(いよいよ最終章です。次回で最後の掲載となりました。みゆきと洋一の心の重なり、

そして遺骨収集活動にかける意気込みを描きました。最後までお読み下さい)

 

 

 未来へ 永遠の平和への誓い

 

 今日は、遺骨収集活動の日。
私は、待ちきれなくて、夜明け前に起きた。背負うものがある喜びこそ、希望だ。
今日の作業は、彼が前回、遺骨を発見した摩文仁のジャングルで行われる。無事御遺骨を持ち帰り、遺品から分かったことを整理しながら、沖縄戦の真実に近づきたい。
あの戦争・・・多くの人々が一つのことを信じ、それに命を賭けた。だが、捧げた情熱は、ただ空しさと侘しさだけを残すだけとなってしまった。阿鼻叫喚の地獄絵さえ描けない。
戦争は終わった。焦土のあとにはただ数多の御遺体を残すだけ。
若くして亡くなられた人の奪われた青春を取り戻すことは出来ない。だからこそ、今に生きる若者である私たちが青春を謳歌し、ありのままの心と身体で、平和を実現しよう。事実を忘却の彼方へ追いやることは許されない。おばあの無念を晴らすこと、おじいの努力に報いること、自分の為に一所懸命やること、そして、たくさんの仲閒と繋がってゆきたい。
私は、切なる想いを胸に、改めてこの活動に全身全霊を傾けると誓う。

 彼を待つ間、心の中に押し問答を繰り広げる。島育ちの私が、背伸びをして彼の心に割り込もうとたくらむ。後悔と懺悔は、直接彼には言えない。ただ心の中で念じ、彼に届くことを願うだけ。でも、綺麗事で済ませるわけにもいかない。殻を破り、嫌われてもいいから本心を伝えるべきだと思う。だけど、それもまた我が儘だと思う。急いては事を仕損じる。今日明日結論を得なくてもいい。まずは、今日の活動の中でしっかり彼を支えよう。

 気持ちの整理をやりながら、道具をリュックに詰め込み、支度が済んだ。

やがて、私のアパートの前に一台の車がやって来た。彼が笑顔で「おはようございます」と言う。相変わらずの爽やかさ。澄んだ空気を吸った。「おはようございます」と私も爽やかな声で返した。軽トラックの向こうには、緑と青の光景が広がっていた。一月の真冬だが、天気も良いし、気持ちも晴れ晴れとしてきた。
「洋一さん、いろいろ準備があって大変だったでしょう」
「大変でした。何とか県との交渉の末、ガマへ通じる崖の所に安全な通路と柵を造ってもらえました。これで、安心して収集した御遺骨が運べます」
「良かったですね。おじいも心配していました」
「ぼくは今日がリーダーデビューなので、少し緊張しています」
「ええ、私も出来る事は何でもしますから、言ってください」
「ありがとう、では、打ち合わせを・・・」
今日の遺骨収集場所を書いた地図と日程など書いた紙を私は頂いた。分かりやすく、丁寧に書かれていた。洋一さんの熱意が伝わってきた。
「摩文仁の国立沖縄戦没者墓苑裏手の崖下斜面に降りて行き・・・」
洋一さんの説明が一段落したところで、私は、我が儘な心を告白しようと咄嗟に思った。
うつむき加減、恥ずかしさのあまり、つい彼に背を向けてしゃべり掛けた。
「ねえ、洋一さん。聞いてよ・・・」
「はい、何か質問でも・・・」
「私、振られてしまったの・・・」
「振られた・・・」
「そう。振られた!し・つ・れ・ん」
「ええーっ、まさか・・・・は、いや・・・・それは大変・・・いえ、あ・・・・」
「私、意外とさっぱりした気持ちで、今日を迎えたんですよ。本当に好きな人に巡り逢えて・・・振られて良かったって。こうして本当に好きな人と一緒に活動ができるから・・・良かったなあと思ってます」
「そ、それは、あの・・・」
振り返ると、彼の顔が真っ赤になっているのが見えた。さらに、彼の顔が驚きの顔に変わり、つぶらな瞳で私を見てくれている。私は、嬉しかった。
「俺、何と言っていいか・・・」               
「ううん、何も言わないで。私を振った彼氏への想いはきっぱり断ち切れたから。ただ自分勝手に目の前の人を好きだと言うだけ。私の目の前の人にどうこうしてほしいとは思ってませんから・・・ 今は、目の前に居る人だけが私の心の支え。それは、ほんとよ」
そう言うと、私は、何事もなかったかのように、リュックを彼の軽トラックの荷台に置いた。本当は、とてもどきどきしていた。そんな私の気持ちを察して彼も私の方を振り返らず、遺骨・遺品発掘作業に必要な道具の確認をしている。シャベル・パチグワ・移植ごて・竹べら・手ぼうき・箕・竹串・ハンマー・プラケース・ポリ袋・白テープ・軍手・一輪車・・・大丈夫、揃っている。天気予報は、晴れ時々曇りという。雨の心配はなさそうだ。気温は十四度予想。ハブも冬眠中だろうから心配ない。そして、長袖長ズボン・長靴にヘルメット着用。
 私は、彼の運転する軽トラックの助手席に乗った。じつは、彼に今日の迎えを御願いして、告白のチャンスを狙っていた。すでに恥ずかしさで心も体もカチンコチン。
「何か飲みますか」と彼が訊いてくるので、「いえ、まだいいです」と答えた。彼は、缶ジュースを取り出し、飲み始めた。
「有り難いことに、今日は十三名もボランティア参加者が来てくれることになったのです。仲間が集まって本当に嬉しいです」
「良かったですね。洋一さんの人望ですよ。人数が居ないとできない活動ですからね。みんなでで協力し合って進めましょう」
「はい。心強いです。金城さんの御蔭です。摩文仁のジャングルに眠る御遺骨を掘って探し出す作業は、大変困難ですから。参加者のこれまでの経験が大いに役に立ちます。くれぐれも、怪我のないようにしたいものです」
「私も細心の注意を払って慎重に作業をします」
「今日は、前回ぼくが行って見つけた御遺骨の回収はもちろん、もう少し壕の奥に入ってみようと考えています。チームワークで発掘成果をあげたいと思います」
「分かりました。チームワークで行きましょう」
「今日はみんなを三班に分けて作業を分担しようと考えています。ちなみに、みゆきさんは、ぼくと同じ一班です。宜しく御願いします」
「わあ、嬉しいです。一日同じ班ですね」
「はい。ガマの中に深く入って活動する班なので、じゅうぶん慎重に行動して下さい。幸い、落盤を防止する土止め支保工さんが来て下さるから、心強い味方です」
「なるほど、沖縄戦で破壊されたガマの中は、どんな状態か分からないですからね。強力な助っ人ですね」
「あとは今回の成果がどれほどか、期待するばかりです」
「話は変わるけど、あの卒業前のコンパのこと、覚えていますか。あの時、もっと洋一さんと踊れたら良かったと・・・」
「もちろん覚えていますが、ぼくは社交ダンスは初めてだったので、ステップなど全然知らなかったのです。恥ずかしい」
「私、大学の社交ダンス講習会に二、三回参加しました。それで少しステップを覚えました。洋一さんはその講習会、知らなかったの」
「ええ、知らなかったです。マジであのコンパの時、初めて社交ダンスを見ました。ダンスができれば、自信を持ってみゆきさんを誘えたのに、と思い出したくない思い出です」
「あはははは。もう、とても懐かしく思います。今度、一緒に社交ダンス講習会に行きませんか」
「あっ、嬉しいです。是非、ご一緒に・・・」
「あっ、それから、洋一さんに御礼を言わなければ・・・洋一さんのアドバイスの御陰で、平和学習、大成功だったのですよ」
「ああ、平和学習のこと気になっていました。良かったですね」
「クラス全員が遺品や御遺骨を前にして、言葉を掛けることが出来たのですよ。天国では幸せに生きてください、二度と戦争はしませんから、ガマの中で辛かったでしょうなどの言葉が多かったのですが、一番感動的だったのは、仁志という男の子が、戦争って、ただの人殺しじゃないか・・・と言ってくれたことです。あの子、勉強が苦手で、ウーマク(腕白)なんですが、この時は、目に光る物がありました。これには、私、うるうるきて・・・」
「さすが、みゆき先生。きっと、子供たちにとって、忘れられない授業になった事でしょう」
「はい、ほんと洋一さんの御陰です。感謝しています。ありがとう」
そんな話をしているうちに、目的地である摩文仁のジャングルに着いた。軽トラックを降りると、冬の優しい太陽が待っていてくれた。二人で荷物を下ろしていると、他のボランティアの仲間たちも、軽トラックやワゴン車で次々とやって来た。

 

 全員が集合した。新リーダー洋一さんの挨拶の後、参加者の代表が洋一さんへ期待と感謝の言葉を贈った。洋一さんは、ガマまでの経路とそこまでの路面の状態、安全面について、参加者に説明を行った。三つの班の割り当て発表があった。その後、各自支度をし道具を背負った。班ごとにかたまってジャングルに向かって出発した。前回の探索で洋一さんが木の幹や枝に付けた白いリボンが、ガマへ到達するための目印となった。
「ジャングルに眠る御遺骨は、時間が経てば、土砂などに埋もれ風化が進み、発見することが難しくなります。早く見つけて出してあげたい」と同じ班の若い男性が言った。
「ようやく行政も遺骨発掘作業に理解を示し、活動を支援するようになった。遅いよと言いたくなるが、とにかく、地道に発掘作業をしていくことだ」と首里在住の男性が返した。
「私は教師として、未だに戦争で亡くなられた方々の御遺骨が放置されたままの現実を子供たちに伝え、御遺骨や御遺品を見て感じたこと、耳を澄ませて聞こえてきたことを語り合う授業に取り組んでいます。子供たちの事を思いながら、今回の活動に参加しました」と私も続けて言った。
「風化すると言えば、戦争体験の風化、戦争への反省の風化もまた問題でしょう。それをくい止められるぼくらでありたいものです」と洋一さんも言った。ひとり一人が意見や想いを出し合いながら、歩を進めてゆく。目の前に大きな石灰岩の岩が現れた。ごつごつしていて、滑りやすい。用心しながらその岩の上を歩いて行く。両手で岩を掴み足元を確かめながら前進した。岩の表面が黒くなっている所が在り、割れている部分も見える。
「これは、米軍の艦砲射撃の凄まじさを物語っている。当時は、この辺りも樹木が覆い繁っていたが、鉄の暴風で焼かれ吹き飛ばされて、白い石灰岩の岩肌が、むき出しになったに違いない」と洋一さんが説明した。

足を滑らせると崖下に転落するという危険な所をゆっくり慎重に通過した。すると、今度は、樹木に覆われた場所が迫る。迂回できず、植生がまばらで見通しが悪く通り抜けるのは困難。ぼうぼうと生い茂る草木、亜熱帯雨林。つる植物や着生植物の繁茂。つるや茨のとげが躰にまとわりついてくる。洋一さんの指示に従い、参加者がそれぞれ手袋で茨のとげや蔓を払いながら進んで行った。足を置くところを目視で確かめながら、枝を両手でかき分け進んでゆく。その樹木に覆われた所を抜けると、少し開けた場所が現れた。
「此処で休憩を取りましょう」と洋一さんがみんなに告げた。お互いに怪我はなかったかなど声を掛け合う。水筒係がみんなに水を配る。地面に腰を下ろしひと息入れる。
 ふたたび目的のガマへ向かって歩き出した。行政関係の人、大きな道具を運ぶ人、土止め支保工の人は先にガマに向かっておられた。その後を追いかける格好で、私たちも声を掛け合いながら、ゆっくりと歩いて行った。いよいよ危険な岩場が現れた。最後の難関。隆起と沈下が激しく、岩がバックリ割れていたり、非常に硬くて突起しているので、危険である。岩の突起部分がちょっと当たると、ちくちく痛くて堪らない。細心の注意を払いながら、私たちは足を運んで行った。激しい砲撃に追い込まれて、何とか隠れ場を探していた当時の人たち・・・その人たちは、靴が脱げてもこの岩場を裸足で急いで移動していたのか・・・だから、私もこれくらいの痛みは耐えなければ・・・と思った。下を見たら、岩場の隙間から谷底が見えた。「おおーっ、こわーい」恐怖で体がこわばり足が震える。それでも励まし合いながら、何とか前へ進む。「はーい。はーい」と声を掛け合って、手渡しで道具を送る。ようやく危険な岩場を通り過ぎ「もう安心ですよ」と洋一さんが声をかけてくれた。落ち葉の堆積する場所を通り、足を踏ん張りながら坂道の木々の間を抜ける。ふたたび岩場が現れる。尖った岩の上を歩くのにもだいぶ慣れてきた。足の運びがスムーズになった。すると、鍾乳石の大きな岩盤が幾重にも重なった所が見えてきた。もう少しだ・・・頑張ろう。ごつごつの岩場を歩いて行って、ようやく目的のガマの入口が見えた。
「お疲れ様でした。此処が目的のガマです。休憩しましょう」
「はあーっ、やっと着いた。大変だった」と私は一気に緊張感がほぐれて座り込んだ。
「大丈夫ですか、怪我はありませんか」と洋一さんが声をかけてくれた。
「大丈夫です。凄い所ですね。想像以上の大変な場所にガマがありました。洋一さんがいなければ、此処まで来れなかった」
「お疲れ様です。はーっ、はーっ、つかれたー」と首里在住の男性も到着するなり座り込んだ。
「このガマに当時の人々が隠れていたことが不思議に思えるぐらい、ああ、大変だった」と若い男性も到着。一班の四名は無事揃った。
「想像以上の険しい場所でしたね。此処まで逃げなければならなかった当時の住民の大変さが分かります」と若い男性(高校生)が言った。
「ああ、戦争の末路・・・喉の渇きと空腹に苦しみながら逃げ惑い、ガマに潜んでいた人々の想いを考えずにはおれません」と洋一さんが言った。
「必死の想いでこんなジャングルの奥に隠れていたのか・・・この空間に人々のうめき声が聞こえてきそうです」と首里在住の男性が言った。
「命からがら此処まで逃げ込んできたんでしょうね。どんな気持ちだったのでしょう。家族は大丈夫だろうか、生き延びられるのだろうか、敵は何処からやって来るのか、そして、早く戦争が終わればいいな・・・そんなことを考えたり願ったりしながら、隠れていたんでしょうか」と私が言った。他の班のメンバーたちもぞくぞく到着。人員を確認し、各々リュックや道具を地面に降ろした。少し怪我をしている人がいた。手当てをして、みんなで地面に座って休憩をとった。
当時に思いを馳せている洋一さんの表情から、私は、おばあのことを思い出した・・・おばあも確かこの近くのガマに隠れていたんだ。最初に隠れていたガマが破壊されて、別のガマに移ったら、スパイ扱いにされ、殺されそうになった。おばあはどんなに辛かっただろう・・・
「あっ、みゆきさん、おばあさんのことを思い出しませんか。金城さんから確かこの辺りのガマにおばあさんも隠れておられたと聞きました。大変な想いをされたでしょうね」
「ええ、そうです。おばあはこの辺りのガマにいました。戦争がなかったら、おばあはどんな人生を送っていたのでしょうね。美味しものが食べられて、おじいと旅行にだって行けたかも知れない。ああ、あの戦争がなかったら・・・」
「おばあさんの人生、大きく変わっていたでしょうね・・・鉄の暴風、艦砲射撃や空爆で亡くなった方々の無念な想い、ガマに逃げて来て不安な中、ガス弾や黄燐弾、火炎放射で命を落とされた方々の悔しさ。おばあさんの苦しみとを重ねたとき、ぼくたちの言葉の軽さを痛感します」
「私もそう思います。私はおばあの悔しさを晴らすためにも、遺骨収集活動をずっと続けたいと思っています」
「さあ、活動を始めましょう。みなさん集まってください」

洋一さんが作業の開始を告げた。

みんなリーダーの元に集まった。洋一さんは、活動内容の確認と諸注意を行った。まず、ガマの中の様子を説明。入口は開いているが、狭くて這っていかねばならぬ事、岩面が黒くなっているのは、爆撃や火炎放射の痕であること、その先の通路も広くはなく、上部の岩盤が一部崩落しかけている所がある事、先の方は落盤により、ふさがってしまっている事。だから、十分安全に気をつけて、ゆっくり移動し、声をかけながら作業をする事をみんなに伝えた。次に、一班の作業は、壕の中を岩石などを除きながら通路を確保する。出来るだけ先に先に進めるよう通路を確保する活動をすること。二班は、周辺やガマ内の土石を運んで、洞穴の通路を確保する。一班と連携を図り、行政の担当者や土止め支保工の人たちと協力して、ガマ内外の安全を確保する。三班は、前回洋一さんが見つけた御遺骨を運び出し、その後、さらに埋もれている御遺骨を探り出す活動。当然、遺品の発掘収集も行う。今回、土止め支保工の専門業者が来て下さった。落盤が起きないよう、擁壁、土止め支保工を施していく。洋一さんは、各班の役割と安全面の確認を行った。ヘルメットと懐中電灯、長靴、軍手など各自が準備した。そして、道具の準備。いよいよ、ガマの中に入ってゆく。みんなの顔に緊張が走る。
 まずは、二班のメンバーと土止め支保工の専門業者が入った。先に、安全確保の作業を施すのである。次に、私たち一班のメンバーが中に入ってゆく。這う姿勢で入口を進んでゆく。すぐに一メートルぐらいの高さのある鍾乳洞の空間が姿を見せた。確かに岩の側面や天井は黒くなっている。米軍の攻撃の痕が見て取れる。洋一さんがその下の瓦礫のような所を掘ると、爆弾のような物が出てきた。「至近弾だろう。後で専門の人に依頼して見て貰おう」と洋一さんは言う。身をかがめさらに奥に入って行くと、少し下りになっているがだんだんと狭くなってゆく。ようやく人ひとりが通れるぐらい。その先はまた広くなっていた。そこにはアルマイトのようなお椀が落ちていた。それから、錆びた缶詰の缶も。「あとで三班が運んでくれます」と洋一さんは言う。私たちは、先へ進む。すると、大きな石が向こう側を塞いでいるように見える。すでに二班と土止め支保工さん方が作業をされていた。巨石のかたまりを太い鉄の棒を差し入れて一気に崩された。私たちはその石をひとつずつ端に移動した。岩石をどけると、空間が開けた。「うまくいきました」と二班のメンバーが言った。「おおお、思ったより広い空間ですね」と洋一さんが言った。私たち二班は、さらに開けた空間へ進んで行く。すぐに上部が危ない。薄い板状の岩が天井からぶら下がっていて、今にも崩落しそうになっていた。土止め支保工員さんたちが、その崩落しそうな石を専用のモルタルで固める作業をなされた。さらに擁壁の支えの柱を天井に向けて設置される。私たちも手伝って作業が進む。安全が確保されると、一班のメンバーは、さらに奥へ入って行った。そこからは下り坂になっていて、水たまりがあり、歩きにくい。また、空気の通りが悪く息苦しい。男の人たちが地面の一カ所にドリルで穴を開け、水を溜める。
「遺骨のある場所はもう少し奥だと思います。頑張りましょう」と洋一さんが私を励ましてくれた。私は、岩石をどける作業や、落盤を抑える作業に頑張った。かなりの力仕事のため、しばらくすると、腕に力が入らなくなってしまった。すかさず、洋一さんがそれを察してくれた。
「休憩しましょう」と言ってくれた。一班、二班のメンバーと土止め支保工員さんたちみんなが、その場に座って、水分補給を行った。辺りを見渡すと、壁は、クチャと呼ばれる粘土質の土が露わになっている。天井からは、石灰岩の尖った岩が突き出ている所もある。土臭く、しめっぽい。
「此処に避難してきた人たちは、土石のにおいと暗闇の中で、この壁を見ながら、恐怖と闘っていたのか・・・戦争は、いつ終わるのだろうか、早く此処から出たいと思いながら・・・」
「その願いはついに叶うことなく、変わり果てた姿で、このガマに埋もれてしまわれた。被弾による死、飢えによる死、病死された人、自害された人・・・惨いことさ・・・」
「ぼくは、戦争で亡くなった人の無念を晴らすと思ってはいるが、本当に出来るかと常に自分に問い続けている。命を大切に生きるだとか、戦争を二度と繰り返さないとか言っても、きれい事に終わってはいけない。平和を守り通すためには何でもする」
「ああ、我々が踏ん張るしかない。絶対に戦争をしない、起こさせない。その想いを強く胸に抱き、この活動を続けていくこと。少しでも多くの方の御遺骨と遺留品を見つけて、光を当てて、遺族の元へ返したい。その想いだけは、しっかり持ち続けたい」
「沖縄戦を体験し、PTSDを発症し亡くなったおばあ。目の前で人が死んでいく辛い記憶がフラッシュバックして、悪夢のような記憶は消えない。おばあは、誰よりも命の尊さを感じていたのではないだろうか。おばあを支えてきたおじいもどんなに辛かっただろう」
「終戦後、大勢の人が亡くなった場所として、洞穴は忌み嫌われた。中に亡くなった方々の遺体が眠っていると分かっていても、わざとごみを捨てに来ている。ゴミの投棄が今も続いている事は、沖縄戦を知らない世代の意識の問題が大きいと思う」
「実際、このガマでも入口付近に大量のゴミがあった。役所の担当が来ているから、今後の対策をしてくれると思うが」
参加者ひとり一人がぽつりぽつりと想いを語った。

沖縄戦の悲劇を二度と繰り返さないという決意を胸に持って・・・

 

   ( ご精読ありがとうございました。さあ、いよいよ次回最終回!

           感動のフィナーレに御期待下さい。    生田 魅音 )