(前回のつづきです)

 

 大学二年生となった。

ぼくは、気持ちを新たにし、規則正しい生活を心がけた。

朝は、八時までに起床し、寮の食堂で朝食をとり、キャンパスに向かった。

大人しく講義を受け、単位修得のために勉学に勤しむ。一週間後・・・
朝、大学に行きたくないと思ってしまう。

面白くない講義にわざわざ行く必要があるのだろうか。

ただ椅子に腰掛け聴いてメモする作業が本当の学生なのだろうか。

自分は一体、大学で何をしたいのか。

そもそも受験の際なぜ琉大史学科を選んだのかと今更思ってしまう。

親元から離れて生活したい、東京を出て自立した大人になりたいという理由からであった。

しかし、実際大学の講義に出てみると、講義の多くは目的が何なのか分からないし

就職に繋がるのかも分からない。一般教養だからと言われたらそうかもしれない。

レポートを書けと言われて書くことは書く。

しかし、それがただ単位を取るだけの作業のように思えて正直つまらない。

さらにぼく自身卒業後の就職をどうするか決めていない。

教師にはなりたくない。学芸員にもなりたくない。銀行員にもなりたくない。

会社員にもなりたくない。では、就職はどうするんだ・・・

そもそも史学科を選んだことが間違いではなかったのか。

二次試験の科目が楽だという理由で選んだ史学科。

でもぼくは歴史に詳しいという程ではない。

どうやら、行きたくない理由はそこにあるようだ。

何をいまさらと叱られても仕方がない。

現状、人生の夏休み的に大学生活をいい加減にやり過ごして、

自由を謳歌し、アルバイトをして時間をつぶしている。

ああ、これでは・・・モチベーションの低下は日に日に増してゆく。

夢中になるもの、部活もサークルにも入ってない。社会貢献もしていない。

政治に不満を持ち学生運動に走ることなど出来やしない。

悶々と考えてはみるが、動き出せない。

こういう行き詰まりを覚えたときには気分転換がいい。

ちょうど藤本がやって来て「パチンコしようぜ」と誘ってきた。

藤本と二人でパチンコ屋へ。ハンドルを上手に打ち出すと、穴に玉が入る。

チューリップが一斉に開くと、玉がじゃらじゃら出る。

出た玉を換金すると、ちょっとしたバイト代と等しい儲けだ。喜んだのも束の間だった。

重い足取りで仕方なくキャンパスに行き、講義室の机に伏せ、ふて寝する。

ああ、ばかばかしいといい加減な態度で講義を受ける。

そんな退屈な講義から戻ってきて、部屋の机の上を見ると、封書が置いてあった。
誰からだろう・・・

と封筒の裏を見ると、山崎先生の名前が書かれてあった。

おそらく先日出した手紙の返信だろうと思い、急いで封を切り、手紙を読んでみた。

 

 前略
 洋一君、元気そうで何よりです。沖縄や大学生活にも慣れ、

充実した生活が送れているようで、うれしく思います。

ただし、アルバイトに精を出すのみで、学問をおろそかにしちゃならん。

大学生の本分は、学問することだ。本質を問い続けることは容易ではない。

己を乗り越える為に本を読め。特に最初は哲学書だ。

哲学書が真理や人生について何かを語り、訴えてくれる。

読んで読んで読みまくって、思考の壁にぶち当たり給え。

それが学問の入り口になるだろう。

洋一君は様々な出逢いの中で、本物の学問というものを掴み取っていくはずだ。

生き方の何らかのヒントを得ながら、出逢いの大切さが分かってゆくだろう。

それが分かる君だからこそ、あえて忠告しておく。

大学は、一つの通過点にすぎん。

大学に甘えるな。自分に甘えるな。

今は大学を堪能し精一杯活用すればいいが、問題はその先の人生だ。
 洋一君。君のことだから、きっと、沖縄という所のすばらしさと同時に、

共同体の幻想性、孤立無援なども感じておられるのではないかな。

君の作った一句、詠ませて貰ったよ。すばらしい感性だ。

ますますその感性を沖縄で磨き給え。

大いに沖縄に生きて、君のその有望な感性を磨き給え。

そのための四年間が君にためにあると信じる。出逢いを大切にな。
 忙しい日々故、これにて、失礼。             山崎康夫

 

 有り難や、山崎先生。書いてある言葉の端々に、ぼくへの気遣いと思いやりが感じられる。

丁度今大学生活に行き詰まり、だらけがちな事も見事に見抜いておられる。

「学問をしていない。本を読んでいない」ことをずばっと指摘される。

そして「大学に甘えるな。自分に甘えるな」

「学問の入口は哲学書に在り」

「大いに沖縄に生きろ」とやさしく教えて下さっている。

先生の手紙で、急に元気が戻って来て、机に向かう意欲が湧いてきた。

大学生は学問をするのが仕事であって、その入口として哲学書を読むべきだろう。

迷っている場合ではない。直ぐさま大学生協に行って、哲学書の類いを買いあさった。
 それからしばらくして、寮の公衆電話にぼくへ電話がかかってきた。
「春休みは帰ってくると思っていたのに・・・お父さんも心配してるのよ。

くれぐれも体にだけは気をつけてね。しっかり食べて栄養付けて、

病気にならないようにしてね。

そして学校に行ってしっかり勉強してね。

手紙は着いたわよ」と涙声で脈絡無くまくし立てる母。

言葉の一つひとつが、ぼくの心に響いた。母の思いやりの言葉はやっぱり嬉しいものだ。

甘えを捨て、自分に厳しくなり、大人への階段をひとつずつ上っていくしかない。

ぼくは、もうじき二十歳になる。

大人にならねばならぬ。自分のことは自分でする。

そして、社会人になる為の準備を急がねばならぬ。
 ぼくは、それから、徹底的に読書に漬った。

毎日毎日、哲学の本を食らいつくように読んだ。

むさぼり読んでいるうちに、いつの間にか朝を迎えることもあった。

読書後は、静かに心の中をのぞいてみる。

ああ、このあいだ書いた両親への手紙、母からの電話・・・

親孝行、恩返しという言葉がリフレインする。

子どもの頃、家族で出かけた楽しい思い出を回想する。

ぼくの心の底にあるものは、甘えか。

自立よりも両親に甘えたい気持ちが先に立つ。

粋がって家を飛び出して来たものの、本当は、母の愛をもっと

シャワーのように浴びていたかったのか・・・
そして、父性なるものに対抗心を燃やしていたのだろうか・・・
マザコン、エディプス・コンプレックス・・・まさか・・・
現れる実態。忘却逃避。保身のみの自己嫌悪。

誰も居ない古びた家の深夜。泣き叫ぶ声。探しに探す兄のよろめき。

躯は傷だらけで、見つけた物は、ふくろうの目。

その目が見た物は、

人の脳にかぶりつく魔像。

深淵の闇に震える兄妹。まさか・・・妹が。

幼くして難病で亡くなった妹が。おざなり。

臆病にも冷淡すぎる扉が開かれる・・・
恩返しは無理かも知れない。自立もはるか遠くに感じられる。

親鳥の保護を離れ巣立ちする子鳥のように、

ぼくも完全に独立を果たさなければならない。

そして、家族への愛を持ち続けたいと思う。

生きるだけ生きて、誰かに何かが伝わればいいと・・・
 それにしても、ぼく以外の二十歳は、どうやって大人になっているのだろう。

否、難しいことはなく、すんなりと大人になっている気がする。

二十歳の誕生日と同時に自覚し、行動に責任を持とうとする。

だが、ぼくには全く自信がない。

だって、大人になるって一体なに・・・ 

二十歳は、人生の大きな節目だが、それは形式でしかないように思う。

人間は、ずっと大人になろうと藻掻き苦しみながら、一生を終えるのではなかろうか。

人間だけが八十歳も九十歳までも生きられる。

これは、神から与えられた特権だし、試練でもある。

ぼくの成人は、とても時間がかかるように思う。あまりにも幼なすぎる。

就職し、結婚し、子供を授かる・・・その時、初めて大人になれるのだろうか・・・
 ふたたび想い出されるのは、沙織さんのこと。

今頃、宮古島に戻ってお母さんの看病をしているのだろうか。

しっかり生きておられる素晴らしき女性。

その彼女の優しさに応えることが出来なかった愚かな自分。

出逢いを大切にし、その人の良さから学ばねば成長はできない。

分かっていても自分には出来なかった。これから・・・
 部屋の連中が一斉にキャンパスから帰ってきた。今は話したくない。

哲学書を開き読み始める。理性の追究。

心のあるべき姿、自我と他者とのありよう、社会と個人の関係・・・ 

次々に課題が見えてくる。

ぼくはぼくなりに、人間としての未熟さに気づき始めたことは良いことかもしれない。

これから打ち込むべき事を模索しながら掴めたら良いと思う。

そして、いつかは、何をなすべきか分かり、自信を持って行動できる人になろう。

みんなの幸せのために働くことの出来る人になろう。

失敗してもくじけない心と責任感のある人になろう。

その為には、日々努力することだ。

自己変革に挑み続けること、これが大人になるということだろう。

 六月二十三日、沖縄は『慰霊の日』を迎えた。

大学構内で平和を願う集会が行われた。

ぼくは史学科の友人に誘われて参加した。有志たちは、会の趣旨を説明した。
沖縄戦。日本軍司令部は摩文仁へ撤退。

すでに兵力の大半を失っており、軍の組織的抵抗は出来なくなった。

司令部の牛島中将および参謀長の長(ちよう)勇(いさむ)が、糸満の摩文仁で自決した。

昭和二十年の六月二十三日のこと。

この日を慰霊の日と定め、沖縄県では毎年犠牲者の冥福を祈り、

二度とあのような戦禍がないよう決意を新たにする日だ。
 ぼくらは、沖縄戦体験者の話を聴いた。

鉄の暴風が吹き荒れる中、逃げまどい、ようやく見つけたガマに身を潜めていた人々。

どんなに怖かったであろう。どんなに辛かっただろう。

心が切り裂かれるような想いがした。

そして、地元の大学生たちが

「慰霊の日を単なるイベントにするな」

「戦争の事実を私たちが語り継ごう」

「怒りを持って平和を守り抜こう」と訴えかけた。

その熱意に、ぼくは圧倒された。

 

  潮風に揺る赤い花よ 幾多の苦難を堪え忍び凛と咲く梯梧
  吹き荒れし鉄の暴風 阿鼻叫喚を受け止め種は地上に残る
    その種を運ぶそよ風 大海を渡り山を越え尊厳を振りまく
  尚も犠牲を強いられ 情け薄し辛く苦し世なれど我らゆく
    若き血潮を滾らせて 歓び手を繋ぎ絆結び未来を切り拓く
    赤い陽のごとく輝き ぼくらはこの島の青い空と海を護る
  想い募るわったあ島 鎮魂歌を捧げ意気揚々と突き進む也

 

   (次回へつづく・・・)

   今回もお読み頂き、ありがとうございました。