(前回のつづきから・・・)

 

 スナックあけぼのをやめた。講義と読書に充分打ち込むことができる日々。

地道に講義に出て教養を身につけようと寮を出る。

龍潭池の脇を通る。何かを語り合う若い男女の姿がほとりに在る。女性の長い黒髪が池の表面に映っていた。そして琉大グランドへ。

全国優勝を成し遂げたソフトボール部が練習に励んでいた。グランドの向こうに存する観客席のような石段。あの石段は沖縄戦の戦禍を免れて残ったのであろうか・・・

さらに行くと戦争で破壊された円覚寺が復元され静かな佇まいを見せている。その向こうに弁財天堂が。航海安全の神弁財天は女性の神様とか。円鑑池へ渡る天女橋の蓮の彫り物が思い出される。これら琉球王国時代の史跡が、いつの間に見慣れた光景となっていた。

キャンパスのある丘に登ってゆく。立看と貼り紙が目に飛び込んでくる。角張った文字で政権打倒の文字が。いろいろな想いを持ってつくられた琉大首里キャンパス。そして悲惨な過去を糾弾し現状を変え未来を創造しようと燃える学生たち。その熱き想いを少しでも受け止めてしっかり学ぼう。此処で学ばせて頂ける有り難さをしみじみ思う今日この頃。一般教養から専攻へ。いよいよ腰を据え大学生らしい学びの姿へ。教授から学び調べてレポートをしゼミで意見を交換する。少し大人になったと自分で感じる。
 高等学校教諭二級免許を取得しようと必要な単位を取る事に決めた。教育学・心理学の関連から社会科の教員になる専門科を受講する。その中で、忘れられない出逢いがあった。福祉特殊講義の授業。沖縄育成福祉会の方々が我々受講者のために琉大まで来て下さったのだ。ぼくはその時初めて障がいのある方と向き合った。知的障がいの方三名は、ぼくらと同じ二十代。ひとり一人、これまでの経験と将来の夢を語られた。近所の大人から辛く当たられた出来事、「どうせ出来ないだろ」と突き放した言い方をされたこと・・・狭い座敷牢に長年閉じ込められてきた歴史があること。ほとんど外に出られず家の中で過ごすように仕向けてきた差別の実態を語られた。施設長さんの話では、沖縄では法的制度はなく、行政の意識は低く、施設も非常に少ないとのこと。健常者と障害者が触れ合う機会はなく、無知から誤解が生じ差別的な目と言葉が注がれる現状を何とかせねば、と我々に訴えられた。沖縄では、サトウキビ畑の労働やチラシ広告を新聞に挟み込む作業などはあるが、障がい者を雇い入れる環境は非常に厳しいと。自立に向けての道は周りの健常者の意識と行動に掛かっていると仰った。沖縄ではユイマール精神・助け合いの心があるので、本土ほど酷い差別は少ないと言われたが、確かにぼく自身、これまで障がい者の住みやすく生きやすい社会にするために何が必要かなど全く考えてこなかった。健常者と障がい者の間にある大きな壁。バリアフリー社会の実現。この大きな社会問題をぼくは初めて知るに及んだ。この問題に日々取り組んでおられる方々に出逢い、己の無知の知を知ることとなった。寮に戻り、机に座ってひとり考えれば、スナックあけぼのの石井さんや明子のことが浮かんでくる。自分の弱さをさらけ出せる強さというものを二人から学んだように思う。大人になるということは自分の感情に振り回されず、相手のこと、背景にある事情を捉えて思いやることだと気づかされる。優しさとか責任感とかリーダーシップなるものは、結局、共生の心がなければだめなんだと分かってきた。それもまた沖縄育成福祉会の方々との出逢いで掴めたと思う。
 パスカルの[人間は考える葦である]が心の中に重なって出てくる。己のことをよく知っている葦は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境に耐え、やがてまた元のように体を起こして立ち上がる。人間は葦のようにいかなる運命にも暴威にも屈しない力を持っているはずだ。さらに人間は、葦以上に考えることができ、賢明ですばらしい生物であるはずだ。だが、日常は仕事に追われ金に追われて、全く余裕が無い。生まれや環境に恨みを持ったり、地位や名誉に固執し、人を犠牲にして欲を満たすことばかりになってしまう。葦との大きな違いは、人間には限りない欲望が在ること。欲望を満たすことで得られる満足感は、心の美しさとは全く無縁となる。そこには、思いやりや愛情はまず無い。

欲望を振り払いしなやかに生きる教え[まくとぅそーけ なんくるないさー」という言葉がさらに重なってきた。史学科の比嘉という男から教わったこと。琉球王国時代は薩摩から属国扱いされ年貢を納めなければならない。中国にそのことがばれたら、戦争になるかも知れない。結果的に両属として振る舞う道を選択した。その後、明治政府の軍隊が沖縄に入り琉球王国は強制的に沖縄県にさせられた。さらに、沖縄戦、アメリカ統治、現在の基地問題・・・続く苦難の道。痛めつけられ辛酸をなめさせられて来た沖縄の人々が生み出した言葉がこの[まくとぅそーけ なんくるないさー]。「正しいことをしていれば、いつかはなんとかなるさ」という意味。耐えがたい苦難と苦悩の日々。激変、差別、略奪殺人、戦争に繰り返し襲われてきた沖縄の人々。激しい怒りに体が打ち震える日もあっただろう。恐怖におびえ心が病んでしまうこともあったであろう。家族が亡くなり辛く悲しい日々もあっただろう。心がすさんで暴れ出したい気持ち・・・でも、沖縄の人々は、恐ろしく激しい歴史の荒波をやんわりと受け止めて来られた。しなやかに受け入れやがて平然と落ち着いて日常を過ごされてきた。その強さ、逞しさは、驚愕に値する。理屈ではない本物の心の美しさ。これこそ、ぼくが身につけるべきことではないか。
 ちょっと前、ぼくは、ナイチャー・ヤマトンチュと言われることへの抵抗・反発を田代・藤本にぶつけた。しかしそれは沖縄の人々の想いを深く知ろうとせず、表面だけで反発していた自分の未熟さを露呈しただけのこと。しなやかに賢く逞しく生きることの大切さを、沖縄に生きて学んでいるのだ。

決してくじけず、人として正しいことをすれば、いつかいい日が来る。

しなやかに、優しさを持って、他人のために生きたい。
ここまでぼくに気づかせてくれた比嘉よ、有り難う。
さて、明日は、心理学のテストがある。勉強しなくっちゃ・・・
ああーっ、眠たい。ふああーっ、大あくび・・・
今日はもう考え疲れた。この辺で寝るとしよう。
「では、男子寮の天井を見ながら・・・おやすみなさい・・・」

 

 最後までお読み下さり、ありがとう御座いました。

 次回もこうご期待。

                          生田 魅音