沖縄への想いを込めて書いた作品『あの青い空と海を』

 

好評につき、さらに、作品の一部を掲載致します。

 

「いいなあ」と思われた方は、ぜひ本を・・・

 

『あの青い空と海を』の本は1700円でヤフオクで購入できます。

 

よろしく御願いします。

 

掲載の場面は、物語の後半入口。

主人公洋一が、長年遺骨収集活動に取り組んで来られた金城さんとアブチラガマへ入り、あの戦争の真実を知るところです。

 

「折角だから、糸数のアブチラガマにも行ってみようか」
「あっ、はい。是非お願いします」
「じゃあ、私が案内するから、車を出して」
 金城さんの案内に従い、車を南東へ。

車内で、金城さんはアブチラガマについて説明してくださった。
「アブチラガマは、全長二百七十メートル。日本軍の陣地壕や倉庫として利用された。そして、南風原陸軍病院の分室となり、軍医、看護士、ひめゆり学徒隊が配属された。付近の住民二百四名が避難し,そのうち、四十七名が壕内で亡くなられた。沖縄戦を語るときには、欠かすことのできない重要な遺跡さ・・・ 」
住宅地を通り過ぎて、平野部の道をくねくねと進めば、小高い丘が見えてきた。丘を登った平坦地にアブチラガマが在るとのこと。
「着いたよ。ここで停めて」
車を降りると、金城さんは、何やら重たそうな布袋を取り出された。
「これさ。投光器付きヘルメット。これがないといかん。ガマの中は真っ暗だから、投光器付きヘルメットをかぶって、手には強力懐中電灯を持って行こう。スイッチはこれだから・・・ 」
「分かりました」

ヘルメットをして懐中電灯を持ち、大きな岩の間を下っていった。入口の所に、日本軍の兵器庫の跡があった。
「ガマの中はわりと広いけれども、暗いし、滑りやすい所もあるから、ゆっくり歩いて」
 そこから先は、光の届かぬ闇の世界。懐中電灯で照らせば、大きな空洞があった。鍾乳洞の天井はずいぶん高い。ライトを当てて壁の表面をよく見てみれば、ぽたり、ぽたり・・・

水滴は、長い長い時の経過を知らせる。

人間と自然の移りゆくはかなさをこの瞬間に刻む。

水滴の落ちた壁から照らせば、侵食された石灰岩や鍾乳石のつららは見当たらない。鍾乳洞の美しい景観は此処には無い。冷たさと厳しさを掻き混ぜたような空間が、真っ暗闇にはっきり見えてきた。
 金城さんが強力サーチで壁の一点を照らし出された。
「ここを見て。きらきらと光っているでしょ。アメリカが投げ入れた爆弾が炸裂した時に、弾が天井や壁に突き刺さった痕さ」
「この狭いガマの中に爆弾が投げ入れられたら、亡くなった方は多かったでしょう」
「爆発は一瞬だからね。たくさんの方が亡くなった。米軍は、このガマに日本兵が隠れていると見込んで、爆弾をしつこく投げ込んで来た。悲惨なのは、この中に地域住民がいっぱい隠れていたこと。住民が多数犠牲になってしまった」
ひやーっと感じる。真っ暗い中で、黄燐弾の恐怖に怯えながら身を潜めていた人々。ぼくの体も震えてきた。とても生きた心地はしない。
「女性たちは、幼い子どもを抱いて戦場をさまよい、ようやくこのガマを見つけて、ここでこうして膝を抱えてじっとしていたんだよ。子どもを守るためにしっかり抱き寄せて」
「こんな最悪の環境の中で・・・ 」
「食べる事もしないで、お国のために死ぬんだと言い聞かせていた。でも、子どもの命だけは必死で守ったのさ。親心は、最後まで捨てなかった」
暗黒地獄の中で、力強く生き抜こうとした母と子。ぼくは何も言葉を返せなかった。
「次は、こっちへ・・・ 」
ライトの灯りを頼りに、ガマの奥へ進んでいった。人の手で造られた壁が現れた。
「この石垣は、爆弾の爆風よけに造った壁さ。焼夷弾や黄燐弾が爆発した時、少しは役に立ったのだろうか。これを見て。水が溜まっているでしょ。これは湧き水なんだよ」
「湧き水ですか」
「そうさ。このガマに、兵士も住民もいっぱい集まったが、湧き水のおかげで助かった。爆弾をガンガン放り込まれても、生き残った人が居た理由のひとつだろう」
そう言って、金城さんはまた進んで行かれる。ライトで照らすと、少し広い所が現れた。
「ここが病室。南風原陸軍病院の分室。ひめゆり学徒隊十六名がここで治療に当たっていたのさ。こんな狭い暗所だが、多い時だと六百人ばかりのけが人が此処で手当を受けていた。次第に手当用具や薬は底をつき、日に日に亡くなっていく人たちが増えていった。そして、アメリカの馬乗り攻撃が繰り返され、血は流れ、死体がいくつも転がっている。まさに地獄だよ」
「ここが部屋だなんて・・・ ただの真っ暗な洞穴じゃないですか。こんな所で、ひめゆり学徒隊の女学生が、黙々と手当をされていたのですか・・・ ああ・・・ 」
「まったく、女学生たちの心の優しさには、頭が上がらない。自己犠牲という言葉さえ、遥かに及ばない」
「ぼくなら、我慢できずに、アメリカに突撃していたと思います」
「それは、許されなかったんだ。米兵に捕まって、何人隠れているのか吐かされるからね。スパイになってしまうから、ガマから出ることは出来なかった」
「ああ、もう、滅茶苦茶過ぎます」
金城さんは、突起した石に座って、下を向いて話された。
「亡くなった人たちは、そのまま放置されて、死臭が壕全体に広がっていった。臭くて堪らない。それでもここから出ることは出来ない。逃げたくても逃げられない。非国民と呼ばれるくらいならと、手榴弾で自決した人もいた。そうして、日本兵の中には、住民が邪魔だと殺した者もいた」
ぼくの胸は締め付けられた。住民を殺してその正義を果たそうとした人の想い・・・ お国のためだと言って、手榴弾で自らの命を絶った人たちの想い・・・ あの戦争はそこまで人々を狂わせていた・・・ 戦争の現実は、卑劣で残忍で悲惨しかなかった。
「さあ、先に進もうか。次は、多くの住民たちが居た場所だから」
歩を進める。鍾乳石と瓦礫が落ちている。少し広くなった所には、茶碗の欠片があった。
「ほら、見て。ここに火を使った痕が残っているでしょ。此処でみんなが集まって食事をしたんだよ。でも、あの人達は一体何を食べていたんだか・・・」
「食べる物などなかった・・・ 」
「此処に大きな鉄釜が残っている。煤やこびりつきが無い。理由が分かるか。米が無いからさ。米も他の食べ物もない。悲惨だよ。せっかく作った釜が何も為さないまま・・・」
ぼくには金城さんが涙ぐんでおられるように見えた。しばらく、大釜の前で当時の人々の気持ちを考えてみた。重たい気持ちを引きずったまま、次の場所へ移動した。
「こっちは、一応、便所だけども、垂れ流し。便所になっていない。糞尿の臭いが充満して、苦しんだ人も多かった。その中で、ひめゆり女学生たちが、兵隊や住民がした糞尿をバケツに汲んで、外に運んでいた。夜中、米兵の監視をくぐり抜けて・・・ほんとうに立派な人たちだよ。頭が下がる」
金城さんの話を聞いて、ぽとり、涙がこぼれ落ちた。ひめゆり女学生たちの優しさと逞しさに感動した。青春をすべてかけて、傷ついた兵士の治療に当たり、思いやりを持って人々の命を守ろうとなされた。その姿は、至高の極みである。
「アブチラガマにいた人々は、八月二十二日に、アメリカの呼びかけに応じてガマから出て来た。ひめゆり女学生たちもほぼ全員生きて出てきた。でも、他のガマに移動している最中、敵の攻撃にさらされて亡くなられた人が出たことは、悔やまれてならない」
ぼくは、涙を拭い、つばを飲み込み、さらに金城さんの話に耳を傾けた。
「このガマは、戦後すぐからずっと供養されてきている。でも、まだ、亡くなった人たちの遺骨の収集は進んでいない。もう骨も原型を留めてはいない。見つけるのが難しいから、素人では拾いきれない。それに、いろいろほじくってしまうと、壕の形を損ない、自然を壊すことにつながる。簡単なことではないんだよ、遺骨収集活動というものは・・・」
「他人には想像も出来ないご苦労があられるのでしょう」
「時間がたてばたつほど、遺骨や遺物を収集することは難しくなる・・・ 気ばかり焦ってしまって・・・ 」
「南部一帯には多くのガマがありますから、大変ですね」
「ああ。遺骨を掘るガマフヤーは数人いる。各人それぞれの想いを抱いて活動している。地道にこつこつやるしかない・・・」
ガマの出口に向かうと、筋状の陽射しが幾重にも差し込んでいた。ぼくは、光の有り難さをつくづく思った。
「暗いガマの中から出てきた人々は、この陽射しをとても眩しく感じただろうね。そして出口に茂る草木に、希望を感じたはずだよ」
「木々は、あの夏の戦禍を乗り越えて・・・ 今はこんなにも優しく揺れて・・・ 」
想像を絶するアブチラガマの惨状。当時の人々の想いを胸に、陽射しをいっぱいに浴びた。ガマに向かい祈りを捧げた。
「あの時代は、一億玉砕の名のもとに、みんな死ぬことが当たり前だと思っていた。いのちの尊厳など、だれも考えていなかった・・・ 」
金城さんの後ろ姿が寂しそうに目に映った。ぼくらは、いのちの尊厳を忘れている飽食の時代、バブル経済の時代をのうのうと生きている。
 近くのベンチに座って、金城さんは、自らの戦争体験を話してくださった。
「私は、十八歳の時、召集兵になった。疎開の話もあったんだが、貧弱な数の日本軍を補強するために、我々が根こそぎ駆り出されたのさ。四月、本島中部に上陸した連合軍は、五十四万の圧倒的な兵力だった。しばらくして、我々が待ち構えていた首里に、連合軍が攻め込んできた。首里に日本軍の司令部があることをアメリカは知ってたのさ、容赦ない激しい攻撃を仕掛けてきた。雨のように降ってくる爆弾。全てを焼き尽くす強烈な火炎放射。その時、私たちは、地下壕に隠れていた。でも、身の危険を感じて他の兵士とともに壕を出た。そしたら、いきなり後ろからバババーン・・・ 先に壕から出た人たちが、機関銃で撃たれ、ばたばたと倒れた。ああーっ。私も倒れた。しばらくして目が覚めた。気を失っただけだった。生きている、ああ助かったと喜んだ。でも、みんな死んでいる。白目をむいて倒れている、首から上がなくなっている・・・ 腐敗臭が漂っていた。家も道路も自然も跡形もなく壊滅した。もう恐くて体が震えだした。すぐに私は、米兵に捕まって、収容所送りとなった。収容所での生活は本当に辛かった。毎日、こんな非国民でいいのかと自分を責め続けた。今も、収容所生活中マラリアで死んでいった友兵のことが、思い出される・・・」
「目の前に無惨にも死体が転がっているなんて・・・収容所生活ではマラリアとも闘っていたのですね」
「ああ」
「首里陥落のあと、米軍の砲火は南部へ移ったのですね」
「そうさ、日本軍は、南部に移動して壕などに籠もって徹底抗戦をとった。兵器の乏しい日本兵は、ガマを利用して斬り込みなどをやった。初めアメリカは、住民は殺さない方針だったらしい。住民の投降を頻繁に呼びかけ、日本兵の居場所をつきとめようとしていた。ところが、司令官のバックナー中将が、日本兵に狙い撃ちされてしまった。司令官を亡くした後の連合軍は、もう酷かったね。それからは、住民だろうが誰だろうが無差別殺人になったんだよ。家ごと爆弾で吹き飛ばし、家族皆殺しを行った。住民の犠牲は、あまりにも悲惨だった・・・ 」
戦争体験者の証言。事実は決して消し去るべきでないと思った。地上戦は、敵と敵・味方同士向き合い、殺すことだけに狂奔した。逃げ惑った人々も退路を断たれ、多くの人が自害した壮絶な戦い。
 「そのバックナーの慰霊碑にも行ってみましょうか・・・ 」
車に乗り、今度は米軍司令官バックナー中将の慰霊碑に向かった。バックナーの慰霊碑でも金城さんから詳しい説明をいただいた。
「今日一日、金城さんから学んだことは、決して忘れません。本当に、ありがとうございました」
ぼくは、金城さんにお礼を言い、別れた。
 会社に戻り、金城さんから聞いたこと、ガマで見たことを整理した。県との交渉結果の報告を待つことにしよう。ツアープランのガマの欄は空白にした。
ああ、 金城さんに感謝。すばらしい出逢いに感激。一期一会を大切にしたい。

 

 

さいごまでお読みくださり、たいへんありがとう御座いました。

つづきをぜひ本をお手元に置かれて読まれてくださいませ。