(前回の続きから。最後までお読み下さいますよう御願い致します。

                      みゆきの失恋、心の揺れを表現致しました)

 

 その週の日曜日。青い空。
洋一は、観光客相手にガイドの仕事に精を出していた。
旅行会社の仕事が板に付き、雨垂れ石を穿つ程の実践力を発揮していた。
沖縄のフルーツ・・・近年、栽培も盛んになってきた。パイナップルにパッションフルーツ、ドラゴンフルーツ、島バナナ、シークヮーサー。南国を実感させてくれる鮮やかな色と香り。

沖縄観光ツアーで島フルーツを堪能するのもひとつの楽しみ。
「ハイサイ、みなさん」
「せっかくの沖縄観光、ぜひ、フルーツを召し上がれ。沖縄フルーツの糖分の多さの秘密は、強烈な陽射し。ぼくも沖縄に来た頃は、嫌だなと思っていた強烈さが今では恋しくさえ思われます。フルーツたちも燦燦と陽を浴びて見事に育っています」
「添乗員さん、マンゴー食べたい」と富山県からお越しの初老の観光客さん。
「もちろん、この後、マンゴー農園に向かいます。思いっきり食べてその甘さを味わってください」
「おおう、待ってました」
「沖縄では、マンゴーを自宅の庭で育てている方もいらっしゃいます。普通に実る果物として、沖縄ではなじみ深い果物です」
「うちには柿の木があって、毎年秋になると柿の実が熟すのを楽しみにしている。それと同じ様に、沖縄では庭にマンゴーか。ああ、うらやましい」
「そうですよ、そのマンゴーは大体糖度が十五度から十八度ありまして、ひとくち食べると、震えが来ます」
「たのしみ・・・早く食べたい」
マンゴー農園に着くと、農園の方が、栽培方法・収穫時期などを教えて下さった。
試食タイムでは、あちこちで観光客の歓声が。
神奈川県からお越しの五人家族さん。さきほど土産店で買われたお揃いのかりゆしウェアで、マンゴーをご堪能。きっちり、カメラに、はい、ポーズ。
丹精込めてビニルハウスで作られたマンゴーを、みなさん数玉お買い上げ。
箱詰めを買われたお客さんたちのマンゴーは、農園の方で郵送してくれる。
 那覇から首里へ向かう。守礼門へ。空気ががらりと変わる。大陸からの風。
ぼくにとって、学生の時から見慣れた守礼門。だが、此処に来れば時間は止まってしまう。
琉球王朝の華やかさと威厳ある佇まい。門を通るとき、厳かな礼が全身に降りてくる。
偲べば、いにしえの琉球のおもてなしの心が感じられる。
首里城復元後の今日においては、大手門としての存在感は十分である。
ぼくは、観光客のみなさんに、守礼門の説明を行った。
すると、ある老夫婦から質問が出た。
「あそこに書かれている『守禮之邦』ってどういう意味ですか」
「『守禮之邦』とは、琉球の尚永王の時、中国皇帝・万暦帝からの詔勅に、[琉球は守礼の邦と称するに足りる]と書かれていた文言から来ています。琉球王は、中国皇帝の遣いに対して[礼儀を重んじる国」であり[武器をもたない友好的な国]であることをアピールしたかったのでしょう。そこで『守禮之邦』の扁額を掲げたといわれています。中国側の使者もこれを見て喜んだと思われます」
「なるほど、琉球は礼儀を重んじる国である、という意味なんですね。よく分かりました」
「添乗員さん、ありがとう。勉強になりました」
ぼくは、褒めてもらって嬉しかった。
「さあ、みなさん。集まってください。守礼門をバックに記念撮影をしますよ」
ぼくがそう言うと、紅型の美しい琉服を召した女性が二人、観光客の間に入られた。花笠も赤と黄色の華やかさが目に鮮やかだ。記念撮影が終わると、お客さんと共に本日の反省会。一番思い出に残った所と言えば、海洋博記念公園と古宇利島が多かった。その次がショッピングとのこと。泡盛や黒砂糖、じーまーみ豆腐、沖縄そば、星砂やシーサーの置物、琉球ガラス等々、定番のお土産だけでも様々だ。お土産の事だけでも一日は話せそう。やがて、次なるプログラムの時間となる。今日は特別に、地元の小学生たちが、運動会に向けて取り組んできた創作エイサーを披露してくれる。
「さあ、みなさん。今度は首里の小学生がエイサーを踊ってくれます。この長いすに座ってご覧ください」
勇壮な姿の子供たちの登場に、みなさん喜んで拍手を送ってくださった。

ぼくは、もう何度もエイサーを見ているが、いつもその鼓動に胸を打たれてしまう。

この高揚感は、何故だろう。圧倒される太鼓の響き、一糸乱れぬ動きは、ある種の心を感じるのだ。それは、繋がろうとする心なのだと思う。かつてエイサーは、にんぶちまーい(念仏廻り)と呼ばれ、五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・無病息災などを願い、人と人との繋がりを大切しながら踊られてきた。その起源は、江戸時代の初めの頃、今の福島県の袋中上人という人が首里に滞在して、念仏踊りを伝えたことにある。以後、その念仏踊りがいろいろと改良されて、今日のエイサーへと繋がっている。それ故、縁や繋がりというものを感じるのだろう。現在のエイサーは、衣装や太鼓が派手になり、太鼓を主体としたパフォーマンスとして、青年会などが発展に貢献している。今まさに、そのエイサーを子供たちが披露してくれるという。かまえが入り、勇壮な太鼓のバチさばきとともに演舞が披露された。観ている人みんなが固唾をのむ。統制のとれた隊列の動き、気合いの入った足の上げ具合・・・ああ、見事だ。子供たちの躍動感は、これからの沖縄を担うぞ、という意気込みを感じさせてくれた。

ばっちり決まった子供エイサー。

観光客の皆さんが、感動の拍手を贈ってくださった。

ぼくももちろん大拍手。拍手をもらった小学生たちも嬉しそうな笑顔で応えてくれた。
「あっ、洋一さん・・・」
突然、女性の声がした。振り返ると、エイサーを披露してくれた小学生の引率の先生だった。
「あっ、みゆきさん・・・」
何と、ぼくに声をかけた引率の先生は、みゆきさんだったのだ。
「あれー、みゆきさん。いや、みゆき先生ではないですか。エイサーの子供たちを引率して来て下さったのですね。ご覧の通り、観光客の皆様も大喜びです。ありがとうございました」
「はい、あの・・・」
みゆき先生は、とても驚いた顔をなされていた。
「運動会でも大成功間違いなしですね」
「子供たちはとても頑張ってくれて、練習通りの発表をしてくれました。観光客の皆さんがこんなに喜んで下さって良かったです。機会を与えて下さった旅行会社さんにも感謝です」
「まったく素晴らしかった。これもみゆき先生の御指導のお陰ですね」
「あいや、恥ずかしい・・・」
みゆき先生の御言葉にますます舞い上がったぼくは、調子に乗って、子供たち全員と握手を交わして廻った。

「ありがとう、ありがとうみんな・・・」
「なんて人なの・・・もう、叶わん」
みゆき先生は、そう言うと、げらげら笑い出されておられた。
こうして、観光客の皆さんは満足した顔で、バスで那覇空港に向かわれた。

 

 私は、不思議な気持ちがした。洋一さんの魔力?合縁奇縁?好きな彼氏とはあまり逢えないけれど、洋一さんとはよく会う。どうしてだろう・・・

いや、ただの偶然さ。彼氏は、今、臨床研修医として忙しいから仕方がない。

ああ、彼氏に逢いたい。そう思っていると、彼氏から電話が架かってきた。
「明日逢ってほしい。大切な話があるから・・・」と誘われた。

いよいよ彼氏からのプロポーズ。

その大切な場所は、国際通りの『アダン』という喫茶店。

私は、次の日、仕事を早めに切り上げ、家に戻って入浴した。そして、いつもより化粧を丁寧にし、買ったばかりのワンピースに着替え、香水を付けて出かけた。

昨晩は全く眠れなかった。彼氏の口からどのような言葉が聞けるのだろう。婚約指輪はダイヤモンド・・・天に舞うような幸せを感じるひととき。冷静を装い、店に入った。彼氏は、早めに来て待っていてくれた。私は、椅子にきちんと腰掛け、姿勢を正し、彼氏に向きあった。

やがて、コーヒーを飲みながら、落ち着いて彼氏の言葉を聞いた。
「別れてくれないか・・・」
「はっ・・・」
「好きな人ができてね、君とはこれきりにしたいのさ」
信じられない。まさか・・・
「うそ・・・」
「ごめん、仕事が忙しくて、君への気持ちが離れていってしまった」
「ねえ、冗談言っているの」
「いや、すまん、新しい彼女は・・・」
「それ以上、聞きたくない」
わあああーっ、いやーー                              
私は、テーブルをバンと叩いて、アダンを飛び出していった。
私の、私の気持ちは・・・ふらー(ばか)・・・  あんな男だったのか・・・
あんなに愛し合っていたのに・・・あんなに簡単に心変わりができるものか。
好きな女ができた・・・
私は彼氏との結婚を夢見ていた。その私を裏切り、傷つけ、気持ちを踏みにじったことを、許せない。ごめんだと。そんな簡単なものか・・・罪悪感はないのか。
自分が、自分が情けない。涙は溢れ出るが、泣くことさえ悲しくなる。
私は、一週間、二週間と死ぬほど苦しんだ。

 

 彼氏と別れた。一ヶ月が過ぎた。

何度も彼氏の家や職場に電話した。しかし、彼氏の声を聞くことは二度となかった。大好きな人に突然振られた。結婚を考え、幸せな家庭生活を心に描いたりした。だが、触れ合いはなく、気持ちは擦れ違っていた。お互いに忙しかった。それは分かっていたこと。趣味の違い。価値観の違い。彼氏への愛情が全て消えればよいと、ネガティブな言い訳を考えるが、無理だ。情が強く在りすぎる。縁がなかったと言えばそうかもしれないが、彼氏のことを簡単に忘れ去ることは出来ない。愛する人は、彼氏ただひとり。
 此処は、百名ビーチ。珍しく騒々しさのない海岸。当の然。此処はアマミキヨさまが降り立った聖地。人を誕生させ、琉球を造り、稲作を広めた神様。アマミキヨさまは、向こうの久高島から此処にやって来られた。それを示すヤハラヅカサの石碑が沖合に表出していた。干潮を臨み、私の気持ちを代弁するが如き尖った岩や小石が続く。素足が痛い。それでも歩いてゆく。海風に爽やかさを感じない。どんよりとして生ぬるい風は、私の気持ちそのまま。太陽から発せられた白色光が憎らしい。大気圏に入ってくるなと言いたくなる。落ち込む気分のことを辛さと言う短絡さが嫌になる。笑い声が聞こえる。あっちは新原ビーチか。いいなあ・・・楽しそうで。嬉しそうで。幸せそうで。ああ、情けない。私はここまで愚かだったのか。人をうらやむなんて。涙が・・・出るな、出るなと命令しても溢れ出てくる。冷静になれと言い聞かせればするほど、涙が零れ落ちる。こんなに酷いとは自分でも思っていなかった。

 アガリウマーイ(御廻い)の神事の痕か。人々の繁栄と五穀豊穣を祈願した香炉は、感謝の気持ちと節度を私に突きつけてくる。今私に必要なものは癒しかもしれない。そのあとに安らぎが訪れたらいいのだけれど。ああ、眩しい。拡散している青い光が目に入ると、どうにか気持ちが落ち着いてくる。真白の珊瑚の欠片が純心を勧めてくる。海水が増えたのだろうか、つま先にさざ波が当たる。心が晴れてきたよう。この大自然に身を委ねてみよう。手足を伸ばし背伸びして、いっぱいに温かき陽射しを浴びる。うおお、自由だ。こんなにも自由だ。よし、アマミキヨさまに逢いに行こう。浜川御嶽に歩いて行った。ガジュマルの根っこが巨岩を飲み込もうとする。その勢いに驚かされる。時の流れを超え、空間の広がりを押し留める。深い緑色は精霊を宿している。その枝に生命力の流れを感じる。石垣の中に在る祠に向かい、私はしずかに頭を垂れた。私のような愚か者を生かして下さり有難う御座います。アマミキヨさま、息を吹きかけ私を戒めて下さい。新たなる心を持てるようにお願い致します。その瞬間、私の身体を冷厳なる空気が切り裂いていった。おお、これで私は生まれ変われる。穏やかな心が訪れた。ふたたび百名の海岸に戻ってゆく。海水の量が増えてきた。透き通って底がしっかり見える。その上砂は白い。サンゴ礁はますます張り切る。これこそ我がうちなーぬ海んかい。浅い所はエメラルドグリーン、深い所はコバルトブルー。光が素直に浸透できる海の青さ。くよくよ悩んでいる己の心までも青に染まる。青い海に繋がる我した島の空は大きい。無限に広がっている。雲までもが大きく、縁取りがくっきりしている。流れも速い。雨雲が近づいてきたかと思うと、たちまちものすごい風が。続けて大粒の雨が。びゅーん、どしゃーっ。スコールが私を襲う。私は負けない。いつものどしゃぶりに思いっきり打たれてやる。顔を上げて、雨雲を直視する。眼を瞑らないよう力を入れる。流せ、流せ、すべてを流し尽くせ。天に向かって激しく叫んだ。叩き付ける大粒の雨。高くて届かぬ天の前線。そこから天使が舞い降りてきて、私の顔にそっと触れてゆく。私の叫びが届いたのだろうか。あっという間に過ぎてゆくスコール。すぐに陽射しが戻る。かあっと照りつける猛烈な陽射し。紫外線なんて私の敵ではない。焼けろ、焦がせ、真っ黒に焦げて火傷しろ。今度は太陽(てぃだ)に向かって喚いた。さすがに太陽には叶わない。海風が無駄な抵抗はやめなと穏やかに吹いてくる。興奮冷めやらぬ心のまま海岸を歩いてゆく。橙色の果実が見える。甘い香りを放つ阿檀。色彩鮮やかに緑葉も海風に揺れる。幹から地面に伸びる支柱根の逞しさに目を奪われる。力強さ。凛とした佇まい。自然体。私にないもの。欲はなくいつも静かに見守ってくれる。騒々しい者さえも鎮める木陰。景の一体。なおも阿檀を見ていると、しなやかさが私には不足していると気づかされた。地を這うように伸びるしなやかさ。スコールも潮風も強烈な太陽光線さえも優しく受け止めるしなやかさ。苦しい時も哀しい時も微笑みを忘れないしなやかさ。かみさまーっ、ありがとおー、大切なことに気づかせていただきましたー  と夢中で叫んだ。
「やー、ややー、どぅーちゅいむにー、さんけー」と声が聞こえた。
振り返ると、おばあが私に手招きをされている。
「なんだろう・・・」と思いながら、おばあの方に近づいて行った。
「やー、しわぐとぅ(心配事)かぬー。しわ、さんけー、なんくるないさ」
「あ、はい、すみません。私、失恋したもので・・・」
「失恋、でーじやっさー。ちばれ。ちむぐくる(真心)ありば、いーくとぅ(良い事)ありや」
おばあは、百名ビーチの近くに住んでいると仰る。私は、おばあから手作りのカジマヤー(風車)を頂いた。素朴。阿檀の葉で作った物。童(わらば)の心を取り戻そうと、カジマヤーを手に持ち、思い切り走った。天真爛漫。走りながら、心に刺さっていた棘が抜けていくのを感じた。私は自分の見栄の多さ、視野の狭さ、自制心のなさを思い知った。ありがとう、おばあ・・・
 私は、沖縄を愛し、一生この沖縄で好きになった地元の人と暮らしていくと誓って今日まで生きてきた。しかし、その頑なな気持ちが良くない。自己変革が必要。私の心の狭さと浅はかさは、結局自分で自分の首を絞めることになると思い至った。女性としても教師としても、もっともっと大きな器のある人間にならなければならぬと思えてきた。愛するということ。もっと多くを経験したい。あんなに好きだった人に振られた事、もう逢えない事実を受け入れようと思う。

 あの人のことをつい想い出してしまう。刺激を充足させる新鮮さ。安心を感じる誠実さ。話が弾み理解し合える相性。一緒に活動できる楽しみ。あの人を気にしてしまう理由か・・・

私って、あれ程ナイチャーを嫌っていたのに。おかしい。何か変。それにしても不埒だよね。あっちが駄目ならこっちにしようなどと・・・

でも、良かった。うん、これでいいさ。

 

 (今回はここまでです。いよいよ次回から最終章に突入します。お楽しみに・・・

                                            生田 魅音)