(前回 Part11の続きです。最後までお読み下さると嬉しいです)

 

 次の土曜日、私の計画に従って、泊港から高速船に乗った。彼は、船に乗るのは小学生以来だとはりきっていた。ウキウキワクワクしながら、客席へ。じっと出来ず、連れだってデッキに出ると、波が高く揺れが大きい。ゴミの浮かんだ港から次第に離れて、青の強い海原へと突き進む。これからのスケジュールを確かめながら、高く打ち付ける波飛沫を身体に浴びて、寄り添いを愉しむ。船首が切り裂く海面。波は流暢にすいすいと白を描く。海鳥は案内人の如く船に行き先を知らせる。見つめ合う二人に呼びかけるよう。
 あっという間に、渡嘉敷港に着いた。船を降りて、すぐにこの島の山深いことに驚かされる。緑の衣をたっぷりまとった山々。養われ培われてきたケラマブルー。あっけらかんと自然の雄大さを魅せ付ける。山は山として、海は海として、空は空として、生き物を育む。ありがとう、渡嘉敷島さん。朝になれば、一斉に生き物たちが息を吐き出す。昼が来ても、夜が来ても、島は泰然自若として微笑む。展望台から見える沖縄本島、久米島、渡名喜島、粟国島・・・それら島々が、海の上の点々として繋がっている。おおお、ケラマブルーに包まれた山の緑は、深い。あまりにも深い。連なり、隙間のない、讃え。海面の乱反射が、それらを超絶賛美する。
「すごい景色だあ」と彼が大きな声で叫ぶから、
「ビューティホー」と私も共感して叫んだ。
それで充分。もう言葉はいらない。自然に応接し畏敬の念を抱く。気持ちの良い風に吹かれながら、高台からの景色を満喫した二人。「時間だ、下りようか」と彼が言う。頷いて歩いて行く。予約していた民宿のマイクロバスに乗って、阿覇連ビーチに向かった。車窓から見える海の美しさに、乗客全員が度肝を抜かれた。様々な群青色が太陽の光に輝いて、夢の世界に来たと勘違いさせる。私たちを珊瑚礁に彩られた竜宮城へ誘うのだ。

 

 

 

 バスを降りると、さわさわさわ、ざわざわ、波の音が賑やかすぎる。

二人手を繋ぎ並んで、阿覇連の浜をゆく。きょろきょろして渚を見渡す。細かい白い砂に釘付け。まさかこの粒が珊瑚だったなんて。小さすぎる粒は、真珠のように白くて眩しい。私は、両手一杯掬った砂を、空に向けて思いっきり放ってみた。すると、彼の顔にさあっと砂が降りかかった。痛そうに目をつむり、彼の顔がゆがむ。思わず笑ってしまう。彼は怒らず私の手を引いて浅瀬に。透明な海水は底までよく通す。こちょこちょと足元がこそばゆい。「あっ、さかな」と私は声を出した。見ると、熱帯魚の群。「おっ、チョウチョウオだ、すごい」と彼が言う。チョウチョウオの顔は白黒の縦縞、ボディーは黄色と白のコントラスト。熱帯魚の王道をゆく魚。
「こんな浅い所にいるなんて」と私は不思議に思った。口をとんがらせ、ちくちくっと足の皮を噛んでくる。「おい、こら」と言うけど、もぞもぞする感触は気持ちがいい。
「わっ、エンゼルフィッシュだ」とすぐに驚く私。まさか・・・姿を確認しよう足元を見るけれど、その姿はなくなっていた。考える暇もなく次々に足元に押し寄せる熱帯魚たち。ボディーは小さいけれど、態度はでっかい。彩の美しさに許してしまう癒しのひととき。
「この魚たち、ぼくたちを祝福してくれているんだよ」
「ハイサイ! チューガナビラ! 明子ヤイビーン!」
「ハッピー、イッツショータイム! サンゴショー、サカナショー、アキコにコショー、そしてバンザイサンショー」
「あぎじゃびよー、だーる」
「あの魚、昼間っから酔っ払ったみたいに踊り狂って、いいあんべー!」
「だからよー、エンゼルフィッシュ どこいったかー」
「ハーイ! シュノーケルはきちんと付けましょうね!」
「あいや しに にり (もお、とっても面倒くさい)」
「ライフジャケットは、びしっときまったね」
「ほれ、ちんすこう・・・いっぺーまーさん、あーん」
「うえっ、喉がチーチーカーカーするさー、ビールはどこやっさ」
「うり、ビール ひじゅるこーこー まーさんどー」
「見て!髪カンプーしたさ・・・ あいっ、でーじ、わー 呼吸の仕方わからんさー」
「なんくるないさ、 口だけの呼吸法を練習すればいいさ」
「ああ もう あわてはーてぃーしてさ、マスクが曇って水が入ったさ」
「息を吐くことを意識して!」
「あっが! シュノーケルであご打ったさー わじわじー」
「いらいらしないで、練習あるのみ。さあ、明子、やってみて」
私は、シュノーケルでの呼吸法を少し陸地で練習した。躊躇していても仕方がないから、浅瀬で潜ってやってみた。そっと目を開けてみると、底にある岩が見え、透明な海水がよく分かる。でも息がうまくできないから、すぐに起き上がり足を着く。彼の激励を受け、何回も呼吸の仕方にチャレンジする。慣れてきた、おお、出来た、出来た。「よし、大丈夫」と彼が太鼓判を押してくれた。思い切って少し深いところに行って潜ってみた。
「おおお、すごーい。珊瑚礁だ、珊瑚礁が見える。ほんと、海中のお花畑だよ。魚がいっぱい居て賑やかすぎるさー」
海底に珊瑚礁が見えた勢いで、目線を遠くにやる。すると、何とウミガメが。悠々とウミガメが泳いでいるではないか。
うわっ、びっくりした。まじで、こんな近くにウミガメがいるんだね・・・
「おーい、ウミガメさん・・・」
私はウミガメに手を振った。ウミガメは、ゆっくりゆっくり両足をオールのように櫂いで泳いでいる。大きな甲羅、堂々とした風貌。
「ウミガメさん、目がとっても可愛い。幸せそうな顔をして」
あのウミガメ、ひょっとしたら竜宮城から来たのかしら、と私は思った。ウミガメはすいすいしっぽを向けて遠ざかっていった。

「さようなら」とウミガメに別れを告げ、いったん海面に顔を出し、潜り直した。

 

 

 再びさっきの珊瑚礁に近寄ってみる。すると珊瑚礁のくぼみに出たり入ったりする、オレンジ色の姿が見えた。
「わっわっ。あれは見たことのある魚だよ。ああ、子どもの頃、友だちが水槽で飼っていた魚だったか」と驚きと興奮を隠せぬまま近寄って見た。小さく細長い体。オレンジ色。サンゴ礁の間に間に・・・あいや、思い出した。あれは、カクレクマノミだ。たぶんイソギンチャクが捕らえた小さな魚のおこぼれを狙っているのだろう。綺麗、かわいい。嬉しい。憧れの魚をここで見ることが出来るなんて・・・
カクレクマノミに逢えて、ときめく胸。息が苦しくなったので、再び潜り直す。すると、カクレクマノミの姿は見当たらず。珊瑚礁に隠れたみたい。がっかりする暇なく、今度は、身体が透明なのに、きらきらと舞う白い雪のように見える魚の大群が見えた。おおーっ、すごい! 珊瑚礁の色とりどりに見事に映える銀色の魚群。全体がまるでひとつの生き物のように、すっと動いて目まぐるしい。統一された美しさ。ひとつのままシュッと素早い。
「水族館でも見られんさー すごいワンチーム」
銀色の魚群に誘われて、深く潜った。流動を共にしようとするが近づけない。速すぎる。
「さてと。洋一は、どうしているのかな・・・」
潜るのをやめて、岸に上がってみた。彼はいない。きっと、フィンを着け、悠々と潜っているのだろう。彼もウミガメに逢えたのかな・・・しばらく浅瀬に座って彼が戻ってくるのを待った。亜熱帯の植物の葉の勢いをぼんやり見ている。細くて長い葉は隙間なく茂って、青の世界に深い緑を自慢している。なめらかで艶のある表面。そっと触れると「さわるな」と弾いてくる。
ふんわり南風は
心に柔らかく吹き抜けて
白い砂もさざめく
つられる波動のメロディー
二人を誘い出すよ
どよめく高気圧圏に光輪輝き
たたずむ乙女の黒髪揺れて
指をかざす虹のアーチ
くちづけの夏の匂い
おおお 永遠のやすらぎとなれ・・・

 

ようやく彼が戻ってきた。
「お待たせ、行こうか・・・」と支度する。民宿のバスに乗って、今晩の宿に到着した。渡嘉志久ビーチの民宿。古びた木造の民宿に入り、荷物を置いて、二階からの眺めを楽しむ。こんもりした緑を讃えた山々。コバルトブルーが穏やかに包まれている。白い砂浜には、人の歓声が。その景を陽光が輝かせる。シャワーを浴びて着替える。さっぱりしたところで、二人揃って渡嘉志久の浜へ。近くの集落を通る。軽装であっても、汗が噴き出る。
 夏陽炎。めまいを起こしそうな日差し。おじいが黙々と漁網を片付けておられる。赤銅色の腕に目が奪われる。小屋に入り、炭と金網を持って来られた。真剣なまなざし。夕食の準備と分かり民宿の方だと気づく。私たちは、会釈をして話しかけた。
「渡嘉敷島に初めて来ました。海の美しさが全然違いますね」と彼が笑顔で切り出した。
「さっき、ウミガメが泳いでる姿を見ました。とてもドキドキしました」と私も笑顔で話しかけた。でも、おじいは、無表情をくずさず手を休めることはない。
「此処のビーチは春にウミガメが産卵に来る。夏場はあまり見られんのだが・・・」
「そうですよね、とってもラッキー・・・」
私の笑顔を遮るようにおじいの顔が曇った。
「この近くに集団自決の地がある。わったあ島んちゅや、沖縄戦で半数が集団自決さ。米軍は上陸してすぐ猛攻撃だよ。抵抗はかなわぬ、逃げることもできぬと、ほとんどの住民が自決を決めた。アメリカーの爆弾に当たって死ぬより、自分たちの手榴弾で死んだほうが偉い死に方だと皆信じていた。ただ祖国の勝利を願って笑って死んでいった。三百十五名だよ。ああ、考えただけでも涙が出てくる。家族や仲間が死んでさ。わーは、わらばーだったから、生かしてもらえたんだよ」
「おじさん、すみません・・・」
「亡くなった人たちの尊い魂が、今、ウミガメとして生まれ変わって出ている。平和の守り神さ。渡嘉志久で人間の業を見張っているのだ」
「すみません、ラッキーだなんて言って・・・」私は申し訳なくて、泣き出してしまった。彼はそっと肩を抱いてくれた。
「いいさ。若い観光客に少しでも戦争のことを知ってほしいと思って話したわけさ。今はこんなに自然が蘇り、人の往来も自由だが、当時の惨状を考えてもらいたい」
下を向き、おじいの話をじっと聞いた。集団自決をされた方々の瞬間の想いに触れようとする。ああ、私は、自分の事しか考えていなかった。この豊かな自然も多くの人たちの苦労の上に復活を遂げていたことに気づかされた。

 

 

 夕食は、おじいが用意してくれたバーベキューをいただいた。彼とおじいとビールケースに腰掛けて、落陽を見ながら食べた。美味な魚介、島野菜に舌鼓を打つ。贅沢三昧の私たち・・・生きていていいのか・・・とさえ思えてくる。
「ごちそうさまでした」
「ああ、気をつけて行ってらっしょい」
「ありがとうございました」
私たちはおじいと別れて、渡嘉志久ビーチへと歩いていった。
 浩蕩たる渡嘉志久の浜に、迫る夕闇。さすがの白い砂浜も、だんだんと薄い黒に染まってゆく。残映は佳境に達し、暮色蒼然。私たちは並んで砂浜に腰を下ろし、うす暗さに身を寄せ合う。 ザーッ、ザーッ・・・ 寄せては返す波が、ひたすら白砂を洗っている。渚から空へ。偉観を遠望すると時間の長さを感じる。ビーチに溢れていた歓声が、嘘のように静まりかえってしまった。この静けさは、お互いの心を見つめ合う時間にふさわしい。私は、何かきっかけがあるまで、絶対にしゃべらない。寄り添っている感触のみで、彼の想いを受け止め、愛の深さを確かめよう。彼も私と同じ事を考えているはず。黙って遠浅を見つめ、私の軀を抱き寄せる。愛おしい彼の鼓動が、じんわりと伝わる。私も、愛の鼓動を心から放った。無言のやりとりは、暗闇が覆い尽くしたことさえ気づかせない。ピカ・・・突然、目に飛び込んできた光るもの・・・あっ、一番星だ。瞬きは少なく、しっかりと夕闇に輝いている。
「明るい。あの星の輝きは立派だね」
私は一番星に向かって呟いた。彼も一番星に囁いた。
「木星か火星かな・・・光に惑いがない」
かすかな星の光がさざ波を呼び起こす。波の綾は、私たちを優しくいざなう。笑い声のように幸せを呼ぶ。つられて私たちは足を伸ばし思いっきり躰も伸ばした。渚に仰向けになって、暗くなっていく空をじっくり観た。静寂の中にいる私たち。空が暗くなればなるほど、星の数が増す。それぞれが輝きを増してくる。後から後から負けじと他の星の輝きに割り込んでくる。輝きは、どんどん賑やかさへと変わっていった。ついに、無数の星が渡嘉敷の夜空を占拠してしまった。
「うわあっ、すごい。綺麗ねえ」
「こんなに星ってあるんだ。生まれて始めて観る天の川」
「星が襲ってくるようで、恐い。ねえ、今、何座が見えてるの」
「さそり座があっちに見えるはずだよ」
彼が指さす方を見るが、星の数が多すぎて、さそりの形が全く分からない。
「星が多すぎて・・・ここに居る私を見てと星も言っているようさ」
星々の自己主張を大気は知っていて、遮ることはしない。輝きめいて、私たちを祝福してくれているのだ。地球で一番大切な人といつまでも過ごせるようにと。そうか、星の王子さま。私のことを受け止めてくれて、愛してくれるお星さま・・・そう思った時、彼が繋いでいる手をぎゅっと握ってきた。夢ではない。
「ああ、嬉しい。幸せ」と言うと、彼は私を抱きしめ、キスをしてくれた。嬉しさが込み上げてきて、涙が頬を伝わって落ちた。いつまでもこうしていたい・・・輝く星たち、穏やかな波は、二人の愛の育みをいつまでもそっとしておいてくれた。
 陽射しがまばゆい。渚でいつの間にか眠っていた私たち。起き上がり、寝ぼけ眼をこすった。手を繋いで渚を歩き出す。振り返って見ると、渚は三日月の形をしている。幻想的な星天井に代わって、朝は浜の三日月が二人をいざなう。海風を感じると、一期一会の水天一碧。見渡す限りの青。ケラマブルーが鮮やかに輝きだした。見直すと、陽光は、海底まで届いてきらきらしている。歩きながら彼の体に凭れ、幸せを噛み締めた。でも、時間は止まってはくれない。民宿に戻り、朝食をいただいて、シャワーを浴び、帰り支度を始めた。
「あーあ、時間か、那覇に帰りたくないね」
「本当に名残惜しいね、渡嘉敷島に来て良かった」
渡嘉敷島に「また来るね」と別れを告げ、二人帰りの船に乗りこんだ。私たちは、帰りの高速船でも、ずっと愛を確かめ合っていた。永遠の思い出。

 

    ありがとうございました・・・

    今回はここまで。