すみません。そして、お待たせ致しました。

『ジャンク・ユートピア熊本』 第一回の掲載を昨年7月に致しました。

しかし、その後の連載を中止しましたこと、大変申し訳御座いませんでした。

あれから、本にするために、全面書き直しを行いました。

題も『作家と農家』に変えました。

 

これから、全7回に分けて、連載を再開致します。

楽しい話、何か考えさせる話をお求めの方々にもってこいの内容です。

なお熊本に興味のある方、熊本を愛する方、熊本県人には大ウケでしょう。

最後までとくとお楽しみ下さい。では、始めます。

 

『作家と農家』

 「熊本の農業ば、どぎゃんかせんといかん!」
 輝く笑顔、躍動感あふるる肢体。熊本農業学園大学の広大な畑に、若者たちの汗が滴る。特殊講義や農業実習が本格化してきた三年生の春。今回、実習で育てるのは、甘みが格別の大玉のトマトだ。希望に胸膨らませ、真っ赤な完熟トマトを実らせようと、意気込む学生たち。農作業は、まず、健康な土づくりから始まる。歴年、先輩方が育んでこられた土壌は、充分トマト栽培に適した土壌になっていた。
「先生、堆肥と苦土石灰を運び終えました」
「トマトは連作がきかないので、去年使った畑は避けましょ。では、堆肥と苦土石灰を混ぜてください。はい、それを畑の土によく混ぜて。そして全体を耕しましょ。そうです、手際よく出来ました」
先生の指導に従い、みんな一斉に作業を進める。畝をつくり、ポットの苗を植え付ける。
「苗の植え付けは、間隔を五十センチとって。植えつけたら、この支柱を立てましょ。では、始めてください」
「去年の失敗があるからなあ・・・ 今年こそは・・・ 」
「うん、トマトの栽培は、簡単そうで難しい。根気強く、愛情をかけて育てていかねば・・・」
「甘いトマトを作るためには、水分の調整がコツ。高畝にして排水をよくし、さらに雨除けを施し、乾燥気味に育てる方が味が良くなる。あとは、日光をたっぷり当ててやること」
「やあー、植え付けが無事済みました。最後に根元に少し土を被せて終わりとしましょ」
苗を植え付ける作業が終わった。
「この苗がしゃんと育ち、赤くて甘い実を付けるまで、毎日、世話を頑張ります。みなさん、お疲れさまでした」
 実習が終わり、若菜と智恵美はシャワー室で汗を流し、着替えた。お待ちかね、フルーツ牛乳を飲む時間。一気に飲み干し、胃袋は爽やかになったが、心はどんより沈んでいた。ふたり並んでベンチに腰掛け、これからのことを考えた。
 若菜は、天草の農家に生まれ育った。代々続く専業農家。田や畑で働く両親を幼い頃から手伝って来たので、作物を育てることの素晴らしさ、実りの喜び、消費者の感謝の言葉など、農業の良さは分かっていた。だが、若菜は、農業に従事しようとは思わなかった。親の苦労をいやというほど見てきたからだ。そして、世間の「きつい・汚い・危険」のイメージに振り回されて、農業は収入が安定せず、とにかく手間暇の掛かる大変な仕事だと決めつけた。卒業後は、熊本市街で、何か事務的な仕事に就き、交通の便を利用して、ファッションや食事を楽しみ、やがて結婚して、幸せを掴みたいという願望を描いていた。
「ねえ、智恵美、就職のことはどう考えてる?」
「うん、私は、アパレル関係に、と思って来たけれど、収入的には厳しいし、洋装について、知識や技術があるわけでもないし・・・」
「同感。私も、いいところに就職して、自分の生活をリッチにと考えていたけど、就職難のこの御時世では無理みたい。やっぱ、農大を選んだことが間違いだったのかな」
「でも、管理栄養士の資格は取れたから、良かった。病院か学校の栄養士として、採用されるよう勉強しよう」
「あと一年か。甘いよな、私たちの考え。このままじゃ、就職は難しい」
「かといって、農業はやる気が無いし・・・」
「うん、農業はねえ・・・ 結局、将来は、お嫁さんになることだけが夢? いい相手に出逢って、平凡な生活が送りたい。若菜もそう思うでしょ」
「うん、それは、私も・・・」
智恵美は農業をやることに一抹の不安を抱えていた・・・ 私は、農作業の経験は、小学生の頃、スイカの収穫を手伝った程度。幼い頃、借金のことで大げんかして、父は家を出て行った。毎日、母は泣いていた。その姿が目に焼き付いて離れない。幸い、歳の離れた兄がスイカ農家を継ぎ、私を高校、大学と、面倒見てくれている。ああ、農業には、苦労がつきもの・・・
「どうなってゆくのやら。現実は待ったなしか・・・  喰ってゆかねばならん」
「やっぱ、農業も、ひとつの選択肢として考えとこ。ねえ、智恵美・・・  」
「うん・・・  」
 春の訪れを感じさせる黄色い花柄のワンピース。可憐な姿形に笑顔が眩しい。メルヘンチックなふたりの姿が、ホテルの真っ白なホールにひときわ目立っている。彼女らの横のテーブルには、ハナミズキの花。清楚な花びらに負けていない瑞々しい素肌。若さの放電。そして、意外性を感じる話題。新鮮な感覚に惹かれたのだろう、初老の教授が近寄って来て、ふたりに下らぬことをしゃべり出す。開始の時刻。お決まりの乾杯の御発声が、四年次の幹事であるイケメンから発せられた。
「皆様方のご健康と農業のますますの発展を祈念しまして、かんぱーい」
「かんぱーい」
 三月吉日。農大の送別会が開催された。キャンパスを去りゆく先輩方。涙を流して見送る若菜たち。共に学んだ日々が、回想される。御世話になった教授の挨拶終了後、全員起立の上、麦酒をなみなみと注いだグラスを合わせる。カチーン。卒業生の門出を祝福して、「おめでとうございます」が繰り広げられた。待ったなし、ポテトフライと枝豆をつまみに飲みまくる面々。酔いが回ると、あとは無礼講。飲酒できる喜びを爆発させ、ひとときの幸せを堪能する。将来の我が国の農業発展に意欲を燃やす若者たち。酔いの勢いを利用して、教授・助教を捕まえて、説教を垂れ始める。誠に蒸留酒や醸造酒の力は偉大である。さらに、若菜と智恵美には、今宵に賭ける想いがあったのだ。
彼を私にのめりこませてみたい・・・ きっとサイコーの女になれる、今夜こそ・・・
夢見てきたチャンスが今宵だと、ふたりは作戦を練ってきたのだ。その前に、ちょっとイッパイ。
「美味しい日本酒在りませんか」
智恵美がカウンターに伺うと、
「御座いますよ。本日は『花の香』『千代の園』『亀萬』『れいざん』が入っております。どれになさいますか」
智恵美は少し迷ったが、
「これ、ください」と指をさし注文した。智恵美は、通を気どって、箱酒にして貰った。負けじと若菜は、焼酎をたしなむ。本日は三酒制覇と意気込み、麦焼酎から、米焼酎、そして、芋焼酎と御湯割りで頂いた。さらに調子に乗って、球磨焼酎の古酒を注文した。飲みながら卒業する先輩方との会話も弾み、宴もたけなわの時分。
 と、此処までは良かったのだが・・・ 智恵美の告白が・・・
あられもない玉砕!
開会の乾杯の音頭を取ったイケメンに告白したは良いが、あっさりふられた智恵美。泣いて泣いて、散散飲んで酔い潰れ、床に転がる智恵美。
「あの野郎、馬鹿野郎・・・ こら、おい、私をフルなんて、百年早いんだよ・・・ 」
ひきつる顔で見守る参加者たち。凍てつく送別会場。酔いは、たちまち覚めてしまった。若菜は智恵美を抱いて、祝宴場の外の廊下に出た。
「農大ってダサいオトコばっかりね・・・」
若菜に向かってくだを巻く智恵美。傷心は破れかぶれを産み出し、破天荒は手足のばたばたとゲロを産み出す。介抱に尽力する若菜の横を、お目当ての陽太が通りかかる。しかし、陽太は、興味ない、関わりたくないという顔をして、トイレに入ってしまった。
嗚呼、ついてない。せっかくのチャンスが・・・
若菜はすぐに悟った。陽太の表情からして、本日の告白は、インパール作戦のごとく無謀な行為であると。またいつかチャンスを掴もう・・・ 失意の若菜の気持ちを知らない智恵美は、なお、くだを巻き、ゲロを吐き、泣き叫ぶ。
「ほら、智恵美、しっかりして」
若菜は仕方なく智恵美と帰ることにした。智恵美の介抱に手を焼き、体を引きずりながら通りをゆく。よろよろと千鳥足になりながら、大通りを抜けた辺りで、若菜は生活費をごっそり入れた財布が見当たらないことに気がついた。
「しまった。何処で落としたのか・・・ いやスラれた可能性もある・・・ 」
重たい智恵美の身体を引きずりながら、来た道を辿り、必死に財布を探して廻った。夜道で路地裏は暗いし、明るい繁華街の通りは滅法人が多い。めぼしい処を探したが、ついに財布はなかった。若菜は、最悪の気分だった。酔っぱらいの智恵美をタクシーに乗せ、運転手さんに頼んだ。そうして、自分は交番に行き、お巡りさんに財布がないことを通報した。
「あーあ、財布が交番に届けられるのを期待するしかないわ。まったく、一難去ってまた一難、泣きっ面にスズメバチだわ」
 翌日の夕方、若菜は、昨日の交番に行ってみた。だが、現時点では、財布は届けられていないとのこと。「遺失物届けを出して下さい」とお巡りさんの御言葉。ペンを取り、書類を書いていると、交番の窓越しに、汚らしい格好のおじさんが若菜のことをじろじろ見ている。ぱっと見、助平そうで気持ちが悪い。
あの男、不審者、否、痴漢かも知れない。ああ、もう嫌だ。無視・無視・無視・・・
若菜は痴漢から目をそらし、必要事項を用紙に記入して、お巡りさんに出そうとした。
「おい、若菜」
男の声が間近でする。痴漢であるはずのおじさんの顔が目の前に・・・
「えっ、お父さん? どうして此処に?」
若菜はびっくり仰天して声を出した。
「お前、財布落としたって、メール送ってくれただろ。心配して天草から飛んで来たんだ。アパートに行っても居ないから、GPS機能で此処だと分かったんだ」
お父さんは、優しい顔をして説明してくれた。人情、温情、過剰に愛情。父親にとって娘とは、目に入れても痛くない存在である。
「では、届けがありましたら、すぐにご連絡します」
そうお巡りさんが言われて、若菜はお父さんと交番を後にした。
「お父さん、ごめんなさい。仕送りして貰った六万円、落としてしまって・・・ポッケに何気なく入れていたばかりに・・・ 」
「ああ、仕方のないことだよ。多分、財布は戻って来ないだろう。お金はお父さんが何とかするから、元気を出せ」
「ありがとう・・・ 本当にごめんなさい。これからは気をつけます」
父は、娘のアパートを視察がてらに泊まっていった。父が天草に帰った次の日、若菜は、智恵美のアパートに怒りを持参した。悲惨な我が身の顛末を智恵美に認識させてやろうと、鬼の形相で乗り込んだ。
「ちょっとあんた、二日酔いが治ったって喜んでいるけど、あんたを介抱するのにどれだけ苦労したか・・・ おまけに私は、陽太に告白し損ねたんだからね」
「えへへへへ」
「何がえへへよ。挙げ句の果てには、生活費の入った財布をなくしてしまったんだからな。どう落とし前付けるつもり」
「まあ、怒りなさんな。こうなったら苦肉の策よ。一緒に此処で住まない?今月の食費は私が出すからさ」
智恵美は、にっこり笑顔で返した。
「何が苦肉の策よ。あんたが酔って吐くし、陽太には無視されるし、大事な財布はなくすし、あたしはもう踏んだり蹴ったりだったんだから・・・ もお」
「ごめん。でも、私だって、大紀にフラれて辛かったんだもん。だからもうあの日のことは忘れよう。忘れるために少し旅をしよう。お金のかからない旅を・・・ 」
「お金のかからない旅・・・ ははーい、分かりました。金峰山に行きたいのね」
「そう、山に登れば、失恋の辛さも財布をなくしたイライラも吹き飛ぶよー」
若菜は、親友をこれ以上責める訳にも行かず、一緒に住もうという智恵美の提案を受け容れ、ばたばたと引っ越しを始めた。これまで独り暮らしをやって来て、寂しさに苛まれ、生活が不規則になりがちだったことからすれば、共同生活は、張り合いが生まれる。何だかんだいっても、智恵美は自分の最高の理解者である。家賃や光熱費等が折半でき、炊事洗濯掃除を分担すれば、かなり生活が楽になるだろう。こうして、二人の共同生活は始まった。