(前回のつづきから、洋一があこがれのみゆきに告白し振られる段です。

長文となります。最後までよろしく御願いします)

 

 現実は、待ったなし、情もなし。翌日からまた仕事仕事の日々となる。
沖縄本島ツアーの企画書第二弾が出来て、提出を行ったが、旅行の目的・観光客の具体的な行動の面で、上司のチェックが入った。
「現地の下見を入念にして来い」という上司のお言葉。
先輩女性がその下見に同行されることとなった。
その先輩女性、三十七歳。わが職場唯一の独身女性、雅美さん。
不思議な人。女性的魅力より人間的魅力が豊富。あっ、これ、褒め言葉。
会社の車に乗って向かうは、南部戦跡。ハンドルを握るのはぼく。アドバイザーは雅美さん。つい先日、摩文仁の丘向こうの崖にあるガマで、遺骨収集活動をしたことを思い出す。あの時も随分勉強になった。
「洋一、あんたの企画書見たら、結構いい線いっていて驚いた。南部戦跡でもひめゆりの塔と摩文仁の丘は、我が社プランに欠かせないけど、ちゃんと入ってた」
「お褒めの言葉、ありがとう御座います。まあ、そこら辺は普通入れるでしょう」
「さてと、じゃあ、どれだけ基礎知識があるか、試してみるか」
「はい、お手柔らかに・・・」
「では、第一問。沖縄戦での人民動員の特徴を述べよ」
「兵役法に基づく兵士の動員以外に、自主参加・志願を建前とした防衛隊が組織された。そして、中学生や女学生が軍組織に組み込まれたことが最大の特徴である。それは、《一億総特攻》の始まりと言ってよい」
「正解、よろしい。では、第二問」
「はい」
「米軍北谷上陸から首里城に至るまでの戦況の概略を述べよ」
「米軍は上陸地点である北谷から日本軍首里本部までの十キロを進むのに、五十日もかかっている。沖縄守備軍は この間、十万のうち七万四千人の兵力を失っている。それは、もの凄い地上戦闘が繰り広げられたことを物語る」
「さすが、洋一。ただの脳みそじゃないね、優秀脳」
「一応、琉大の史学科卒業しまして、沖縄戦についてもかじったので・・・」
「よし、では、第三問。ひめゆり学徒隊の《ひめゆり》の由来を述べよ」
「《ひめゆり》の由来は、安里川にかかる橋から転落死した第一高等女学校生徒を悼み、昭和初期に頑丈な橋に掛け替えられ《姫百合橋》と名付けたこと。その後、沖縄師範学校女子部と一高女の校舎が《ひめゆり学舎》と呼ばれ、両校の広報誌も《姫百合》とされた」
「よし、じゃあ、ひめゆり学徒隊のことは詳しそうだから良しとして・・・
 第四問。鉄血勤皇隊のおもな任務について説明せよ」
「鉄血勤皇隊・・・それは、ちょっと・・・」
「知らぬと」
「は、はい、勉強してません」
「あいやー、それで課長が勉強して来いと・・・」
「鉄血勤皇隊に纏わる遺跡がありましたか、摩文仁に・・・」
「ある、ある、ちゃんとある。そうか、ならば、摩文仁の丘に行かんといかん」
「はい、分かりました。では、摩文仁の丘に一直線」
車を走らせ、摩文仁の丘に着いた。
沖縄戦跡国定公園。一九六〇年代、本土からの観光客が増えるにつれ、慰霊のためのモニュメント建設を求める声が上がってきた。和歌山県が≪紀乃國之塔≫を建設したことをきっかけに、他府県が競い合うように慰霊塔を建ててきた。摩文仁の丘は、本土復帰後、国内唯一の戦跡国定公園となった。
雅美さんと二人、摩文仁の丘にある慰霊塔・祈念碑を巡る。沖縄戦で亡くなられた人々の御魂に祈り心寄せる。   
此の地が沖縄戦最大そして最期の激戦地である。南下する米軍、避難してきた一般住民、抗戦する日本軍人が相対し、大混乱の戦場。さらに、最期を悟った牛島満司令官他が自決した所・・・  

 美しく広がるエメラルドグリーンの海。
今は穏やかで平和な摩文仁の海。

隆起サンゴ礁のつくる景観。てんのうめ・くさとべらの緑も今は鮮やかに蘇っている。

まさか、この海一面、米軍艦隊で埋め尽くされていたとは信じられない。

あの時、牛島司令官の目にどう映ったであろうか。

ああ、此処で多くの住民が焼き出され、爆弾を浴び、身を投げて、無念の死を遂げたのか・・・
「あんたが行ったことのない健児の塔はちょっと歩かないといかん」
「そうですか、では、ご案内を」
「いずれ健児の塔専用の駐車場を造って、観光客がいっぱい歩かずに済むようにしたいね」
雅美さんは、もう十年以上沖縄観光バスツアーの添乗員をしてこられただけに、色々なところに目がいき、色々と策を考えておられる。
≪沖縄師範健児の塔≫は、沖縄戦跡国定公園の奥の方に存する。ぼくらは、丘の西の岩場へと向かう。向かう途中、雅美さんが鉄血勤皇隊についてレクチャー。
梯梧の紅い花がぼくらを見守ってくれる。打ち寄せる波の音が聞こえる。
黎明の塔・・・ぼくらは牛島司令官の勇魂に手をあわせて平和を祈った。
黎明の塔から下ってゆくなだらかな階段があった。階段をてくてく降りると、波の音が大きく聞こえてくる。両側に切り立つ鍾乳石。その間を下って行く。
「結構歩きますね・・・」
「おっ、あれを見て」
「黒っぽい・・・」
「あれは、火炎放射の痕。鉄血勤皇隊の青年が火炎放射でやられた・・・」
ぼくは、ぎくっとした。こんな所にまで火炎放射を放ったのか・・・
【小石もて 戦せしと きくにつけ 身につまされて 悲しかりけり】

岩壁には当時の若者の想いが刻まれていた。

「十四歳から十七歳の少年たちの悔しさ・恨みつらみが恐いぐらい伝わってきます」
「考えられるか。自分達よりも若い青少年が、陣地構築、敵を超えて伝令伝達、斬り込み、爆弾を背負っての特攻をやる・・・ああ、めちゃくちゃだ。それが沖縄戦だった」
雅美さんが悲しい顔をして仰った。ぼくは、摩文仁の真実を知らぬまま観光客に接するところであった。深く反省。さらに、雅美さんから、鉄血勤皇隊の真実を聞かされた。
「十キロの火薬を背負って米軍戦車の下敷きになりに行けと命令され従順に従った。特攻攻撃に使われた若き命。鉄血勤皇隊の真実こそ、語り継ぐべきことですね」
「そうよ、洋一、それこそ、観光客に伝えるべきことではないか」
階段を降りた所に、目的の慰霊塔の標識が見えた。さらに歩いてゆく。南冥の塔などの慰霊塔の横を通る。こんもり茂る木々。ようやく≪沖縄師範健児の塔≫に到着した。沖縄師範学校の男子生徒によって編成された鉄血勤皇隊を祀った碑である。終戦の翌年、師範学校同窓生によって建てられた。教職員を含め三百七名の尊い名前が刻まれていた。
隣の≪平和の像≫に寄ってみる。

向かって右側の少年は『友情』、中央の少年が『師弟愛』、左の少年が『永遠の平和』を象徴しているとのこと。
その敷地の裏手にガマがあった。鉄血勤皇隊の少年が米兵に追い詰められたガマ。ひっそりと隠れているように開口しているガマは、今も泣いているようだ。ぼくらは、持参した線香に火を付け、献花した。
「ガマの中に作られた納骨堂。此処に、若くして亡くなった少年の御遺骨が納められている」
「このガマで、死にたくないと思いながら亡くなったのでしょうか」
「ああ、そうさ。自決した少年もいた。お父さんお母さんの気持ちを思うと、もうたまらなくなる」
沖縄戦の事実を知れば知るほど、日本軍のとった作戦のおぞましさが見えてくる。
勝てば何とかなると思っていた当時の指導者の愚かさと同時に、戦争は冷静な判断も思考も狂わせてしまうと知った。雅美さんとともに、手をあわせ、ふたたび戦争の惨禍のない世にすることを誓った。
「やっぱり、摩文仁の丘に観光客を案内する際、各県の慰霊碑を巡るだけでなく、沖縄師範健児の塔も入れて鉄血勤皇隊の話もするべきでしょ」
「はい、雅美さま、よく分かりました」
「では、会社に帰って、企画案をもう一度見直すとしましょう」
 ようやく仕事が終わり、ひとりアパートに帰る。テレビだけが話し相手。近所のスーパーで買ってきた弁当を食べる。好物のからあげ弁当。
自炊は就職したての頃だけで、今は外食か、弁当。
それ故、炊飯器も鍋やフライパンもほこりをかぶり、寂しそうな顔になっている。
また、休みの日に買いだめた卵や野菜も冷蔵庫の中で干からびて、これまた寂しそう。
大学時代には愛着を持って読んでもらっていた本たちも、最近は、主が相手をしてくれないせいで、寂しさを通り越して怒っている。
そんな家具や冷蔵庫の中の物や本たちの気持ちも知らず、ふたたび主は会社へ。
がらんとした部屋には、時々、冷蔵庫がフェーンと音をたてるのみである。
挙げ句、主は、ふるさと東京へお帰りになられると。一週間も留守である。
「あーあ・・・」とため息を漏らす洋一家の物たちであった。
 冗談なぞ言ってはおれぬ。仕事の方は、添乗員として観光客相手に大わらわ。
炎天下だろうが、スコールだろうが、観光客は待ってくれない。
その最中、金城さんから電話があった。
「最近姿を見ないが、元気かね。今度の遺骨収集活動には参加して欲しい」
「すみません、忙しさにかまけて、遺骨収集の活動を忘れていました」
じつは、二回ほど金城さんから電話を頂いていたのだった。
不器用だと言い訳をし、忙しいからと逃げていた。
「早いもので、前回の参加から一年か・・・」
ぼくは、自分に呆れた。
これがぼくの生きる道だと誓って、遺骨収集活動を始めたはずなのに・・・
「今度の水曜日は仕事が休みなので、必ず参加します」とぼくは返事をした。
夜、久しぶりに早く就寝。
「お・や・す・み・な・さ・い」
恐ろしい夢を見た。家中の家具や本たちや食料品から襲われる夢・・・
「オーマイガー」


 思い至る感傷

 

 予定の水曜日。久しぶりに遺骨収集活動へ向かった。摩文仁の丘の斜面にあるガマ。
空き地に着くと金城さんが待っておられた。そして、みゆきの姿があった。正直、ぼくは、嬉しかった。今日こそは、当たって砕けろ、みゆきを誘い出そう。
参加ボランティアのメンバーが次々集まってきた。みんなで十四名。
金城さんから今日の活動の大切な説明があった。各々準備を整えた後、活動が始まった。
今回のガマは、まだ手つかずの危険な場所に在る。摩文仁の周辺には、遺骨収集や調査が進んでいないガマが多くある。国立納骨堂近くにあるガマに今回は向かう。海岸近くの急斜面に在り、原生林に囲まれ、簡単に近づくことは出来ない。みんなの顔に緊張が走る。
メンバー並んで一列でゆっくりゆっくり歩を進める。冗談を言う余裕は全くない。
木が生い茂り、枝や葉が邪魔をする。それでも、上手にかき分けながら前進を図る。
原生林を抜けると、両側に大きな岩盤が切り立つ細い所を通ることとなる。
一息つくと、今度は、ごつごつ岩がお出迎え。慎重に岩を乗り越える。
「もうすぐだから、みんな頑張れ」と他のメンバーが声を出す。鍾乳石の大きな岩盤が上部に現れた。ガマの入口が近いことを感じる。着いて見ると、入口は大きく広がったガマであった。
「以前より此処にガマがあることは分かっていた。なぜならば、日本軍が陣地として使っていたガマだからだ」と金城さんは説明された。
ごつごつした岩場。先のとがった石もある。ゆっくりと足元を確かめながら、ガマの中へ入って行った。暗い鍾乳洞の中では、ヘッドライトや懐中電灯の明かりが頼りとなる。頭を低くし、匍匐前進する。ゆっくりと進んでゆくが、泥臭さが襲い、息苦しい。声を掛け合い、奥へと進んで行く。しばらくすると、広いところに出て、ほっと一息。メンバーの無事を確認する。
そこで、金城さんが大きな熊手を使って、石を取り除かれた。
「これ、ろっ骨だね」とみんなに真っ黒になっている人骨を見せられた。
「このガマは、アメリカの激しい攻撃で、相当の落盤が起きているはず。頭上も足元にも注意を払いながら、遺品や遺骨を探してほしい」
広い所に全員が輪になる格好で、遺骨や遺品を掘り出す作業に入った。幸い頭上の岩盤は大丈夫そうだ。そして、ひとつ、ふたつと、遺骨が見つかってゆく。見つけた物は、大きなプラケースに入れた。全員が頑張ったので、今回もたくさんの遺骨や遺品が見つかった。なんと頭蓋骨が八体も出てきた。

 作業が無事終わり、みんなガマの外に出て反省会をした。
「ご苦労様でした。このガマでもたくさんの人骨や武器弾薬が発掘されました。子供の骨もあったので、住民の避難壕としても使われていたと思います。何十年もの長きにわたって人知れず忘れ去られてきたご遺骨を前に、亡くなられた人々のご冥福を祈りましょう」
金城さんの言葉を合図に、みんなガマ入口に向かって黙とうを捧げた。
 黙とうの後、参加者一人一人が活動の反省と感想を述べた。
「此処に隠れていた軍人は、徹底抗戦の構えをとりながらも、本当は戦争が早く終わることを祈っていたと思います。兵士の中には、私たちより若い人もいたでしょう。想い叶わず亡くなられた人々・・・せめて天国では幸せに暮らして欲しいと思います。また次の活動も参加したいと思いました」
「ガマの中で助かることを祈っていた住民たち。でも、多くが亡くなられた。軍と軍の戦いに巻き込まれ、スパイの容疑を課せられた人々の無念の想いがガマの中から聞こえてきました。遺骨に触れ、ただ虚しい気持ちがしました。平和が続く有り難さを忘れないようにします」
「自分は今回は遺骨を見つけ出すことは出来ませんでした。ですが、八体の頭蓋骨を前にして、陽の光を浴びることが出来る我々の贅沢さがよく分かりました。命さえあれば、何でも出来る。戦争さえなければ、楽しい日々が待っている。この活動の意義を改めて感じました」
メンバーが次々に感想を述べ、いよいよぼくの番となった。
「ぼくは、今回で二回目の参加です。戦争の傷痕が、こうして残っていることを知って、青春を奪われた、人生を奪われた人々の想いを考えました。ぼくが掘った所からは、子供の骨が出てきました。幼い命が奪われた事実の証拠です。どんなに残念だったか、どんなに辛かったか・・・若い命こそ、輝くべきだと思います。だからこそ、ぼくら若者が平和のために頑張るし、この遺骨収集活動を担うべきだと思いました」
みゆきが最後に感想を述べた。
「私は、七回目の参加となります。遺骨収集の活動に参加してきて、これは絶対に私たち若者が担うべき仕事だと思ってきました。そして、今、洋一さんが言われたように、若者の死の無惨さ、青春を奪われた悔しさを、絶対に許せないと思います。次回も是非参加して、戦争と平和について考えたいと思います」
全員が拍手を贈った。そうして次回の予定を確認して片付けを始めた。

片付けのめどが立った時、ぼくは、みゆきに声をかけた。
「みゆきさん、ちょっと話ができませんか。遺骨収集活動のことについて、もう少し話したいので・・・」
「あっ、洋一さん。さっきの感想、とても良かったです。私も遺骨収集活動は若者がやるべきだと思っています。これからもこの活動は続けていきましょうね」
「はい。仕事が忙しくてまだ二回目ですが、これからは毎回遺骨収集活動に参加したいと思っています」
「私は三月まで臨時採用で小学校の先生をしてきました。今度こそ教員採用試験に受かるための勉強をしています。子供たちにもこの活動の素晴らしさを伝えられる教師になりたいと思っています」
「またみゆきさんと逢えて大変嬉しいです」
「・・・・」
「ほんとです。あのー、このあと良かったら、食事でもしながら話しませんか」
「ええっ・・・」
「だめですか」
「いえ、あっ、いいですよ。じゃ、場所と時間を教えてください」
良かった、返事を貰えた。前もって考えていた場所と時間をみゆきに告げた。
 待ち合わせの店は、安里ホテルのレストラン。入ると、みゆきの姿がロビーにあった。もう来てるなんて・・・ウチナータイムは彼女には関係なさそう。
みゆきのスタイルの良さに惹かれる。黒のワンピース姿に真珠のネックレス。いつもにも増して、美しい。後ろ姿も艶やかに、ロングヘアーがはらりと舞う。
訊ねてみると、彼女は壷屋町に住んでいて、時間にはルーズではないとのこと。美しさはもちろん、きちんとしていて、すてきな女性。言葉遣いも丁寧なみゆきさんは、椅子に深く腰かけて、ナプキンを膝に掛けた。
「コース料理頼んでおきました。飲み物はどうしますか」
「ありがとう。とりあえず、ビールでお願いします」
「ぼくもビール。みゆきさんはお酒強そうですね」
「ええ。最初はビール、あとで泡盛。泡盛のロックあとで付き合って貰いますよ」
「勿論です。今夜は飲み過ぎ覚悟で来ています」
そう言って、ビールを注文した。
「かんぱーい」笑顔でグラスを重ねる。不思議な気持ち、懐かしい人に再会した様な。
二人きりで此処に居ることは、神の思し召しなのだろうか・・・
「活動のあとのビールは美味しいですね」とぼくは一気にビールを飲み干した。
「私、大学最後のコンパのことを思い出しました。洋一さん、ダンスは苦手だったのですね。あの時、片山さんではなくて、洋一さんから誘われると思っていました。逆に片山さんの方が積極的に来られて意外でした」
「あっ、あの時は失礼しました。どうも気分が乗らなくて。そう言ってもらえて光栄です。でも片山のヤツ、みゆきさんの電話番号を教えて貰って嬉しそうでしたよ」
「そう、そう、思い出した。それで片山さんから電話があったのです。付き合ってくださいって。でも私・・・丁寧にお断りしました」
「そうだったんだ。それで片山のヤツ、落ち込んでいたんだ」
「片山さんには、ほんと申し訳なかったけれど、はっきり断った方が良いと思って・・・
それより、私、就職のことで頭の中がいっぱいでした。ずっと小学校の先生になるのが夢だったので、正採用目指して頑張っています」
「教員は、競争率高いし難しいですよね。合格できるように祈っています」
「ありがとうございます。それで、今日は、洋一さんにお知らせすることがあって来ました。
あの・・・」
みゆきの告白を遮るように、店員さんがコース料理のスープを運んできた。
「こちらは本日ポタージュスープになっております」
「いただきます」と一口スプーンですくうと、ポタージュのうまみが口いっぱいに広がった。「おいしいですね」とぼくは、みゆきよりも先に、遺骨収集活動のことを切り出した。
「みゆきさんは遺骨収集の活動、いつから始めたんですか」
「活動は、高校一年生の時からです。もう九年目なんだけど、私あんまり参加できていません。元々おじいから誘われて活動を始めたのですが、試験の勉強とか色々あったから、毎回の参加は無理でした」
「八年もされてきたのか。ぼくは、去年、旅行会社に勤め始めて、その関係で金城さんに出逢ってこの活動を始めたのです。沖縄戦が終わって四十年近く経つのに、まだたくさんの遺骨や遺品が放ったらかし。何とかしたいという思いで参加しています」
「洋一さんの遺骨収集活動へのすごい意気込みを感じます。ところで、私のおじいがこの活動を始めたのには訳があるんです。おばあが亡くなって、それがきっかけで・・・」
「おばあさんが・・・」
「はい。おばあも沖縄戦をくぐり抜けて生き残ったのです。そして私の父も母も生き残れた。奇跡的なことだと思います。でも、終戦を迎えて捕虜から帰って来たら、家は焼けて残っていなかった。家族みんなで力を合わせて生きてきたのです。ですが、おばあはPTSDになってしまって・・・。そして、おばあは苦しみながら死んでいった・・・」
「そうだったのですか。おばあさんの心を苦しめた原因は何だったのですか」
「おばあは、多くの人が亡くなっていく様子を目の当たりにして、精神的におかしくなっていきました。最初にいた壕を抜け出し、他の壕に移動したのです。その壕も危険が迫り、次は日本軍の壕に移動しました。でも、そこで、おばあはスパイ容疑をかけられたのです。拷問を受け、日本兵から銃刀を突きつけられ殺されそうになりました。まさにその時、アメリカの爆弾が炸裂して、その日本兵は死に、おばあは気を失った。気を失って、その後も死んだふりをしていて時を稼いだ。どうにか壕から出て元地に帰ってきたのです。戦争が終わっても、恐ろしい記憶がおばあを苦しめて、とうとう死に追いやられた」
「おばあさん、とても酷い目に合われたのですね。どんなに辛かったことか・・・」
ぼくがそう言うと、みゆきは、おいおい泣き出した。
「おばあの死、そして多くの人たちの死を悼んだおじいは、遺骨収集ということを生き残った者の使命としたのです。平然と遺骨収集をしている姿に、私は胸が痛みます」
「金城さんも、愛する人の死をどう受け止めたら良いか、悩み、苦しまれたでしょうね。悔しいでしょうね。怒りをぶつけたいのだが、何処にもぶつけようがない。今、懸命に遺骨収集に当たられている姿には、本当に頭が下がります」
みゆきは、涙を拭いた。パンをひと口食べた。
「酷い、酷すぎます。沖縄だけまだ戦後のまま。誰も、誰も、こんな世は望んでなかった・・・おばあを死に追いやった戦争を、絶対に許すことは出来ない。尊い命を奪っておいて、無関心でいられる今の世の中を許すことは出来ない」
みゆきの肩は怒りで震えていた。ぼくは、飲んだり食べたりを止めた。
「すいません。おばあ様のことを思い出させてしまって・・・泡盛を注文しましょう」
泡盛の古酒を注文し、メイン料理を味わった。
「でも、今日は、貴重な話が聞けてとても良かったです。みゆきさんやみゆきさんの家族が受けた戦争の悲しみ、それはぼくの心に刻んでおきます」
「ありがとう。少し元気になりました」
「あのー みゆきさん。これは、ぼくの本心です。みゆきさんのこと、合同コンパの時、いやもっと前にキャンパスで見かけた時から、ずっと気になっていました。付き合ってもらえませんか」
みゆきは、洋一の告白を予想していた。
実際に洋一の言葉を聞いて動揺した。
それでも、正直な気持ちを伝えるべきだと思った。
「それは・・・ 洋一さんはとても素敵な人だと思います。でも、あの・・・ごめんなさい。私の心には大きな壁があって、好きにはなれないのです。あなたは、所詮本土の人だから、沖縄を裏切っていくでしょ」
「そんなことは、絶対にないです。ぼくは、一生沖縄で暮らし、地元の女性と結婚して、その人を幸せにしようと思っています」
「私の心の内に在る大きな壁。本土の人を信じて受け入れることはとても難しいことです。洋一さんにも家族があるでしょ。その家族や友人がみんながみんな、沖縄に想いを馳せ、私たちウチナンチューの心の葛藤に気づいてくれるとは思ってない。むしろ差別的な目で見る人が多いと思ってしまう。だから、洋一さんが私を好きだって言っても、いつかは破綻する・・・」
みゆきにそう言われて、返す言葉がなかった。
今日は自分の気持ちを伝えたい、いや何としてもみゆきをものにしたい、と意気込んで来たが、その気持ちが木っ端みじんに砕かれた。ただ下を向くしかなかった。
「ごめんなさい。本当はもっと大事なことをお知らせします・・・じつは私、ある人とお付き合いをしています。彼は、高校の同級生で、もう大学の時には付き合っていました。今は研修医だけど、一人前になったら結婚しようとまで言ってくれました。いずれ、その時が来たら、私は、彼の気持ちを受け入れようと思っています。だから、ごめんなさい。洋一さんの気持ちに応えられません・・・」
「あっ、いえ・・・はい、分かりました。こちらこそ無理言って済みませんでした。付き合っておられる男性がいらっしゃるとは知らず、俺、馬鹿ですね」
そう言うと、ステーキにナイフを入れて食べた。美味しいはずのステーキの味が全く伝わってこない。気まずさと愕然とした気持ちで、ひたすら食べ続けるしかなかった。彼女も気まずさを紛らすように、ひたすら食べ続けた。
別れ際に、ぼくは正直な気持ちを伝えようと思った。
「これからも遺骨収集活動の時、会えますよね」
「勿論です。私はずーっと続けようと思っていますから」
「御免。ぼくは、今すぐみゆきさんへの想いを精算することはできません。しばらくはあきらめきれないと思います。遺骨収集活動の時は、大学時代の友人として、笑顔で接して貰えますか」
「はい。勿論です。きっと洋一さんには、私よりもっと素敵な人が現れますよ。その時は私にも祝福させて下さい」
 みゆきと別れた。何だか二重にふられた気分だ。
「あなたは、所詮本土の人だから、沖縄を裏切っていくでしょ」と言ったみゆきの言葉が、ぐさっとぼくの心に突き刺さった。それにしても、結婚を考えるような相手がいたとは・・・そこまで考えていなかった。徹底的な失恋。
居酒屋に寄って、朝方までひとり酒に浸った。

 

 (今回も最後までお読み下さり、ほんとうにありがとうございました。生田魅音)