(前回の続きです。母と洋一の沖縄をめぐる心境、[いちゃりばちょーでー]の意義を

 読み取って下されば、幸いに存じます)

 

「洋一、居るんでしょう・・・」
誰だろう、会社の人かなあ・・・と思いながら、受話器を置き、玄関のドアを開けてみた・・・
「こ・ん・に・ち・は・」
玄関でぼくに笑顔で挨拶をしてくる女性は、何のことはない・・・いや失礼、母だった。
「びっくりしたなあ、もう、いきなり来て。誰かと思ったあ」
「すいませんね、お忙しい所を。お母さんの顔を見てがっかりの御様子ね」
「いや、仕事がいろいろ忙しいので、会社の人が訊ねてきたと思って・・・」
「上がらせて貰うわ。わあー、思ったよりも綺麗な部屋。片付いているね。やっぱり私の子だ。ひとり息子が沖縄でどうしているか心配でね。お父さんを一人置いて急いで東京から出てきちゃった」
母さんは、部屋全体を舐めるように見渡し、点検している。ぼくは、お茶を入れて卓袱台にとんと湯飲みを置いた。
「突然来るなんて、どうしたの。電話ぐらいすればいいのに。今、仕事でやりたいことがあって、てんてこ舞いなんだよ」
「あら、いきなりが良いんじゃない。お母さんが電話したら、空港まで迎えとか、気を遣わせるからね。ところで、仕事の方は順調なの」
「ああ。有り難いことに、企画したツアーがお客さんに好評で、いい線いっているよ。それに、会社の人たちがみんな優しくってね。アドバイスをしてくれたり、気を遣ってくれる。本当に、あの会社に入って良かったと思っている」
「良かった、いい会社で。やっぱり男は、バリバリ働く方がステキだからねえ。時に嫌なこともあるけれど、それを乗り切れば、また良い事もあるし、人間として大きくなれる」

ありのまま、気ままは、母さんの母さんたる由縁。変わっていないことにぼくはほっとした。

母さんと色々と話しをした。相当な苦労をしていることが伝わってくる。
一段落つくと、皺の目立つ顔で、ずうずうしくも息子におねだり。
「せっかく沖縄まで来たのだから、どこか良い所に案内してください、観光ガイドさん」
「そだねー。私にお任せください。お母様」
はるばる沖縄まで出てきた母に「はい、さようなら」と言う訳にはいかない。
煩わしい気持ちは何処かに行って、ぼくは、ミニ旅行を脳裏に計画した。
 母さんを助手席に乗せ、ぼくは、南部へ車を走らせた。
「今日、たまたま仕事が休みで良かったよ。こうやって、親子水入らずで、ドライブが出来るなんて」
「うん。母さんも嬉しいよ。まさかこんな日が来るなんて。ほんと、夢みたい・・・」
今日は特別、母さん専属の観光ガイドを務めよう。
二人を乗せた車は、ひめゆりの塔に着いた。
母さんに、第一高等女学校の生徒さんたちのすばらしさを伝えたいと思った。
外科壕跡を見たり、生存者の手記などを読みながら、ぼろぼろぼろぼろ涙を流していた。
「看護士さんとして、戦場の中、必死で手当を行った勇気に感動したよ。どんなに恐ろしかったことか、私だったら気が変になっている」

母さんは、傷ついた人々を必死で看護したひめゆり学徒隊の姿心の美しさをすぐに理解した。ぼくらは、慰霊塔に真っ直ぐに向き合い、手をあわせた。
 次に、摩文仁の丘へやって来た。
平和の丘記念碑のある場所は、沖縄防衛陸軍第三十二軍最後の地となった所である。此処で、米軍の戦車めがけて爆雷を抱いて突進した、日本軍の激しい闘いが繰り広げられた場所だ。
今は、各県の慰霊碑・沖縄戦没者墓苑がある。また、沖縄戦で亡くなったあらゆる人々の名を刻んだ平和の礎(いしじ)が立ち並んでいる。それらを巡り歩きながら、母さんは、手をあわせ、亡くなった方々への冥福と平和への祈りを捧げていた。さらに、公園内には、沖縄県平和祈念資料館ができている。母は、此処でも終始あふるる涙を拭いていた。
「戦争体験者の言葉のひとつ一つが重い。とても重い。私なんて、生きていられるだけで幸せだね・・・ああ、亡くなった方々に何と・・・」
手記を読みながら母さんはしみじみ言った。
「こうやって今の私たちがあるのも、この方々のおかげだねえ。天国で、今の日本の平和をずっと見守って居られるからこそ、安心して暮らせるのだ」
じつは、母さんも東京大空襲に遭い、決して戦争を知らない訳ではない。ぼくは、母さんの優しさを感じ、胸が熱くなった。
「だいぶ歩いたから疲れたでしょ。ちんすこうでも食べて、お茶を飲んで、ゆっくりしてね。次は、すごい景色のいい所にご案内致します」
「ちんすこうって香ばしい・・・ねえ、今度は、何処に行くの」
「今度は、中部。中(なか)城(ぐすく)城跡だよ。一時間ぐらいかかるから、寝ていてもいいよ」
ぼくは、再び母を助手席に乗せ、中城城跡に向かった。母さんには、ゆっくりくつろいで欲しかった。それでも、母さんは、ずっと車窓からの景色を見ながら、色々と質問してくるのだった。
「うわーっ、花が綺麗。沖縄は、何処に行ってもよく花が咲いているね。景色の中に必ず赤や白の花がある。景色の中に花がとけ込んでいるって感じ」
驚きの声。
ぼくには見慣れた景色が、母さんにはとても新鮮に映ったようだ。
否。ぼくにはない純粋な感性が、母にはあると思った。
そんな母も次の瞬間、別の意味で驚きの声を上げた。それは、嘉手納飛行場にさしかかろうとした時だった。
「なに?この音は・・・すごい・・・襲われる、大変だ」

基地から飛び立った戦闘機の爆音は誰が遭遇しても恐ろしさを感じる。

ぼくは、急いで車を路肩に停め、空を指さした。
「ほら、上空を見て。戦闘機が見えるから」
一瞬であったが、母にも米軍の戦闘機の黒い姿が見えたようである。
「うわあ。こんな飛行機が、毎日毎日飛んでくるのか。堪ったもんじゃない。よくみんな耐えているわね」
その母さんの言葉に、この爆音を当たり前だとやり過ごしていてはならぬと思った。
 目的地の中(なか)城(ぐすく)城跡に着いた。
此処では、どんな母さんの感想が聞けるのだろう。見たまま感じたままの母さんの言葉。
ぼくのような未熟な観光ガイドには叶わない素敵な感性である。
駐車場に車を止め、グスクまでトゥクトゥク(移動用カート)に乗って城址まで移動。
心地良い風を感じながら、道の両側に咲き乱れる花々に心を奪われる。

まったく沖縄の花々は、赤や青や緑や黄色やオレンジ色と豊かすぎて目移りする。
しばらく揺られて行くと、グスクが見えてきた。ぼくと母さんは、トゥクトゥクを降りた。
「ええーっ、こんな石垣があるんだ」さっそく母さんは驚いた声を出す。
「あっち(本土)と石の種類が違うわね。なんだか軽石みたい。まあ、穴ぼこだらけで。これは、自然の石垣か・・・へえーすごい」
母さんの素朴な表現。ぼくは、ただ頷いただけで、母さんと一緒にグスクの中に入った。
「向こうを見てごらん。按(あ)司(じ)と呼ばれる豪族らが造った城壁が見事でしょ」
「本当だわ。石積みが丁寧にしてある。隙間なくきちんと石と石が嵌まっているね。そして、見事なカーブを描いている。こんな石垣を造るのは大変だったでしょうね。すごーい。何だか違う国に来たみたい」
その母さんの言葉に、ぼくは思わず吹き出した。
「この城壁は、切り出した琉球石灰岩を丁寧に組んでいって、美しい曲線に仕上がるようにしてあるんだよ」
つい母さんい教えてしまった。いかん。母さんの感性のままでいいんだ。
城壁の中を歩いて、アーチ状の入口をくぐり抜け、さらに奥へと歩いて行った。
そして、母さんの身体を支え、城壁の上に登ってみた。ぐるりと続く城壁の上部は、平らになっていて、人ひとりが充分に歩いて渡れる幅がある。城壁の上からは、本島の西側に広がる東シナ海が見える。
「うわー、すごい眺めだこと。目が回りそうだわ」
母さんはしばらく海の景色を眺めながら、城壁の上を歩いていた。
「洋一、見て。お花が綺麗。やっぱり赤と黄色と白だわ。この三色って、沖縄の色ねえ」

母の単純な言い方の中に、凡人には気づかない感性があるんだ。常夏の国沖縄の地も海も空もかざって凛として咲く花々を見ると、心までもが鮮やかに染まってゆく。

「あれえ、不思議なんだけど、お城と言っても天守閣なんかないわ。どうしてないのかしら。戦争で焼けてしまったのかな」とまたも母さんは鋭いことを言う。
「さすが、母さん。良いところに気がついたね。本土のお城は、殿様の守衛基地として作られたのだよ。でも沖縄のグスクは、王の防衛用ではなかった。この城壁の中の空間は、聖地なのさ。聖地だからこそ、石垣を作って守ってある。昔から多くの参拝者が訪れ、祈りを捧げてきた、神降りる場所なんだよ」
「そうなのか。さすが洋ちゃんは詳しいね。観光ガイドさん、合格!神降りる神聖な場所かー。それで最初の方の立て札に、御嶽って書いてあったんだ」
母は感心して城壁を降りて行った。ぼくも後を追って歩いた。母は、御嶽の在る処に静かに立ち祈り始めた。ぼくも、母と父の幸福を静かに祈った。
「あっちの城壁からも海が見えるから、行ってみよう」
ぼくが誘うと、母さんは、城壁に登って海の景色を眺めた。
「ガスタンクや工場らしき建物が見える。あれは、昔の旅館かな。黒い骨組みしか残ってない。その遙か彼方に、小さく船が見える。あの船はどこまでいくのかしら。家族や恋人に会いに行くのかな、それとも仕事で出掛けるのかな・・・」
人々が暮らし安らぎ集う街並と果てしない大海原が、このグスクに連なっている。
尚も雄大な景色を見ながら時間を費やしていると、日が西に傾き始めて来た。

ぼくは、母とこうしているのが不思議に思えた。
「さあ、母さん、帰ろうか」
母は、うんと頷いた。訊けば、今晩泊まるホテルは、国際通りから少し入ったところにあると言う。ぼくは車を走らせ、国際通りに向かった。そのホテルの駐車場に車を入れ、いよいよお楽しみの腹ごしらえとなる。タクシーで向かった先は、言うまでもない。那覇で超有名なあのステーキハウスだ。
「なに?ステーキ?そんな高価な物でなくていい。サラダとかお刺身とか安いのはないの」
母は心配顔で言う。
「お客さん、沖縄のステーキはそんなに高くないですよ。肉が分厚くて軟らかくておいしいですよ。是非食べて行ってください」
すかさずタクシーの運転手さんが忠告なさる。母さんは半信半疑の顔のまま。
「運賃、とても安いのね」と驚いて母さんはタクシーを降りた。降りてその店の前に着くと、すでに店前にお客の列が出来ていた。
「なに、これー。こんなに並んでるの。すごいわ」
並んで順番を待ち、二十分くらいして店の中に入れた。
席に着くと、ぼくはメニューなど見ずに、すぐ、サーロインステーキ二百五十グラムを二つ注文してやった。
「沖縄の人たちもよく働くね。そうか、沖縄だから、観光業というか、ホテルや食べ物屋やお土産品店などが繁盛しているのね」
「そうだね。もっとたくさん観光客が増えれば、沖縄の就業率も上がるのに・・・」
そこに、スープが運ばれてきた。
「いただきます」と言ってスプーンですくって飲む。
「ああ。濃厚でおいしい。何か味が違う。肉の出汁が入っているのかしら」
確かにスープの味はこの店ならではのうまみがある。スープが終わると、ジャーッと音を立てて、サーロインステーキが運ばれてきた。ライスも一緒。
「わあーっ。すごい、すごい。これが沖縄のステーキか。何だか肉が盛り上がっているね。こんなステーキ、東京では見たことない」
そう言いながら、ナイフとフォークを持ち、母さんは食べ始めた。
「うん。肉が軟らかい、さっきのタクシーの運転手が言った通りね。それで、こんなにお客さんが多いんだ」
納得のご様子で、母さんは食べ続け、完食してしまった。
「なるほどねえ。洋ちゃんが帰ってこないはずだわ。沖縄って、思ってた以上にすばらしい所ね。冬も寒くなく、雪も降らないだろうし、過ごしやすいね。それに色とりどりの花に囲まれて、いい所だわ」
「それに物価も安い。生活しやすいんだよ沖縄は。それ以上に、人がいい。沖縄の人たちの心にあこがれて、俺は、今ここで生きている」
「くすっ。キザだよ、ちょっと。でも、それも分かる。沖縄の人たちはがつがつしてない。きっと、冷たい人なんて居ないね、東京みたいに・・・」
そう母が言い終わると、二人は席を立った。
「二千円です」とレジ係の人が告げた。瞬間の母の驚いた顔が、印象的だった。ぼくは、母さんをホテルまで送って行った。本当は、もっと母さんと話していたいのだが、いつまでも親子でべったりするのは気まずい。
「ありがとう、洋ちゃん」と言ってくれた。
母さんの素直さにぼくは思わず涙がこぼれた。
それを隠して、ぼくは、母さんの居るホテルをあとにした。
 翌日、母さんが東京へ帰ることとなった。いっそう寂しい気持ちが湧き上がってきた。母は、中学校しか出ていない。パート労働を幾つも重ねて来た母。あの小さな手で、こんなぼくをここまで育ててくれたんだ。今回の親子旅で母の感性がもの凄く素晴らしいことに気がついた。
「子供は、いつまで経っても子供なのよ・・・」と母が言った。
離れていても気持ちが分かるのが、親子というものだ。空港の搭乗口で見た母の小さな後ろ姿。別れ際の母の目に浮かぶ涙は、ぼくの心を揺さぶった。たった一人しか居ないかけがえのない母さん・・・
「こちらこそ、ありがとうさ、母さん・・・」

 

 母が帰京して数日。なお母の姿を想い出す。母という存在を改めて見直すこととなった。
確か大学生の頃にも、母とは何か、捉えようともがいていたことを思い出す。何だか原点回帰。仕事や生活に追われる日々。そんな感傷も多忙なときに埋もれてゆく。
 週末、わったあ職場の『若者会』が催された。飲んべえのぼくは、勢いよく参加した。会場は、コザのスナック。コザの街には、大学の時、藤本や田代と三回ぐらい来たことがあったが、それ以来久しぶり。そわそわ、わくわく。すぐにカラオケが唄えるとことが・た・の・し・み。気分がハイになる。早速の乾杯。しばらく食べたり飲んだりした後、いよいよお待ちかねのカラオケタイム。ぼくは、十八番(おはこ)の曲を熱唱した。唄い終わったらすぐに、先輩方にお酌してまわり、本県観光に対する意見や上司への愚痴を聞く。
そうしていたら、店の年配の女性が驚いたような顔でぼくを見ているではないか。
あれ、誰だったか・・・
「あっ、やー、大学生だったね。あの時、話をさせられた・・・」
「あっ、あの時の・・・国吉さんでしょ。御世話になった国吉さん。うああ、お久しぶりです。またお会いできるなんて思いませんでした。嬉しいです」
ぼくは大喜びで席を立ち、握手を求めた。国吉さんとは、卒論を書くときに、米兵相手のスナックで働いてきた事をぼくに特別に話してくださった方だ。
「やー、元気そうで何よりさ。あれから大学の勉強はどうなったか」
「はい。おかげさまで。無事卒業できました。ありがとうございました」
「卒業できて良かった。でも、遅いよ、今頃お礼なんて。あの時、本当は心の中が痛かったさ。昔の辛いことを話させられて・・・でも、やーだから話してやりたいと思ったんだよ。本当にどうしているかと、心配していたんだよ」
「すみません、御礼に伺いもせずあのままになって・・・話して下さったことは、決して忘れません。そして、卒業できたのも国吉さんの御蔭です。本当に感謝です」
「うん、やっぱり、わーの目に狂いはなかった。それで、今はこの旅行会社に勤めているのか」
「はい、就職も決まって、良かったです」
「おお、それもまた良かったさー。チバリヨー、洋一」
「本当にありがとうございます」
店の人が三線を弾き始められる。すると、国吉さんは、すっと立ち上がられ、カチャーシーを始められた。つられて、ぼくも、会社の人も、総立ちでカチャーシーを。ガンガン踊ったので、汗をかいた。
「あぎじゃびよ、不思議さー。ほんと縁ってあるんだね。[いちゃりばちょーでー]だねえ。またこうして逢えたのだから、姉弟だよ、わったあ・・・わはははは」
「いちゃりばちょーでー・・・ぼくもそう思います」
「やー、それに歌が上手で、びっくりしたさ。歌手かと間違えた」
「それほどでも・・・」とぼくが照れると、
「やー、冗談を本気にしたらいかんさ。とにかく、これからの時代は、あんたたち若者の時代だよ。わったぁのように、戦争で苦しむなんて絶対にしたらいかん。伸び伸びと恋愛して、酒飲んで楽しんで良いんだよ」
「すでに、失恋して、華々しく飲んで、カラオケを楽しませて頂いております」
「これからは、沖縄は観光で栄えるからさ。洋一よ、やーの力で観光業を発展させるのだ。きっとあんたは、沖縄観光を変える大人物になるさ」
「ありがとうございます、頑張ります」
「うん、本土からも外国からもいっぱい客を呼んで、ぱあっと栄えさせるんだよ。ちばれ!洋一」
国吉さんは、終始ぼくを激励して下さった。結局、朝まで国吉さんとの会話は続き、御礼のしっぱなしだった。
良い再会が出来て、気分良く眠りに就いた。
「国吉さん、では、おやすみなさい」

 

  (今回も最後までお読み頂き、ありがとうございました。

                      また水曜日に続きを掲載致します。 生田魅音)