『あの青い空と海を』 一節だけ、以下に掲載致します。

お読み下さって、気に入って下さったならば・・・

ぜひ、ぜひ、本を・・・『あの青い空と海を』

 

 金城町の石畳は、細い下り坂の路地。坦々と歩き始めたぼくの顔に、強烈な太陽光線が照りつけてきた。「かあーっ、暑いな」野球部の練習の厳しさを思い出せば、こんな暑さなんてことはない。ずんずん石畳を歩いて行く。だが、追い打ちを掛ける敷き詰められた白く平らな石。陽光を四方八方に乱反射させて、眩しさは暑さを倍増させる。「あ、汗が。くそ、頑張ろう」石畳をしっかりと踏みしめて下っていった。しかし、さらに両側の石垣が暑さを増長させる。隙間のない石と石の間から熱気が吹き出してきたのだ。「まったく、沖縄の太陽め。情けというものを知らないのか」文句を言っても、石畳が幾重にも重なり、両側の石垣が迫ってくる。直射日光は、じりじり焼き付けてくる。歩みを止めるわけにはいかぬと踏ん張って歩く。「ああーっ」立ちくらみが。「た、助けて、せ・・・」先輩は鼻歌交じりでさっさと歩いて、遠くに見える。「意志をしっかり保とう。踏ん張るんだ。さあ、歩け!」覚束ない足取りで、そろりそろりと歩を進めてゆく。「おかしいぞ、異境に迷い込んだ羊・・・」逃げたくとも逃げられない。「おっと」つまづき転びそうになる。勢い石垣に掴まったが、「あいたたた」 石の表面のゴツゴツした先端に指を痛めた。「何でこんな仕打ちに遭うんだ」そんなぼくの姿を、屋根上のシーサーが赤い顔してあざ笑う。「やあ、ごきげんよう!」「なにが、やあ、だ。まったく人の気も知らないで、暢気なシーサーめ。今度会った時は、ただじゃ済まないからな。覚えてろ!」暑さと疲れと指の切り傷に苦しみながらも、とにかく歩いて行った。
「おーい、洋一、下り坂だから歩きやすいだろ」
相澤先輩は暢気に言うが、周りの赤瓦屋根の古民家も目に入らぬほど、ぼくには余裕がない。さらに太陽光線がカーッと照りつけてくる。意志を入れ直して汗を拭くと、陽炎の向こうに、黄緑色の建物が映し出された。不思議な洋館・・・あれはなんだろう・・・しっかり目を開いて見ようとするが、暑さと眩しさとしたたる汗で、できっこない。最後の力を振り絞って、ようやく石畳を抜けた。立ち止まり、大粒の汗をハンカチで拭い、「はあっ」と息をついた。すると、きれいな喫茶店が目の前に見えるではないか。
「なーんだ、さっきの洋館の正体は、これか・・・」ぼくは妙に納得した。
「この喫茶店、なかなかいいでしょ」先輩はそう言うと、さっさと店に入った。「暑い、暑い」ぼくも喫茶店に入った。「ほっ」さっと汗が引っ込んだ。エアコンが効いている。
 洒落た店内には、大きなコーヒーメーカーあった。その陰に、女性の店員さんが一人見える。
「おい、洋一、コーヒーでいいよな」
ぼくは答えに躊躇した。コーヒーが大の苦手。でも、オトナに成るためには苦いコーヒーも飲めるようにならなくちゃと、「はい、アイスコーヒーください」と答えてしまった。
「アイスコーヒー二つ」と先輩が注文した。おもむろに先輩は煙草に火を付け、説明してくれた。
「洋一、さっきの金城町の石畳のことを知ってるか。琉球石灰岩で造られていてさ。尚真王の時代、首里城から南部へ行く道として造られたんだ。でも沖縄戦でほとんど破壊されてしまった。それで三百メートルぐらいしか残っていないのさ。琉球の歴史と文化を知る上で貴重な文化財だよ」
ぼくは、先輩の言葉が今ひとつ入ってこない。先程の直射日光のせいで、頭がぼおーっとしている。
「はい。どうぞ」と店員さんがアイスコーヒーをコースターの上に置いてくれた。間髪入れず、その店員さんが訊いてきた。
「ごめん。話に割り込んでもいいかしら。二人の会話が気になってさ」
ぼくらは「はい、どうぞ、どうぞ」と頷いた。直ちに姿勢を正した。
「あのー、石畳の周りの遺跡もいいよ。この近くのおじーおばーから聞いたんだけど、石畳からすぐの所に御嶽があって、御嶽には、琉球を守る神さまがいるって。そして、御嶽の近くには、大アカギがある。たくさんの人が祈りを捧げてきた神聖な大アカギさ。それから、その近くに、ガーが在る。ガーは、古くから近くの人々が利用してきた井戸で、火の用心の祈願を行っていたと言われている。昔から、あの石畳を通る人たちはすごい霊気を感じ取って、祈ってきた」
「へえー、今行ってきたけど、そんな由緒ある所があるって気がつかなかった」
先輩が感心して女性に返した。ぼくは、コーヒーの苦味に耐えながら、話を聞いた。
「その大アカギには、盗みや人さらいをするとても悪い兄が住んでいたという伝説が残っている。兄の悪さは度が過ぎて、天罰が下り、恐い鬼の姿になってしまった。鬼になった兄を、妹が鉄餅で誘って崖から蹴り落としてしまう。こんな悲しい話さ。でも、その中には、ちょっとエッチな所もあるの。そして、沖縄の鉄餅、ムーチーの由来にもなっているのですよ」
「エッチなところって、どんな話なんですか」
ぼくは興味津々で女性に訊ねた。
「それは、言えないさー、恥ずかしいから・・・」
「あっ、その話なら聞いたことがある。助平と言えば助平だよね。でも、結局、仲の良い兄妹の悲しい話が残ったんだと思うよ」 先輩が助け舟を出してくれた。
「あのー、すいません、ムーチーって何ですか」
ぼくはさらに質問した。女性は、笑顔で答えてくれた。
「ムーチーってお餅のことさ。砂糖を付けて月桃の葉で包んだ餅を、ムーチーと言うの。沖縄では旧暦の十二月八日に、子どもの健康を願って年の数だけ食べさせるさ」
「どうして、旧暦十二月八日に食べるんですか」
「確か、鬼になって死んだ兄の命日だったんじゃないか、旧暦十二月八日が。今は、男の子に逞しく健やかに育って欲しいと願って、歳の数だけ食べさせるわけさ」
「そうなんですか。いやあ、勉強になりました」
女性は安心したような顔をして、洗い物に手を戻した。
「琉球文化をもっと本土や外国人に知ってもらいたいと想う。彼女が言ってくれた昔話とか伝説を言い伝えること、貴重な遺跡や文化財の保存に取り組まねばならん。遺跡を壊して開発を優先させるなんて、あってはならん」
先輩は真剣に意見を言った。だが、ぼくの視線はすでに女性に釘付け。女性の薄グリーンのワンピースは落ち着きがあって、とても似合っている。表情が爽やかで、働き者の魅力的な女性だと感じた。とりあえず、名前だけでも訊いてみようか・・・
「ああ、紹介が遅れたね。こちら、洋一君。先日、東京から沖縄に大学生として来たばかり」
先に先輩がぼくのことを紹介してくれた。彼女の方も自己紹介をしてくれた。彼女の名前は沙織。独身で、年齢は二十代半ばとのこと。その後も、沖縄の昔話を終始笑顔で話してくれた。
 先輩の奢りで喫茶店を出た。これから始まる大学生活が心配である。相澤先輩に、両親に沖縄に行くことを言わず飛び出して来たこと、お金がないことを打ち明けた。
「すぐに家に電話して、両親に沖縄で元気でやっていることを伝えろ」
「はい・・・」
「洋一は両親に頼らず自力で生活したいんだろ。ならば、まず免許を取って原付バイクを買うんだ。それからアルバイトをして稼ぐことだ。多かれ少なかれ、みんなバイトして大学に通っている。バイトが社会勉強にもなるしな。そして、地道に講義に出ることだ」 先輩は親身になって忠告してくれた。
「寮に入ったら、大学生活の準備をして、バイトも頑張っていこうと思います」
「じゃあ、しっかりやれよ、洋一。ああ、これからバイト、バイト」
相澤先輩と別れ、ぼくは民宿へ戻った。
 民宿の部屋の片隅で寝転がって、ひとり悶々と考える。入学の手続きや準備をしなければならない。でも、何から手をつけてよいものやら。明日から寮に入るのか・・・大学の授業料は・・・バイトって俺に出来るのかな・・・東京で心配している家族・・・あれこれ考えて、気が重くなる。いつの間にか眠ってしまった。
「頑張って下さい、いい友だちができる事を願っています」
相部屋の青年に励まされて、ぼくは、民宿を出た。 

 

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