(前回のつづきから・・・)

 

 明子との出逢い

 

「ほな、洋一はん、飲みに行きまっせ」
名曲を聴いてノリノリの勢いそのままに、藤本が立ち上がった。
「飲みに?ああ、でも、俺カネ持ってないし、外で飲んだことないから」
「そんなん気にせんといてやー。カネは俺が出すから、スナックに連れて行っちゃる」
藤本はさっさと部屋を片付けて、着替えを済ませた。ぼくも勢いに任せて外へ出た。
「トリホリだよ、トリホリ」と謎の言葉を発する藤本の後についてゆく。
「ちょっと寒くないか」と藤本が言う。
「ああ。珍しく肌寒いね」 

十一月末。本土では晩秋の紅葉を楽しんでいることだろう。

関東では木枯らし一号吹く頃。此処沖縄にも冬模様が感じられる。

ぼくは、生まれて初めて行く飲み屋に、不安と期待を持ちながら歩いた。

十五分ぐらい歩くと「着いた、着いた、ここや」と藤本が言う。

見ると、スナックトリホリ。

「そうか、トリホリって店の名前なんだ」と分かった。

でもスナックって怪しげな店では・・・と思うがここは藤本に委ねるしかない。

藤本が「こんばんは」とドアを開けたら「いらっしゃいませー」と中年の女性が威勢の良い声でぼくらを迎えてくれた。ママであろう女性の横には、若い女性が二人並んで立っている。店員さん三人のお店のようだ。店内を見渡すと、カウンター席が五つとボックス席が一つ。他の客はおらず、藤本が社長並みの態度で、さっさとボックス席に座った。
 藤本はこの店の常連らしく、ママと親しげに話をしている。ぼくは、ただ黙ってじっと座っていた。「この前のキープ出しますから」とママが持ってきたボトルを見ると、濁った緑色の瓶であった。高価な高級酒に見えた。瓶にライトが当たって、エメラルドグリーンに変わった。
「この酒スコッチや。スコッチウィスキーやで」
置かれた瓶をコンコンと指で鳴らし、藤本が気どっている。

水割りを作ってもらった直後、どーんと、ぼくの横にミニスカートの若い女性が座ってきた。
「おにーさん、初めてだよね」と女性が顔を近づけてくる。
「はい、初めてです。よろしく」これが明子との出会いだった。

ぼくには自分より少し年上に見えた。ふっくらしていて沖縄らしい顔立ちだと思えた。
「ようこそ、かんぱーい」と明子がグラスを上げたので、ぼくもあわてて「かんぱーい」とグラスを重ねた。明子はすぐに身を寄せてきて、
「かっこいいね、おにーさん。私、明子って言います」と自己紹介。
「洋一と言います」と軽く会釈し自己紹介。すると、明子はもう誘ってるような瞳をしている。無垢なぼくには刺激ある目つきだ。ぼくは、対応に困り、水割りをがぶりと口に含んだ。初めて飲むスコッチウィスキーは、意外にも爽やかな味がした。
「初めて飲むんだ?」と明子が言うから、
「うん、初めて。これ、一発で酔いそう」とぼくは平静を装った。

明子がクスッと笑った。お互いぎこちなかったが、次第と会話がはずんできた。意気投合した二人は、ぴったりと身体を寄せ合った。
「私、まだこのお店一ヶ月なの」
「そうですか。夜のお仕事は大変でしょう。頑張ってください」
「ちょっと、おにーさん、社交辞令なんか言って」
「すいません、ぼくもスナックは初めてなので、どういう話をしていいのか・・・」
「普通でいいよ、私にだけは気楽に話して」
明子はいろいろとアドバイスしてくれた。それから、お互いの出身地や趣味などを語り合った。彼女は、本(もと)部(ぶ)の出身とのこと。高校卒業後、那覇に出てきて、昼間の仕事をしていたが、その仕事が嫌になり辞めて、今はこのトリホリで働いてるとのこと。母と子一人の家庭で育ってきて、母は本部(もとぶ)に居るとのこと。
「私、早く結婚したくって。ずうっと花婿募集中で~す」
ぼくの顔をまじまじと見つめて言う。ぼくは、笑みを浮かべながら、水割りを飲んで間を置いた。結婚なんてまだ考えられる身分じゃない。それでも、真顔で答えた。
「うん、ぼくでよかったらどうぞ」
「本気にしちゃうぞ。冗談うまいね、おにーさん」
「そのおにーさんって言うのやめてほしいな。貴殿はぼくより歳上だよ」
「あははー、だって口癖だもん」
その時の彼女の顔が、ぼくには吹き抜ける青い風のように感じられた。気どっていないし、可愛らしい。酔いが回ったからか、彼女が好きになったようだ。

付き合おうかなあ・・・とまで思ってしまう。そこに、ママがカラオケのマイクを持ってきた。
「さあ、一曲どうぞ」と言われるので、ぼくは、ステージに立って十八番の曲を唄いまくった。藤本は、意外にも演歌を唄っていた。三曲も四曲も唄っていた。よく演歌を知っているな。ビートルズの次は演歌か・・・やっぱり器が違うなとぼくは思った。完全貸切状態の中で、ぼくらはさんざん三時間も歌っただろうか。

「蛙が鳴くからかーえろ」と藤本が言い出す。
「もう、帰っちゃうのー」と藤本に付いた女性が言うが、
「うん、ごめん。勘定を」と言ってその女性とハグをしている。それを見てぼくも、
「では、未来の花嫁さん、また来ます」と明子とハグした。
「ほんと。じゃあ、すぐまた来てね」と笑って、明子が見送ってくれた。その後も、トリホリに数回行って、ほとんど閉店まで飲み明かした。そして、明子という女性は、活力に満ち溢れていて、朗らかな笑顔が可愛い女性だと理解した。トリホリで飲むことをきっかけに、他の居酒屋やスナックにも飲みに行った。上戸となりしぼくは、藤本などの奢りでのぼせていった。女性との会話の仕方も覚え、酒の魔力と女性の魅力に取り憑かれていった。

 そんな飲んべえのぼくに、スナックのアルバイトの話が舞い込んだ。あの相澤先輩の紹介である。大学三年生となってなお学費は必要だし、他のアルバイトはしていない。ならば、スナックでアルバイトもありかと思った。夜の仕事は初めてなので不安だが、社会勉強にはなる。やってみようと決断した。オーナーとの面接で、十二月までの期間限定、週三日でやらせてもらうことにした。スナックの名前は『あけぼの』。マスターの石井さんは、スナックをいくつか渡り歩き、十年目になると言う。その経験で培ったものを、少しずつぼくに伝授して下さった。そして、閉店後の片付けをして下さる御蔭で、ぼくの早上りが可能となった。
 二ヶ月が経ち、だいぶスナックの仕事が分かるようになってきた。接客に慣れ、お客さんの愚痴を聞くことができるようになってきた。店の開く一時間前から入り、準備を整える。掃除や点検などばたばたするうちに、午後八時を回る時刻となる。
「いらっしゃいませ」と言って見ると、常連の元公務員さん。優しそうで物知りなお客さんだ。キープされたボトルを棚から出し、カウンター席のコースターにグラスを置いた。今日はそのお客さん、にこにこ顔で嬉しそうだ。
「台風がそれて良かったですね」
「ああ、良かったよ、台風が来なくて。明日は、娘が大阪から帰ってくるんだよ。旦那と孫を連れて。それで、あさっての日曜日に親戚が集まって、ウチでわいわいやろうということになってさ。もう待ち遠しいさ。娘家族が大阪から帰って来るんだよ」
「家族や親戚が集まられて、賑やかになるでしょうね」
「そうさ、みんなでご馳走食べたり歌を唄ったりして、賑やかになろう。近況報告したり、世間話をしたりしてさ。一番の楽しみは孫に会うこと。今日は孫に会える前祝いと称して、ここに飲みに来たわけさ」
満面の笑みになられる常連の男性。

話はずっと大阪に居られる娘さんとお孫さんのこと。

久しぶりに会える喜びをつまみに、ボトルを空けられる。

その盛り上がりの最中、カラカラカラーとドアの開閉音がして、派手な出で立ちの女性が一人、すうーっと店に入ってきた。
「いらっしゃいませ」とぼくが言うと、カウンター席に座った女性は、なんとスナックトリホリの明子だった。ぼくは、とてもびっくり驚いた。
「ようこそ、あけぼのに。この店で逢えるなんて、奇遇ですね」
ぼくが明るい声で返すと、
「あら、あんた。いつの間にかここで働いてたのね」
明子が冷めた目で言う。すでに明子は酔っている様だ。
「そうです、バイトで。このスナックの店員始めて、二ヶ月になります。ご無沙汰しています。今日はお店休みですか」
「そう、休み。トリホリはずーっと休み。永遠に休み」
「どうかしたんですか。まさかトリホリを辞めたとか・・・」
「図星、正解、その通り。あんな店やってられないさ」
煙草に火を付ける。明らかにおかしい。明子はいつもは煙草を吸わないはずなのに。どうしたのだろう。
「仕事を辞められて、たいへんですね」
「ありがとう。あそこはお客が少なくってね。あのお給料じゃやっていけない。昨日でやめちゃった。これからどうしようかと思っているさー。今日はやけ酒飲むから、そのつもりで」
明子は、一気に水割りを飲み干してしまった。
「次の仕事を見つけているんですね」
「ああ、どっかワタシを拾ってくれる所ないかなあ」
またウイスキーの水割りを飲み干し、ぼくにおかわりを迫る。やけのやんぱちで、煙草に火を付けさせる。でも、くわえ煙草だと分かる。本数だけいっている。心配してよく見ると、その煙草は安物だった。明子の指がしわしわになっている。苦労してることを察した。
「もう言っちゃうけど、ワタシ本気であんたとの結婚を考えていたし、してくれたらいいなーって思ってたさ。でも分かってるの。私のこと好きじゃないって」
グラスを傾けぼくを見つめてくる。もう、手が付けられないって感じ。
「片思いって辛いさ。ああー、ワタシって、ついてない・・・」
ぼくは、言葉に詰まってしまった。気まずい。でも、ぼくは明子のことを嫌いではない。むしろ明子のこと好きになって、これから付き合おうかと考えていた時であった。しかし、明子の居たスナック・トリホリには、最近行ってなかった。いろいろ忙しいのと、明子の結婚願望にはついていけないとの理由からだった。それで、明子が誤解する原因になったのだろう。
兎に角、まずは、彼女の苦悩を払拭してあげたい。ぼくは咄嗟に答えを言った。
「あ、あのー、もしもの話なんですが、ここで働きませんか?」
「うそー、無理でしょ。ほんとに叶ったらうれしー。雇ってくれますか」
急に目覚めたように驚く明子。そばで聞いていた石井さんが、
「この店のキャパじゃ、店員はふたりで精一杯かも・・・」と神妙な面持ちで返される。
「そうよねえ。無理よねえ」
苦笑いを浮かべながら、明子は煙草に火を付ける。
「先輩、何とかしてもらえませんか」
「さすがのオーナーも、三人の店員の給料を払うことは難しいだろう。此処は、那覇の一等地で、店舗代だってばかにならないし・・・」
石井さんは明子に現実を話された。でも、ぼくは、決心した。
「ぼくがやめます。元々ぼくはアルバイトだし。ぼくがこの店をやめるから、明子さんを雇ってもらえるようにオーナーに言ってらえませんか」
「待ってよ。そんなこと、私望んでいない。私は私で他を探すから、もういいって。辞めるなんて言わないで」 明子は必死になってぼくを説得する。
「石井さん、ぼくのことより、明子さんがこの店に来てくれたら、もっと男性客が入って繁盛すると思いますよ。だから、だから、どうか、お願いします」
「分かったよ。いいよ、洋一。オーナーに俺から訊いてみる」
石井さんがきっぱり言ってくれた。
「是非、お願いします。ありがとうございます。ありがとうございます」
ぼくは、泣きべそをかきながらお礼を言った。
「ありがとう・・・ほんとにアンタっていい男だよ。また惚れ直した・・・」
そう言うと、明子は酔いつぶれてしまった。
「送ってやりなよ。タクシー代は俺が出すから」
石井さんに言われて、ぼくは、明子をアパートまで送った。明子のつぶれ方に手を焼いたが、それでも、部屋の鍵を明子から借りてドアを開け、部屋のソファーに彼女を下ろすところまで頑張った。明子があけぼので働くことが出来ることを、ぼくはひたすら祈った。
 三日後、学生寮に電話がかかってきた。石井さんからだった。
「おめでとう。オーナーに、君と明子さんのこと伝えたら、良いって言ってくれたよ。本当に君には申し訳ない。済まない。それで、あけぼのに就職できることを明子さんに伝えたら、彼女、とても喜んでいたよ」
それを聞いたぼくは、心から良かったと思った。誰かのために役に立ちたいと思っていたが、ささやかながら明子の役に立つことが出来て素直に嬉しかった。
「今月の給料は明日出すから、受け取りに来てくれ」と石井さんが言ってくださった。
ぼくは、ほっとして、受話器を置いた。

それからしばらくして、明子からも電話があった。
「あなたにとっても迷惑掛けてしまって、私どうしたらいいか・・・ほんとうに感謝してます。それにこの前は送ってくれて有り難う」
「気にしなくて良いです。ぼく、ちょっとの間スナックでバイトしようと思ってたので。丁度交替相手として、明子さんが見つかったという所ですよ」
「今度は、あけぼのにお客として来てね。絶対お礼をするから・・・」
明子は涙声だった。受話器を置いた。自分の決断を明子が喜んで受け入れてくれた事が何よりだった。とても清清しく爽やかな気持ちで青空を見上げた。

 

  (次回につづく・・・)

  今回もお読み下さり、ありがとうございました。

                    生田 魅音