今年もあと二ヶ月となりました。
今年唯一出掛けた先が、二年前に世界遺産となった宗像大社(辺津宮)でした。
そして、大島へ フェリーに乗って・・・釣り客が多かった事が印象に残りました。
もちろん、沖の島(沖津宮)へは行けません・・・
それでも、糸島から若松半島に至る海岸線を歩いたりタクシーで行きますと、
大昔のこの地域に住む人々は、半島の方を向いていたのだと理解しました。
ふるさとは、遠きにありて想うもの・・・
命懸けでこの地域に渡ってきた半島の人々の想い・・・計り知れません。
そして、宗像氏がその想いを汲み、大島から沖の島、そして対馬へ、
さらに半島へと向かう海洋ルートを切り開いたのでありましょう。
沖の島に静かにおかれた財宝の数々・・・
なんと、大和朝廷が祭祀をするために置いたと説明さるる・・・あれ、
何で、大和朝廷が出てくるの??? かなりの違和感・・・
あの財宝は、宗像氏が遠く海を渡り、世界中から集めた物でしょ
それを地元の人々が、海と陸の平和を願い祈祷のため捧げてきた・・・故郷に帰れる日を夢見て・・・
大和朝廷が出てくるのは7世紀以降でしょ
それはともかくやっぱり歴史は面白い!!
なんと、あの磐井の棺桶が、八女の岩戸山古墳からすっぱ抜かれ、密かに、宮地嶽神社に祀られていた!
やはり、この地方の人々は、大和朝廷を良くは思っていなかったんだ・・・
宗像一族あるいは安曇一族が、大和に表向きは良い顔して、裏ではアッカンベーしていたのか・・・
それで、磐井のひつぎをこの地に移したんだ。
この旅でそのことが分かり、興奮した。