(前回の続き)

 

 約束の日。昨日まで三、四日降り続いた雨が上がって、真っ青な空。
ふたりは木村さん宅を訪ねた。玄関先で呼びかけるが、木村さんは出てこられない。
「お留守だろうか・・・ 」
そう言った時、お婆さんが走って来られた。
「おっ、あの人は、あの時の・・・ 」 「拝ケ石巨石群に居たお婆さん・・・ 」
「御二人さん、大変じゃ、木村さんが、木村さんが・・・ 」
「木村さんがどうかなさいましたか・・・ 」
「倒れられて、救急車で病院に・・・  すぐに行っておくれ」
「たいへん、すぐに行きます」
ふたりは、大慌てで、老婆に教えて貰った病院へ直行した。受付で訊くと、救急治療室に入って居られるとのこと。急いで向かえば、赤い救急ランプが目に飛び込んできた。
「大丈夫だろうか・・・ 」 「木村さん、元気になられて、また私たちに・・・ 」
「木村さん・・・ ああ・・・ 」 「生きて、生き抜いて下さい、ああ、神様・・・ 」
ふたりは懸命に無事を祈った。ずっと、ずっと、時間よとまれ・・・
ギー、ガタン。救急治療室の扉が開いた。
「御二人は、ご親族の方ですか」
「あ、いいえ・・・  はい、そうです」
ふたり治療室の中へ入るように言われた。そこで見たものは、酸素マスクなどを付けた痛々しい木村さんの姿であった。
「ご臨終です・・・ 」
白衣にマスク姿の医師は、そうふたりに告げた。
「えっ」
「対光反応なく、心音と呼吸音が静止致しました。全力を尽くしましたが・・・ 」
心電図モニターの表示は、冷たく、ゼロのままで止まっていた。
「木村さん・・・ 」 「ああ・・・ 」
ふたりは、ただ、黙祷を捧げることしか出来なかった。
 すぐに、通夜をしなければならない。木村さんには、親族はいらっしゃらないのだろうか。地元紙のお悔やみの欄に、木村さん死去の報を載せて頂いた。葬儀場には、農業大学の学生たちが集まり、葬儀の準備を行った。若菜と智恵美は、木村さんの棺から離れずに居た。相好を崩して太陽の如く輝いていた故人を思い出していた・・・
「あんた・・・ 智恵美・・・ 」
突然、家族の控え室に入ってきた女性。智恵美は、はっとした。
「なんで? お母さんがなんで此処に?」
「智恵美・・・ ああ・・・ 」
そう言うと、泣き崩れてしまったお母さん・・・ 木村さんの葬儀に現れた女性が、母だったことに、智恵美は驚いた。そして、何か因縁めいたものを感じずには居られなかった。
「まさか・・・ 」
「そうだよ、忠治は・・・ このひとは・・・ あんたのお父さん」
「お父さん・・・ うそ、お父さん・・・ 私の・・・ だから、木村・・・ 」
「そうだよ。すまないねえ、あんたにお父さんのこと、話せなくて・・・ 」
「お父さん・・・ 此処でこうして会うなんて・・・ ああ、なぜ・・・ 早い、早すぎるよ・・・ お父さん・・・ 」
膝からがくりと崩れ落ち、大泣きに泣き始めた智恵美。
癌で、重い癌で・・・ 辛かったでしょう・・・ どんなに不安で、苦しかったでしょう・・・ でも、でも、最期に逢えた・・・ 幼い頃別れて、父の面影はほとんどない。それでも、最期に、笑顔を残してくれた・・・
「お母さんこそ、辛かったねえ・・・ 」
「智恵美・・・ 」
「忘れたい気持ちがあったんでしょ。恨みたくないし、後悔したくない気持ちが・・・ 幸せになろうと我慢してきた・・・ 」
「お母さんは、ただ、あんたが幸せになってくれれば、それで・・・ 」
「お母さん・・・ 」
ふたりは、抱き合った。涙をぼろぼろこぼしながら泣き合った。智恵美の胸中には、肥後もっこすの父を支えきれずに別れた母の無念さと、自分の我が儘を許し続けてくれた母の心の大きさが、広がっていた。
一部始終を聞いていた若菜は、そっと、寄り添った。
 葬儀場の最前列に母と並んで座っている。兄が運んできた若き頃の父の遺影をじっと見る。十八年ぶりの父とのわずかなひととき。あれが、最初で最後だった・・・  もう会えない・・・  ああ、何という運命の悪戯・・・