(前回からの続き。一部割愛して掲載中です。最後までお読みください)

 

実際、普天間や嘉手納に住んでいる人たちは、基地問題をどう捉えておられるのだろうか。

本音を聞いてみたい。教授に相談し、宜野湾市の基地対策課に電話で問い合わせてみた。聞き取りの趣旨と自分の思いを話してみると、
「承知しました。では、玉城さんという方を紹介したいと思いますが、いかがでしょうか。玉城さんは、米兵による女性暴行事件やコザ騒動に詳しいですよ」と紹介して頂いた。

さっそく、玉城さんに連絡すると、今度の木曜日の夕方ならば良いとの返事。
 約束の木曜日、大学の講義を終え、急いで玉城さん宅に向かった。

おそるおそる呼び鈴を鳴らす。

だが、ドアの開く気配はない。

「こんにちは、琉大の学生ですが・・・」と声を上げるが返事がない。

御留守かと思えば、裏の方で物音がした。行ってみると、家庭菜園に男性の姿が。

「こんにちは、すみません。琉大の学生です、お話を・・・」と言うと、

「ああ、上がって」とぶっきらぼうに言われる。

家の中に入り、居間で待つように言われた。出されたお茶を飲み、話を切り出そうと思うが、緊張して言い出せない。視線を上げると、玉城さんがため息をひとつ。
「わーも辛いんだよ。話すことに抵抗がある。レイプ事件を数年来取材してきたが、やーに話せるような事は何もない」
「あっ、すみません、確かに被害者の御気持ちを考えると・・・」
「やーは学生か」
「はい、そうです」
「事実から目をそらすわけにはいかん。それは分かっている。だが、被害者や遺族の力になることは難しい。男の立場から被害女性の心理を言うことは無理だし、無責任」
「あ、はい・・・」
「これまで米軍による強姦事件の取材を続けてきた。ひと口に婦女暴行事件と言っても、いろんなケースがある」

「ぼくは、いろいろ本を集めて調べてみたのですが、具体的なケースが書かれているものはなかったので・・・」

「米兵七~八人から回されて輪姦された事件や、人気のないところに連れ込まれて強姦されたあげく殺された事件とか、命は助かっても妊娠してしまった女の子の事件など言えるのはそこまで。本人や御遺族の心情を考慮すれば、具体的なことは言えない」
「・・・・」
「とにかく在沖米兵によるレイプ事件のむごたらしさは、度を越している。もう無茶苦茶だ。そのことは、やーも分かっていると思う。ただ、その原因・背景にあるものは、やーは、何だと思うか」
「やっぱり戦争という限界状況に置かれて、兵士たちが精神的に追い込まれた結果でしょうか」
「さすが、そうなんだよ。野蛮な性欲とかそういう問題ばかりではない。米兵はそもそも遠方の極東基地沖縄に送られて、嫌でも朝鮮戦争やベトナム戦争に狩り出される。いつ出撃か、やれ突撃か、毎日死と隣り合わせさ。仲間が死ぬのを目の当たりにし、精神がおかしくなった兵士もいる。その上、彼らからすると、わったぁ弱小のアジア人だよ。人間とは思っていない。何やってもいいし、許されると最初から思っている。その醜い心の矛先が、か弱い沖縄の女性に向けられたんだ。人として決して許される行為ではない。女性や家族の心の傷は永遠に残る。寄り添おうにも自分の力は遠く及ばずだ」
「朝鮮戦争やベトナム戦争では、沖縄の基地がフル活用されていましたよね。その際、基地に配属された兵に対するモラル教育などはなかったんでしょうか」
「ないない。そんな教育どころか、犯罪を犯しても無罪だと、やつらには暗黙の了解があった。戦勝国意識まるだし。とりあえず裁判は形だけしてあとは無罪放免。それが欲望の歯止めをなくし、米兵による、戦争よりもっと酷いこと、レイプが行われてきた。非日常的暴力行為をしてみたい、その愚心の表れだ」
「酷いですね・・・」
「結局、戦争というものは、人間性をも奪ってしまう。それだけは、やーに知ってもらいたい。土地財産、資源から人命まで奪うのを目的に出撃し、結果、自らの人間性をも変えられてしまうんだ。終戦ではない。戦争は基地のある沖縄ではまだ続いているということだ」
「分かりました、仰ったこと肝に銘じます」
「他に何か訊きたいことは」
「コザ騒動って、具体的にどういうことだったのですか」
「ああ。わーもコザ暴動に加わった者の一人として、今も良く覚えているさ。まあ、長くなるから、メモしながら聞いたらいいよ」
玉城さんに言われて、ぼくは、メモ帳とシャープペンシルを取り出した。
「本土復帰の二年ぐらい前だった。年末の夜中、そこの胡屋十字路から二百メートルぐらいの所で、酒に酔った男が飛び出して、米兵の運転する乗用車にはねられたんだよ。幸い、その人はかすり傷ぐらいで済んだらしい。だが、MPが事故現場にやって来て、被害者よりも加害者をかばうようなことをするわけ。重ねて、この事故の少し前に糸満で、米軍軍曹が泥酔運転をして、歩いていたおばあを死亡させる事故を起こした。それに対して、アメリカ軍事裁判は、証拠不十分により被疑者を無罪とした。これまでの米兵による強姦殺人事件もすべて無罪放免だろ。そんな馬鹿なことが許されるかって、みんな怒り心頭さ」
「滅茶苦茶ですね。無罪ですか、交通事故も強姦殺人も・・・」
「ああ、そうさ。だからもう、わったぁ近くに住んでいる者は、次々に飛び出してきて、怒りの輪に加わっていった。沖縄人をなめるなーと、MPと事故の加害者を囲んだんだよ。勝手なことをするな、加害者を引き渡せ、沖縄人の命を何と思ってるのかって、言い寄った。そうしたら、もみ合いになってね。さらに近くでもう一件、米兵による交通事故が発生してね。もうわざと米軍が事故を起こしているようにしか見えない。わったぁは、MPや事故車の運転手に対して厳しく追及したわけよ。そしたら、MPは威嚇発砲をしてきた。もう、怒りで全身が震えたね。そして、あとからあとから人が家や店から出てきて、大騒ぎになった。ざっと三千人は出て来ていた。みんな今までの怒りを爆発させ殴りかかっていった。今思うと、冷静さを失っていたけれど、やっぱり沖縄人として、これ以上アメリカになめられたらいかん、という気持ちが先走ってね。アメリカの軍人たちの乗っている車を停めて、運転手を引きずり出したり、車に火をつけたりした」
「そのお気持ち、良く分かります。ぼくもその場に居たら、殴りかかっていったと思います」
「それで、もう怒りの矛先が、アメリカ言いなりの交番などにも向かっていって、石を投げたり火を付けたりした。最後は、嘉手納基地の第二ゲートに突撃して、基地内に入ったわけよ。近くの物や建物にも、火を付けたり、なぎ倒したりして、もう見境がなくなった。米軍は、催涙ガスを使用してきて、わったぁの侵入を抑えた。しばらく抵抗していたけれど、空が白々明るくなってきてね。次第とみんな家に帰っていったさ。その後、わったあ何人か警察に逮捕されたが、証拠不十分で釈放されて戻ってきたよ。まあ、そんな破壊行為や放火は良くないことだが、それ以上の酷いことをアメリカはしてきたわけだからね。わったぁは、怒りを突きつけて当然だと今でも思っている」
玉城さんは、優しく誇り高く説明してくださった。
「勉強になりました。でも、コザ騒動って、今は余り語られませんね。ぼくは、今、玉城さんから聞いて、初めて詳しいことを知りました」
「そうだね。もうあれから十年以上経つからね。忘れたいんだよ、みんな。いつまでも暴動ばっかりじゃやっていけんさ。生活が成り立たん。あの時の怒りを忘れて、今は大人しく、仕事や家族孝行に精を出しているんだよ」
「でも、このコザ騒動、今の若者達に伝えるべきでは・・・」
「そう思う。コザ騒動の原動力は、思想や政治とは無関係の、もう黙っとられん何とか変えんといかん、という怒りだけだった。誰もが自分の意志で決めた行動だったことに意義がある。騒動した者がこんなこと言うのも何だが、あの騒動のあと、少しはアメリカも大人しくなったんじゃないか。彼らに犯罪防止意識が少しは出てきたんじゃないか。そのことは沖縄人の誇りとして、若い人たちにも知ってほしいさ。じつはあの時、飲食店で米兵相手に商売をしていた連中も、騒動に参加してきたからね。米兵あっての商売をしてきた連中のあの時の形相は、もの凄かったよ。それは『沖縄人もアメリカ人も同じ人間だ』という強烈なメッセージになったと思うさ」
「まだまだ、日米地位協定のせいで、沖縄の米軍人の犯罪は、本国の司法でやって、無罪放免ばっかりですよね。日本政府は、どうして弱腰なんですか」
「それ。それが最大の基地問題だと思うよ。やっぱり、切り離されてしまうんだよ、沖縄は。本土復帰、日本復帰って、一体何だったんかと腹が立つ。沖縄に米軍基地を押しつける、それが目的かって言いたくなるさ。沖縄で米兵の犯罪が起きても、なーんかよそ事でさ。そして、そんな政府のやり方に本土側の人間は、何ひとつ意見を言わない。此処だけではない。金武町や辺野古でも、基地の存在をどう受け止めてよいのか分からん人たちが、日々苦悩し格闘している。ヤマトンチュは我々のそんな苦労と苦悩を分かっていないだろ。沖縄に米軍基地を集中させて、ああ助かった、ひと安心ってとこだろ。そして、アメリカに媚びを売って日本を守ってもらって、のうのうと暮らしたい。そのためには沖縄はどうなってもいい。それがヤマトンチュの本音だろ」
玉城さんの言われることに唖然としながらも、まさに正論で、ぼくには返す言葉がなかった。
「でも、やーは別みたいさー。本気で聞いているからね。それがよく伝わってきたよ。話して良かったと思っているさ」
「ありがとうございます、玉城さんの御話しを卒論を組み入れたいと思います」
「そうか、ああそう言えば、コザ騒動の時一緒に戦ったスナックのママがいるさ。長年の知り合いだから、きっとやーに伝えたい話をしてくれるはずだ。電話して訊いてみようか」
「是非お願いします」
玉城さんは知り合いの女性の方に電話してくれた。
「運よく、ママが話せることは話すと言ってくれた。良かったな。地図を書くから、来週の月曜日の夕方行ってみるといい。昔、ここの近くの八重島でスナックやっていた人でね。でもそれだけでは食っていけなくて、米兵相手に体を売ることもしていた。そのママを紹介するから。でも、デリケートな問題だからさ、あんまりママに無理言うなよ。今から家に行けば、やーが知りたいこと、話してくれると思う」
「分かりました、その方のお宅に伺いたいと思います。本日は、貴重な話をして頂き、ありがとうございました。ご丁寧にありがとうございました」
「まあ、大学の勉強も頑張ってください。お疲れさん」
玉城さんは、爽やかな声で、ぼくを見送ってくださった。

 

 (今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました)

                         生田 魅音