女山(ぞやま)は『山門』(やまと)なり
福岡県の方の邪馬台国有力地は、知る人ぞ知る瀬高町(現みやま市)。
侮るなかれ、江戸時代の新井白石・本居宣長もこの地を邪馬台国だとした。
奈良県の纏向遺跡に勝るとも劣らない?有力地なるぞ!
卑弥呼は、女山に居たのだろうか・・・淡い期待を抱いて、私はもう何度もこの山に来ている。
しかし、あちこち探索しても、神籠石(7世紀の白村江の戦いの時に造られた説が有力のよう)
しかないように思える。
小さな古墳(山内古墳群)はあれど、弥生時代のものと思われる遺跡はないようだ・・・
村の長老の話だと、古い遺跡は、家々の庭に点在して全体を掴むのは難しいとのこと。
ちなみに『誰にも書けなかった邪馬台国』の著者、村山健治さんは、山門と呼ばれたこの地を
卑弥呼の里だと信じて、考古学的な遺物の発見もなされている偉人である。
ちなみに近くには、権現塚古墳がある。
径45メートル、高さ5.7メートルのまずまずの規模の円墳である。
はっきりしていないが、7世紀に造られたという説もある。
だが何と言っても、日本書紀の神功皇后の巻に登場する『田油津媛』のお墓ではないかとする説があり、
興味は尽きない。この田油津媛さま=卑弥呼の末裔説は、結構あって、たしか本居宣長などが唱えている。
さらに言うと、この田油津媛さまの末裔が、『磐井』とする説も在り、
そうなると歴史は一気に面白くなるのだが、果たして・・・
旧瀬高町が卑弥呼の居たところでないとすると・・・次は、高良山へ・・・