体を離れ、しばし闇の世界を彷徨った。わずかな光に一縷の望みを託し、ぐんぐん舞い上がると、雲の上では、漆黒の闇と悲願の光明とが緊迫していた。心は侘しく下降。風に研ぎ澄まされ、黒潮の流れに乗って、向かった先はあの夏の日。真っ青を貫く太陽、湧き出ずる入道雲、海中の珊瑚礁は、日常を保っていた。無数のポリプは、思う存分突き出して、賑わいを増す。さまざまな魚を泳がせ、生き物たちは生の楽園を味わう。海岸沿いの草木さえ、生き生きとしている。それなのに、もの悲しい声が聞こえる。泣き声が岬にこだましてる。苔むした転がる岩を宥める波。肉のそげ落ちた骨に寄り添い、命のはかなさを知らせる。生起を今想起する。ひんやりとした鉄の塊をつかめば、激しい怒りを感じる。一木一草さえ戦力にした恐ろしいほどの憎しみを感じる。誰にも分からぬ得体の知れぬもののために、みな死んでいった。投げ捨てられた嬰児の泣き声、手榴弾を握った親子の震える手、戦車に押しつぶされた少年の叫び。悔恨の横死。哀れみの青が鉄の塊から染み出て、赤茶色の錆だけが残される。流されつづけた血は、呆気ない時の流れに消えていった。鉄の暴風が嘘のように静まりかえった平和の島。銃とらぬ人々の死を人はみな忘れてしまった。何事も無かったかのように、再び準備を進めている。愚かだ、あまりにも悲しい。ああ、拾い集めた貝殻に、何の罪もない。
 静寂を切り裂く羽ばたき。ぐんと羽を広げ胸を張る海鳥の美しさ。舞う生命力は、大空より安らぎを愛でる。海原を悠々と横切って、怒りと憎しみを収める。ただ一つ、命を存続させるるためにのみ生きよと鳴いている。青と青との重なりに、永遠の祈りが響き渡る。燃ゆる想い抱いて、差しのべる魂魄の心。おお、見える見える・・・ 大空のオゾンから大海のプリズムへ。陽光は海底へ深く深く差し込んで祝福する。白砂は海底の陽光を反射して、豊かな森は水を讃える。エメラルドグリーン。眩しいほどの明るさ。穏やかすぎる自然の営み。この星に生まれた喜び。優しき振る舞いは、誰にも知られず、坦坦と、ただ坦坦と。絶え間ない循環は、羊水となりて、ひとつ一つのいのちを護る。その無垢さがうらやましい。その純粋さこそ身につけたい。無謀な破壊や殺戮など全くない世界。思いやり、繋がり合い、誰もが人生を謳歌出来る世界へ。想像から実現へ。
  イビ石は、ずっと安寧を見守り、人間の行いを戒めてきた。それなのに、なぜ、一兵卒が住民に銃口を突きつけたのか・・・ 平穏な青があまりにも虚しく映る・・・ 奈落の底に現れたおどろおどろしき機関銃。幾千もの弾を巻いた銃口から突き出た地下には、眼球が剥がれ落ちそうな老婆と、生気を失った女の子が、膝を抱えて座っていた。ぼくを睨み、恨めしそうな視線を突きつける。周りには、焼けただれた廃墟があった。中に入ってみると、寄り添うように重なる黒焦げの遺体。恐怖のあまり、逃げるように這い出た。瓦礫に咲く花をそっと撫でたら、けなげさに心が震えた。それでも向けられる厳しい視線。「さあ、お前、尋問台の上に立つのじゃ」「えっ、なぜ、ぼくが・・・」「憎しみの惨殺とそれを支えた教えに対し、これから審判を下す」「い、いえ、ぼくは、戦争を知らない・・・」「ありったけの地獄をあつめた戦場をどう思うか、お前の心を糺す」「そ、それは、死を死だとも思わぬ暴挙だと・・・」ぼくの言葉を遮るように老婆と女の子が証人台に立った。「私どもは、想像を絶する極限状況を生き抜いて参りました。あの戦争さえなければ、夫もきょうだいも死ぬことは無かった・・・」ついに、狂気の心証が、尋問に曝される。「た、助けて下さい。ぼくは何も・・・」ぼくの心の暴君がむき出しにされ、内臓が口からえぐり出されるほどの苦痛が与えられ、懺悔の叫びが地下壕にこだました。邪心と愚心は、完全に叩きのめされてしまった・・・ 「ご、ごめんなさい・・・」「これで、すべてが許され、新たな世が始まると思うなよ。お前たちの罪は余りにも酷く重い」地獄の王がぼくに告げた。つづけて老婆が、「自ら命を絶つ道を選んだ我らの無念の想い、悲惨な戦の真相と教訓を後世に継承せよ」とぼくに進言した。「有望な若者の死を悼み、命の尊厳を守る行動をとれ」と女の子は両手をぼくの肩に置いた。「は、はい・・・」
 老婆と女の子はたちまち居なくなった。、血のにおいは消え、地獄の怒りと恐怖は冷めて、ぼくは、安らかな揺り籠へと誘導された。ああ、温かい。この温かさは、懐かしい。温もりの果てに、大きな鍾乳洞が在った。今、洞穴の天岩に染み水が姿を現した。ゆっくりと時間をかけ水滴となった。
落ちる  落ちる 落ちる   ぽとん・・・ 落ちた・・・
この一滴に込められた想いが、心に染みる。水滴は、乱れることなく、大海原へと転がってゆく。すべてを知っている大自然は、人間の愚かさを笑殺し去ったわけではなかった・・・ ああ、輝かしい再生の道へ。大いなる誓いを、誇り高く思う。

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 はじめまして。生田魅音と申します。
多忙なところを、申し訳御座いません。読書の御願いでございます。
『あの青い空と海を』の本は、自費出版本です。流通はこれからです。
せっかく「沖縄への尊敬と憧憬を持ちて」書いた本ですので、多くの方々に読んでいただければと思うところでございます。私は、1982年に琉球大学を卒業し、その前後9年間首里に住まわせていただきました。本当は一生を沖縄で過ごしたかったのですが、家族に訳あって熊本に帰り教師をしておりました。現在は退職し、執筆活動をする61歳にございます。
『あの青い空と海を』の内容はおおむね帯に書いている通りでございます。
多くの若者に、沖縄のことに興味ある方々に、読んでいただければと想い書きました。
読むなかで、「命の儚さ」を捉え、「命の尊さ」を皆様方に考えていただければと思います。
特に、遺骨収集活動については、取材を重ねて参りました。沖縄戦はまだ終わっていないということを訴えています。ロシアのウクライナ侵攻の報道を見聞きするとき、決して他人事ではない、沖縄はいつ近隣諸国から攻撃されてもおかしくない情勢にあります。そのことも含め、本書は、戦争と平和を考えるきっかけになると思います。さらに、米軍基地問題に揺れる人々の想いに触れ、経済と破滅とは隣り合わせにあると想うところです。
 みなさま方には、ご面倒をおかけしますが、私は「いい作品が出来た」と自負しておりますので、本を買って読んでいいただけますよう、御願い申し上げます。

 

 

熊本のみなさま、長崎書店でお求め下さい。