門出の謝意と決意

 

 卒論のめどが立ったある日、「合同コンパをしよう」と史学科の幹事が言い出した。
「史学科のみなさん、七時から、会場は国際通りのピッコロです。遅れないように気をつけて来てください」
卒論制作の息苦しさから解放され、久しぶりに羽目が外せるとあって、連中の笑顔が輝いた。合コンの相手は、圧倒的な女性数の教育学科。男どもの多い史学科には、持って来いの相手である。
「ちょうど飲みたいと思っていたから、嬉しい。大いに騒ぎましょう」
「卒業前の思い出になるね」
「洋一、絶対彼女つくろうぜ」
「よし、一番の美人を俺がかっさらったぜ」
ぼくらは勝手なことを言いながら、合コンに期待した。
 キャンパスの在る丘を下りて寮に帰る途中、ふと明子の顔が脳裏に浮かんできた。

最近は、明子への懺悔の気持ちが薄らいでいたことを反省した。

トリホリで出逢った頃の事を思いだした。飲んで語らい愛を交わした思い出が、ずいぶん遠くに感じられる。そして、海でのバカンス。ぼくたちの『青春』が空と海の青に染まったあの時。

そして、辛くて思い出したくはない明子の死・・・

もう今は振り切って前に進むしかない。思い出は胸の中の箱に大切にしまっておこう。

それより先立つのは、卒論を完成させ、卒業に必要な単位を修めること。

そして、就職試験に合格すること。

甘えは許されない。やるべき事をやれば、自ずと道は開けるはずだ。

寮に帰ると、就職試験の勉強に打ち込むぼく。
 ピッコロという店は、綺麗なホテルのようであった。合コン会場の入口で幹事が会費を集める。座席を決めるくじをひく。ぼくは、七つあるテーブルのうち、Bテーブルに座ることとなった。会場を見渡すと、大きな広間があった。訊いてみると、そこは社交ダンスをするホールとのこと。幸か不幸か、テーブルBには、片山、比嘉の史学科異色メンが着席。

間違いなく幸なのは、教育学科の超絶美女二人がBテーブルに御座りになられたこと。

瞬く間にぼくの目は、みゆき様に釘付けとなる。彼女は、キャンパスでも有名な美女。目立つ抜群のスタイル。いつも溌剌としてて、誰にでも優しい。みゆき様は、見かけるたびに気になる存在だった。でも、いつもと言って良いほど彼氏らしい男性と一緒であった。

片山のヤツも「ラッキー」と言って、即座にみゆきさんに御執心の様子である。

「ふられるのは時間の問題か・・・」と片山に向かって言ってやった。
 司会が開会を告げ、全員で乾杯をした。ぼくは華々しく一気飲み。威勢良き男の姿をみゆき様に魅せ付けてやった。自己紹介をし合うと、みゆき様の魅力がよりいっそう分かる。威勢の良かったのはここまで。あとは飲んだり食べたりするばかり。時折片山と談笑はするものの、肝心のみゆき様とは会話ができない。緊張ばっかりしてどうしようもない。マジで惚れたのかな・・・否、天国の明子に怒られてしまう・・・不埒な心を反省する。

そうこう思考していると、みゆき様が片山と手を繋ぎ、立ち上がるではないか。

「あれ、どうなった」と不思議がるぼく。ビールをがぶ飲み。
[そうか、二人は、社交ダンスをやるのか・・・]
残念な気持ちで、ホールに向かう二人を見送った。
組み合う二人。片山はみゆき様の肩と腰にそっと手をやり、みゆき様もそれに応じている。驚いた。二人は、ワルツやタンゴ、クイックステップまでこなしているではないか。みゆき様の楽しそうな笑顔が輝いている。ぼくは社交ダンスなぞやったことがない。考えてみると、野球以外特技といえるものはなし。「あーあ・・・」ため息ばかりのリフレイン。
「楽しかった。ありがとう」
みゆき様と片山が戻ってきた。二人は、すっかり意気投合している様子。笑い声。ビールの注ぎ合い。ステップの踏み方のレクチャー。ぼくは、仕方なしに、ビール瓶に手が伸びる。
「飲んでばかりいないで、洋一も踊っちゃえ」といきなり言う片山。
「よかったら踊りませんか」とぼくに声をかけてきたみゆき様。
すっかりあきらめていて、心の準備が出来ていなかった。
「あっ、ちょっとぼく踊れないので・・・」、
「せっかくのお誘いじゃないか」と片山が尻を叩く。みゆき様のお誘いを断れるはずもなく、ぼくは席を立った。みゆきさんと並んで広間に行くと、ちょうどチークダンスの曲がかかっていた。彼女から見つめられると、正直びびる。挙げ句、チークダンスも初めて。[しっかり踊るんだ]と言いきかせ、見よう見まねで彼女の手をつなぎ、左手は彼女の腰に回した。ぼくの肩にみゆきさんの手が置かれた。
「チークなので曲にあわせて右、左に揺れるだけでいいよ」とみゆき様が言ってくれた。
緊張していると、彼女が身を寄せてきて頬が触れる。
やばい、と思ったが、彼女は全然ためらっている様子はなく、ぼくをリードしてくれた。
やがて、一曲が終わった。
みゆき様は「ありがとうございました」と笑顔でぼくを見つめる。
「こちらこそ」と言うが、下手くそなぼくは呆れられただろうと思う。
[よし、切り替えて、みゆきさんともっと話をしよう]と思いながら席に戻った。何か話しかけようと思ったが、すかさず片山が彼女に話しかけ、応じてみゆきさんもおしゃべりを始めた。何やら卒論の指導教官の話。そしてまた社交ダンスをやりにホールに向かう二人。
[あーあ、社交ダンスなんて俺には向いてない]そう思いながら、時間だけが過ぎていった。
コンパが終わった。
結果、片山は相当おいしい思いをし、ぼくは、みゆきさんと会話はできず残念。
[まあ当然の結果]とぼくは割り切った。

ロビーのソファーに座ってみんなを待つ。

ホールのドアの隙間から、片山とみゆき様の談笑の声が聞こえてくる。
やっとロビーに出てきた片山は、けしからんことに「彼女の電話番号を訊きだした」と自慢しやがる。「やったー、俺、みゆきさんに電話しようっと」と嬉しそうにぼくに向かって当てつける。
「ちぇっ、すぐふられないことを祈ってます」と小声で片山に言い返してやった。
皆がロビーに集まると、幹事から、二次会の場所などのお知らせがあった。でも、ぼくは断った。飲み過ぎたし、酔った勢いで、明子との思い出に浸っていたいから、二次会には行かないことにした。
「ああ、これも思い出だね」と呟きながら、ピッコロをあとにした。
 ピッコロを出ると、国際通りは、若い男女で溢れかえっていた。たぶん通りゆく人たちも飲み会のあとだろう。その雑踏をかき分けて進み、楽しそうな笑い声や寄り添うふたり連れの姿を横目にしながら、ぼくは、久茂地川に架かる橋で立ち止まり、欄干に寄りかかった。
ふうーっ。ひと安心。ここなら誰にも邪魔されずに思い出に浸ることができる。
北西の夜風は爽やかで、心地よさを感じる。
決して綺麗ではない久茂地川の水は、きらきらしている。
明子との思い出が蘇ってきた。
正常な思考は消滅し、明子の部屋でのひとときを思い出してしまう。ああ・・・心も体も開き合い、多くを語らずとも気持ちが通じ合って結ばれていた。お互い気を遣うなんてことなかった。今になって思えば不思議・・・逢いたいなあ・・・もう明子のような女性に出逢うなんてこと、二度とないだろうなあ・・・明子もきっと天国でまた甘えたいと寂しがっているはずだ・・・
川面に浮かぶ明子をしっかり抱きしめる。
久茂地川の頼りない流れが、街の灯りに照らされて、ちりちりじりじりと眩しくなる。
いとしき明子の笑顔までも輝き出して、一面のイルミネーションとなる。
ぼくは、川面に向かって、静かに心を投げかける。明子に囁きかけてみた。
すると、天国の明子からメッセージが返ってきた。

 爽やかな夏空に響き渡るあなたの声
 朝凪のあとの波に二人の心輝かせ
 ケラマブルーを越え駆け抜ける風
 ときめきをくすぐるように優しい
 あなたの瞳を白い砂浜に映し出す
 溢れる涙も冷えた手も零れる愛も
 私はもうすべてを受け止められる
 あなたは夢に向かい歩いて欲しい
 どんな時もこの手を放さずにいて
 誓い合った未来でめぐりあいたい

 

 ついに、大学卒業の日がやってきた。
 一張羅のスーツに着替えながら、ぼくは、この四年間を振り返った。
抗い、虚勢を張った十八の門出。悪たれ小僧がのうのうと沖縄に御邪魔した。貴重な時間を擲って、賃金を得ることのみに没頭。他者意識が芽ばえたのは、異境沖縄が巨大な鏡となりて、心も体も映し出してくれたから。暴走は出来ず、収まるべき所に収まらされた。違和感を感じる自我こそ、次の解放へ向かう原動力となった。漂いながら摂理と精神を感じ得る日々。十九となれば失恋し、願望充足ではない愛するということの大切さを知った。親からの分離という成長も、愛されるから愛すことへの転換。さらに社会全体、自然万象を認知することが出来てくる。大学でいかに学ぶべきか。学問とは、体制につっかかっていき、問い続け行動すること。そこから己を見つめる。二十歳となれば、さらに大人とは何か葛藤した。責任と思いやり、思慮分別と行動力。この問題にステップアップするアプローチは、恋愛と飲酒という反面教師。思い出という名の時空に無駄ではない成果を見いだす。生きるかてさらに人生訓まで見いだす。二十一歳では、若者の死という問題にぶつかった。突然の恋人の死。思いも寄らぬ大きな事件。明子はもういない。どうしてだろう。明子が今生きていたらどうであろう。死んだらもうそこまでなのか・・・昔々の権力者が不老不死を求めてあらゆる手を使ったというのも、理由はそこかも知れない。悔いとか無念とかさだめ等の言葉では済まされない若者の死。若者は果てしのない人生の旅の初めの方に生きていると勘違いしていた。ぼくの中の永遠の課題となりそうだ。二十二歳の春。目標を持つべきと悟り、社会人になろうと思える。みんなのおかげ。ぼくなんかが生きていることが奇跡だと思える。歴史の大きなうねりの中に存在する己。人間は社会的存在であるが故、他人のために尽くすことを生きがいとせねばならない。信念を持って、誰かが喜んでくれるような事が出来る人になりたい。
二十二歳の別れ。社会人として学生寮を巣立つ。
ありがとう、相澤先輩、沙織さん、バイトで出逢った人たち、寮のおじさん・おばさん、田代に藤本、直人に寮の諸君。片岡やゼミのみんな。先生。そして、明子。
みんな、みんな、ありがとう。
ぼくは、沖縄の有名な旅行会社に就職が決まっていた。
仕事に打ち込み、これからの人生を、この沖縄にかけてみようと決意した。  

 

 (前半の部分の掲載終了。次回から物語の後半です。お楽しみに・・・)

  今回も最後までお読み下さって、ありがとうございました。     生田魅音