高良山、20年前から「ここがあやしい」と感じて探ってきた。

卑弥呼の王城が存したところ(魅音説)?!

さあ、登りましょう。

高良大社があるので、まずは大鳥居がお出迎え。

 

『背くらべ石』と座高比較。おお・・・高い。

神功皇后が朝鮮出兵の際、背比べをして、吉凶を占ったとされる石。

 

一連の巨石アート。馬蹄石。

 

 伊勢天照御祖神社

 

天照大神を祀る。すなわち、卑弥呼の由縁。

中央が 天照大神。左右は八幡宮と天満宮とのこと。

筑紫から伊勢へ、そして大和へ・・・政変があり移った都。

いにしえの香り漂う神社の古さ。

ふたたび元の場所にて、女王卑弥呼の魂安らかにと祈る。

 

石段にてしばしの休憩をとるおっさん。歳にはかなわんな・・・

 

ものすごい石垣。

神籠石。古代の山城、朝鮮半島の築城法によるものか。
663年の白村江の戦いの際、造られたと考えられている。
神籠石は、北部九州に16カ所ほどあり、
他に瀬戸内海沿岸地方にも築かれた。
ただし、卑弥呼の居城との関連も否定できない!

 

大井河(おおいご)。

卑弥呼に仕えた千もの巫女や兵士たちが使っていた

清らかな湧き水であろう(魅音説)。

 

昼食は、ここ『望郷亭』でいただきま~す。

店のやさしいおじさん、また来ます。

 

いよいよ問題のばしょ、高良山奥の院へ。

わたしは此処に卑弥呼の王宮があったとする。

卑弥呼の王宮の場所を言い当てたのは、世界広しといえど

わたしだけ・・・?! ちょっぴり自慢!!

説明看板には、武内宿禰とゆかりのある所のように書かれている。

だが、奥の院、卑弥呼の住まいがあったとしてもおかしくない。

此処からちょっと上がったら、高良山頂に着く。

祈祷にはもってこいの場所。

ここが、奥の院。本当に、此処に、卑弥呼が・・・

 

卑弥呼がこの湧き水を使っていた?!!

全国一美味しいとされる霊泉。

その名は、『勝水』。 ぜったい来てみんしゃい!

 

 

 

最後は、高良大社にて、参拝。

「高良大社」御祭神は、

左に住吉大社、中央に主祭神である高良玉垂命、右に八幡大神である。

3柱とも、古代史の謎を握る神々である。

 

すばらしい景色・・・弥生時代、卑弥呼はここから

倭国の民の営みを眺めていた・・・のか?!

 

おっと、忘れちゃならねえ・・・ 祇園山古墳。

卑弥呼のお墓の最有力候補!!

祇園山古墳は、福岡県久留米市御井町字高良山に所在し、

福岡県指定史跡に指定されている方墳である。

3世紀中頃の築造と推定される。

築造時期や規模から、宝賀寿男や地元研究者などにより、

この古墳を邪馬台国の卑弥呼の墓ではないかとする意見がある。
墳丘外周からは、66名以上と推定される甕棺墓や箱式・竪穴式石室墓などが確認されている。

いうまでもなく、甕棺は伊都国に繋がる。

そして、この集団墓のありようは、

魏志倭人伝にいう、多くの巫女たちの殉死と関連づけできよう。

残念なことに、副葬品などは、激しく盗掘されてしまって、

古墳自体も、九州自動車道の建設により、一部壊された。

 合掌・・・礼拝