異郷に生きるということ

 

  東京を飛び出し沖縄に無事着いたものの、おどおどして空港のカウンターと出口付近を行ったり来たりする。

東京に帰る時は、ふたたびこの空港に来て、飛行機に乗るしかないことに気がついた。

ひとりきりの沖縄の玄関口。
「あっ、そうだ、高校の野球部の相澤先輩に、電話してみよう」
公衆電話の受話器を取り、沖縄で唯一の知り合いである相澤先輩にかけてみた。
「バイトがあって、迎えに行けない。また後日会おう」との返事。
仕方なく、泊まる宿の住所だけ先輩に伝えておいた。

民宿のある首里にはどうしたら行けるのだろうか。

不安げに空港にあるタクシー乗り場に向かうと、黄色いタクシーが見えた。
「よし、タクシーで行こう。でも、タクシー代は大丈夫だろうか」
今夜から泊まる宿代なども考えると、財布の中身は本当に厳しい。

客待ちのタクシーの運転手さんに「首里までいくらですか」と訊くと、
「三百円さ。安いよ、おにいさん」と返事が返ってきた。

料金が安くて、タクシーの運転手さんも優しそうでほっとした。
「良かった。首里の青年民宿までお願いします」
「はい、首里までね」
初めての沖縄。首里って、ずいぶん坂の上にあるんだなあ・・・

そう思いながら、車窓から見える景色をゆっくり眺めていった。

四角いコンクリート建ての家、朱色の屋根瓦の家々が続く。生活の臭いがしてくる。

おっ、あれが、シーサーか。思ったよりも家の数が多い。ここが中心地なのだろうか。

東京とは全然違う。当然か・・・そんなぼくの胸中を察してか、運転手さんが気さくに話しかけてくれた。
「おにいさんは、内地の方ですか」
「はい。東京からです」
「ああー、東京から。沖縄観光は、初めてですか」
「はい。大学に合格したので今日やってきました。これから大学生になる者です」
「大学生、そうでしたか。観光で見えられたのかと思いました」
「民宿から大学まで、距離は近いのですか」
「近いさ。歩いて行けるよ」
「そうですか、良かった。大学入学の手続きとかあるので・・・」
現実的なことを口走ろうとした時、
「おにいさん、悪いけど、ここから道が狭くなっていて、車で行けないさ。すまんけど、此処で降りて歩いて行ってね」
運転手さんが親切丁寧に仰った。
「もう少し歩いたら民宿が見えますよ」
「ありがとうございました」
料金を払い、タクシーを降りた。
 民宿まで重い荷物を抱えて、てくてく歩く。赤土の道。

道沿いの平屋建ての家は、赤瓦が独特で、垣根の合間からハイビスカスの花が見え隠れする。

真っ赤な花びらに異境を感じる。

それでも此処でこれから生きていく。寄りかかれる杖は、自分自身のみ。風が強くなってきた。
ボトッ  いきなり、水が頭に当たる。どうした  ボタボタッ  
滝のような雨。今までの青天が信じられないような大粒の雨が降ってきた。

大急ぎで鞄からタオルを取り出し、頭にかぶった。
「これがスコールというものか・・・うわあっ、傘がない」
ぼくは、沖縄のスコールの激しさを来沖初日に体験することとなった。正直、面食らう。
「まったく嫌になっちゃうよ、ひどい仕打ち」
全力で走って民宿の玄関に着いた。古い木造の青年民宿だった。
「ひどい雨がいきなり来て、びっくりです。あの、予約していた者ですが」
宿の人に言うと、そそくさと部屋へ案内してくれた。

広めの廊下を通ると、ぼくと同じくらいの歳格好の男女が、

荷物の整理をしたり、雑談に花を咲かせてたりしている。

部屋に入ると、七人もの若者達が一斉にぼくに視線を向けた。相部屋だと理解した。
「お邪魔しまーす。東京から来ました、洋一と申します」
ぼくが畏まって挨拶すると、みんなが笑顔と拍手で迎えてくれた。

相部屋の面倒くささも感じたが、それより、知らない土地で、話ができる人が初日からいることが、嬉しかった。

荷物を置くと、さっそくおしゃべり。

夕飯は、カレーライスと野菜サラダ。おいしく頂きながら、沖縄での生活の不安などを語り合った。
 次の日の朝、大学キャンパスの下見と、学生寮に入る手続きに向かった。

琉球大学首里キャンパスは、民宿からすぐの所にあった。

敷地内に古びたプレハブ棟がいくつかあって、プレハブの中に講義室や研究室の黒板や長机、本棚などが見える。

不思議なほど歴史臭のする学舎だ。

プレハブ棟から離れて行くと、ガジュマルやセンダン、ソテツなどの樹木が迎えてくれた。

沖縄らしさ。木陰に入れば、強烈な日差しも避けられ憩いが得られるだろう。

ぼくは、樹木に寄りかかり、景色を眺めてみた。

キャンパスの高台から見下ろす那覇の街は、住宅が所狭しと建ち並んでいる。

白い外壁に囲まれた四角いコンクリート造りの家やアパートが多い。

意外と古民家は少ない。昨日のタクシーの運転手さんが、
「沖縄は、台風が多いからね。昔の家は低くしてあって、瓦は漆喰で固めてあるんだよ。

どんな台風が来てもびくともしないさ」と教えてくれたことを思い出した。

キャンパスの丘を下って行った。古城の高い石垣を見上げる。

石垣に《ハブに注意》という看板があった。よく見れば、表面の異様なぶつぶつに気づく。愛着の湧く孔。

この石垣は沖縄戦で破壊されず残ったのであろうか。

石垣を背に歩いて行くと、龍潭池が見えてきた。イユグムイ(魚小堀)。

琉球王が作った人工の池のようである。見えた、学生寮だ。予想を超えた古い建物。
 学生寮の事務所にて説明を受ける。四人相部屋だが、月五千円で住める。ぼくには有り難かった。

部屋を覗いてみると、ほこりだらけで生活用品が散乱状態。辺り構わずごろごろと転がる酒の空き瓶。

やたらと汚く男臭い。春休みでほとんどが帰郷しているらしい。

事務長の話では、あと三日したら部屋割りが決まるとのこと。それまでは、あの民宿にお世話になろう。
 それから二日後。那覇空港で電話した先輩が、ぼくが泊まっている民宿にやって来た。

相澤先輩の登場に、ぼくは嬉しさを隠しきれなかった。早速、相澤先輩が首里周辺を案内してくれると言う。

ぼくは、合格したこの大学にやって来たばかりだから、沖縄の歴史も文化も観光名所も殆ど知らなかった。

だから、相澤先輩の案内は、有り難かった。
「よく沖縄行きを決意したね。沖縄は良いところだぜ。独特の文化と歴史があって面白い。

そこを学んで、来るべき日に東京に帰ることだね」
先輩は、守礼門を案内してくれた。

木造の古い門をくぐると、空気が一変した。たちまち古の琉球の佇まいを感じた。
「今、ここに琉大キャンパスがあるけれども、元々首里城があった。

首里城は琉球王国のシンボルで、守礼門は、首里城の大手門に当たる。

二重の屋根には赤の本瓦が置かれているだろ。琉球王は、ここで中国からの冊封使を迎えていたんだ。

小さな島国の琉球にとって、中国からのお客さんを大切におもてなしする事は、国の一大行事だったのさ」
ぼくは、守礼門の姿に、琉球王のこだわりと思いやりを感じた。

門の脇には、美しい紅型姿の女性が二、三人居るのが見えた。観光客相手の撮影業をされているようだ。
「金城町の石畳は近くだから、歩いて行こう」と先輩は言われる。

ぼくにはどんな場所か見当も付かず、ただ先輩の後をついて行くばかり。

 

  「このつづきは、また明日・・・)