夜10時。みなさま、お疲れ様。

ぼくも、仕事で疲れました・・・

 

きょうは頭が働かないので、『卑弥呼物語』の一節を掲載します。

 

「海釜様、海釜様は、いらっしゃいますか」
供の初老の男が住居の入り口から呼びかけた。
「だれじゃ、こんな朝っぱらから。税の徴収ならお断りだぞ」
長い白い髭を生やした爺さんが、寝ぼけ眼で出て来た。
「お久しゅうございます。中瀬です。あの時の中瀬で御座います」
「ああ、御前さんか。久しいのお。あれは確か、ナギ王の命で、此処に船着き場を作ることで来られた時だったか」
「そうで御座います。あの時は、本当にお世話になりました」
「うん。それで今日は何事か。わしはもう隠居の身なれば、海のことも船のことも御免被る」
「初めまして。私はカリンと申します。お休みのところを突然伺いまして失礼致しました。私は、旅をして廻って居る祈祷師でございます。是非、貴殿の人生訓をお聞きしたいと思い、此処まで参りました。何とぞよろしくお願い致します」
「祈祷師とな・・・はて、では、わしの今日の運勢でも占って貰おうか。当たるも八卦当たらぬも八卦と申す。若き御前さんの占いの腕前を拝見することにしよう」
「海釜さま。失礼ながら申し上げます。こちらカリンさまは、伊都の王女さまで御座います。ナギ王の御長女さまであられますぞ。是非、長老の話を聞きたいと、此処まで足を運ばれたのであります」
中瀬が言うと、さすがの海釜爺さんも地駄にひれ伏した。
「申し訳御座いません。ナギ王の御長女さまとも知らず、御無礼を申しました。何とぞ御許しください」
「いいえ、突然の訪問お許しください。海釜さま、さあ、お立ちください。御気を遣われず、私に海人の王としての話をお聞かせくださいませんか」
カリンがそう言うと、海釜爺さんは、皆を家の中へ入れてくれた。家の中は、思ったよりも広く、ひんやりとして過ごしやすかった。棚には、これまでに集められた財宝の山が輝きを放っていた。
「カリンさま、ご覧くだされ。これらは、わしが漢の商人などから手に入れた宝石やガラス玉や銅剣・銅鏡で御座います。わしは、こんな物の為に、今まで生きてきた。これらが欲しくて、必死で海を渡り、人を殺めて、手に入れてきた。でも、この歳になってみて、これらの価値が一体何なのか考える日々です。これらの財宝をカリン様に差し上げても良いと思うところです」
爺さんは言い放った。
「こんなに素晴らしい宝石など見たことありません。すごい輝きですね。海を渡り、山を越えて、悪者を退治し、手に入れられた財宝ではありませんか。大切になさってください。私などには勿体ない財宝の数々です」
カリンが言うと、海釜爺さんは、首を横に振り、坦々と話し始めた。
「カリンさま、人間の欲望はどんどん膨らんでいきます。欲望は果てしなく続く。だが、神は、欲を追い求め財宝を手に入れてほくそ笑む人間を、良かれと思われるでしょうか。いや、カリンさまも、こんな財宝が人間の値打ちを決める物ではないと御理解のことでしょう。それが正しき人の道で御座います。だが、大陸の財宝の輝きに目が眩み、その凄さの前に触れ伏してしまうのが、凡人の浅ましさで御座います。海人や豪族どもは、陰謀を企て、生口をこき使い、貧しい人々を犠牲にして、こんな財宝と富を手に入れてきました。これがあれば、人が集まってきます。腹一杯食べ、いい服を着て、いい女をものにできる。挙げ句、皇帝のように富と権力を握りたいと思う。それが、わしら海人の追い求めてきた夢なのです。その一人が、このわしでありました。ですが、それは本当の勝利とは言えないのです。今となれば、これは砂上の楼閣にすぎず、ただ心に空しさが湧くのみで御座います。倭国中に大乱が巻き起こるのも、全て欲のせいです。わしは愚かなる人間であります。いくさをして勝利しても、ただ民が苦しむだけです。偉そうにしても、民から見放され、他の豪族から追い落とされる。それでも、欲を捨て去ることは出来ず、争いを繰り返すのが、愚人の愚人たる所以で御座います」
 カリンは、海釜爺さんの話を真剣に聞いて理解した。欲を搔く人間の本性は容易ならざるものなり。そして、倭国大乱の原因は、未熟故の野放図な行為が、波紋のように広がってゆくことにある。そこには、思慮分別も相互信頼も配慮友愛もない。さらに、海釜爺さんは、話を続けられた。
「倭人は、大昔から、遙か海の彼方から来る人と物を受け入れてきました。それは、東の果ての島の宿命で御座います。渡来人がもたらしたものは、水稲農耕しかり、竪穴住居、掘立柱建物、貯蔵穴、甕棺墓しかりで御座います。青銅器は昔は武器が多かったが、今や祭祀具として用いられるようになりました。それと、農具や調理具などは木器から鉄器に変わりつつあります。即ち、民が率先して素材を変え、工夫を懲らし、暮らしを少しずつ良くしようとして来たのです。だが、良くならない物が御座います。それは、人の心です。カリンさま、人の世で一番大切なものは、心であります。王が真の心を持ち、民の暮らしを思いやり、いのちを重んじてこそ、信頼を得るので御座います。さすれば、必ず民は王についてゆくでしょう。財欲や物欲は、ただ空しく悲しいもので御座います。いくさの過ちを知るのは、おそらく数千の民が死んでからでしょう。ああ、ナギ王は、素晴らしい王でありました。人として、民に向き合い、民の為の政治を行なっておられました。今再び、そんな王の出現を民は望んでおります」
 しばらく海釜爺さんの話は続いた。爺さんの長年の苦労談・人生訓は、ナギ王の長女であるカリンの心に深く強く響いた。カリンにとって、今までのいかなる話よりも貴重で意義のある話だった。

(つづく・・・・)